×:とても親切な先輩
そこまでを語り終えて、先輩は大きく伸びをした。
はぁやれやれと、結構お疲れのご様子だ。時間にして一時間くらいか。
時折冗談を交えつつも、ずいぶんしっかりと話してくれた。
ノートパソコンには、聞いた内容を要点だけまとめてある。あとはレコーダーに撮った音声を聞き返しながら原稿を上げよう。
先輩に頭を下げてお礼の言葉を口にする。
「おう、俺も久々に七不思議なんて語って結構楽しかったぜ。もう遅いし、気を付けて帰れよな」
見た目は怖いがやっぱり表情通り気さくな人だ。
もう一度礼を言って、僕は教室をあとにした。
外を見るとすっかり日が落ちてしまっている。
ふいに、四番目の話を思い出して、慌てて窓から目をそらした。別に心から信じてるわけでもないけど、やっぱり少し気味が悪い。
西側の階段を目指して歩き、無事に一階にたどり着いたことにほっとする。
昇降口から出れば、旧館を通ることもないから自販機は目にせずすむだろう。
プールの女子更衣室なんてのは、もちろん望んだって立ち入れない場所だ。いや別に望んだりしないけど。
……どうやら結構気にしてるみたいだ。
昇降口の二年の下駄箱を目指して歩きながら、そんな事実に気づいて苦笑した。
靴を取り出して履き替えたところで、今度はふと古ぼけた台が目に入った。
――嘘だろう。
台の上に、伝書箱がある。
……。
あぁ、先輩の仕業か? 手が込んでるな。今日は新月だな、なんて思わせぶりに言っていたし、怖がらせようってんだな。
伝書箱に近づく。そこには確かに、古ぼけた字で例の言葉が書いてあった。
わざわざこれを用意した先輩の姿を想像し、思わず吹き出しそうになる。
せっかく先輩が作ったんだ、使ってやろうじゃないか。
そう思って、僕はノートを一枚破ってそこに文字を書いた。先輩の名前と、左腕。先輩は右利きのようだったから、これはせめてもの情けだ、なんてね。
今日、このあと先輩はこの伝書箱を回収するんだろうか。中身を見たら、笑うだろうか。それとも怒るだろうか。
明日怒って教室に乗り込まれたら困るなぁ。そんなことを考えながらも、僕はノートの切れ端を伝書箱の中に放り込んだ。
なにか声が聞こえたような気もしたけれど、きっと先輩がどこかで見ていて悪戯してるんだ。そう判断して僕は振り返ることはしなかった。
◆◇◆◇◆
翌朝、いつもどおり登校して、昇降口で先輩を見つけた。
声を掛けて、昨日の礼を改めて口にしようとして僕は固まった。
振り返った先輩の左腕は、白い三角巾で吊られていた。
「おう、お前か。なぁ、お前、まさかとは思うが昨日、伝書箱なんか見てねーよな」
その問いに、どくりと心臓が跳ねる。
無意識に、首を横に振っていた。
「だよなぁ。っつーか仮に見たとしても、俺の名前なんか書いて入れねーよな。んじゃあこれは偶然か、安心したぜ」
先輩は相変わらず能天気な声で続ける。
「いやぁさ、昨日の話なんだけどよ。一つ目の話、あれ、実はちょい改変したバージョンでよ……本当は続きっつーか、結末が違うんだよ」
カラカラに喉が渇いている。おそらく挙動不審だろう僕に気づいていないのか、先輩はなおも世間話でもするように怪談話を口にしていた。
「本当はな、紙切れ入れた奴は頭がおかしくなったとかじゃなくて、死んじまったんだ。体をバラバラにされてな。あの伝書箱に一度でも名前と部位を書いた紙を入れちまうと、五つのパーツ全部を書いて入れなきゃならねぇんだ。ただし、相手は全部別人じゃなきゃなんねぇ」
やらなければ、どうなるっていうんだ。
乱れそうになる呼吸を抑え込み、なるべく丁寧にそう訊ねた。先輩の細い眉がピクリと動く。
「だから、バラバラにされちまうんだよ、自分のほうが。一度伝書箱を使った奴は、次の新月まで毎日それが見えるようになる。で、次の新月までに五つのパーツと別々の名前を書いて入れないと、書かなかったパーツは自分の分が取り立てられちまう。だからよ、お前があの伝書箱使っちまったんじゃねーかって、ちょっと心配でな。まぁ、使ってないってんなら一安心だ」
先輩はそれだけ言うと、じゃあなと言って背を向けた。
そこに待ってくれと声を掛けたかったのに、僕は結局唇一つ動かせずにしばらくそこへ縫いとめられたように立ちすくんでいた。
予鈴がなって、ようやくはじかれたように体が動く。
それから先をどう過ごしたのか、あまりよく憶えていない。
気づいたら部活に顔を出していて、後輩に目いっぱいお礼を言われていた。
結局なんとかいつもどおり部活もこなし、けれど原稿を上げる気にはなれなくて僕は部員たちに体調が悪いと言って先に上がらせてもらうことにした。
とぼとぼと廊下を歩く。僕はとんでもないことをしてしまったんじゃないか。
いやでも、そんなまさか。
先輩のあれは、きっと偶然だ。なんでも、原付に乗っていてこけたとかなんとか。前にも事故って足を骨折したことがあるって話だったし、やっぱりただの偶然に違いない。
そう思いたかったのに、昇降口にはやつがあった。
古ぼけた台に乗っかる伝書箱を見て、僕は一目散に逃げ出していた。
家まで走って帰り、部屋に飛び込む。そのままベッドにもぐりこんで、布団を頭から被って震えた。
どうしよう、どうしよう。
先輩に相談しようか。あぁ、でも早くしないと先輩の腕が、腕が……。
どのくらいぐるぐると考えてたんだろう。
布団の隙間からは、もう少しの光も差し込んでこなくなっていた。すっかりと夜も更けてしまったらしい。
どうしよう、とりあえず、先輩に連絡をしよう。謝って、どうすれば良いか聞いてみよう。
そう決断して、布団から出ようとしたとき。
コン、と窓ガラスが音を立てた。
抜け出そうとした体をひっこめる。息を殺す。
コンコン。
ここは二階で、僕の部屋にはベランダなんてない。人が立つ場所だってないんだ。誰だ、誰が叩いてる。
コツンコツン。
どうして、先輩はまだ腕を切断するなんて、そんな話にはなってなかったじゃないか。
なんだよ、なにを持ってきたって言うんだよ。
ゴンゴン、ゴツンゴツン。
やめてくれやめてくれ。音が大きくなる。
どうやって窓を叩いてるんだ。小石をぶつけてるような軽い音じゃない。なにかで窓を殴ってるみたいな、そんな――。
カラリ、と音がした。
あぁ、そうだ。カギ、閉めてない。
ごめんなさい。悪気があったわけじゃないんです。こんなことになるなんて。
そんなありきたりな言い訳が頭を駆け巡った。
そんな僕に、一つ聞き慣れた声が掛かった。
「おい、大丈夫かよ」
恐る恐る、布団から顔を出す。
そこに居たのは先輩だった。
抑え込んでた恐怖心がそこでとうとう決壊して、僕は泣きながら先輩に謝った。
伝書箱を使ったこと。先輩の悪戯だと思ったこと。鼻を明かしてやろうと、冗談のつもりで先輩の名前を書いて入れたこと。
全部正直に話して何度も謝った。
先輩はゲラゲラと笑っていた。
「やーっぱりお前か! おらよ、紙は回収しといてやったぜ。これでノーカンノーカン。んなビビんなくて良いって」
そう言って、先輩は部屋にひとつ紙切れを投げ入れてきた。
そこには先輩の名前と、左腕の文字。確かに僕の文字だった。
「この腕の怪我はマジで偶然だから気にすんな。お前のせいじゃねーよ。だから、ちゃんと明日も学校来いよ」
先輩のそんな言葉に僕はただただ首を大きく縦に振った。それから、今度は何度も何度もお礼の言葉を口にするのだった。
「もういーって。じゃ、俺はもう帰るぜ。また明日な」
それだけ言って、先輩は窓を閉めて去って行った。
見た目は怖いけど、でも、あの人はすごく良い人だ。明日また、お礼をしよう。ジュースと言わず、お昼でもなんでも奢ろう。
そう心に決めて、僕はまたベッドにもぐりこんだ。安心したら眠くなってきた。
明日は、ちゃんと原稿を上げないと。
……。
…………。
………………あれ?
七:とても親切な先輩 黒崎 @siro24kuro
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