『学説』(2007年01月26日)

矢口晃

第1話

ある古めいた大学の一室で、数理学者であり哲学者でもある小沢教授は、弟子の小田切助教授を呼び出してなにやらひそひそと話し合っていた。

「これですか、今度学会に発表しようと言う先生の新しい説は」

「そうなんだよ、君。ちょっと見てくれたまえ」

「『一割る十が一の小沢の新学説』、ですか」

「そうなんだよ、君」

「どうも題名だけ見ても随分発見がありそうな学説ですね、先生。かいつまんでお話し下さいませんか。どうも常識的に考えると、一割る十が一にはなりづらいと思うのですが」

「ところが小沢の新学説で行くとだな、一割る十は必ず一にならなくてはならないのだ。例えばここに一個の丸いケーキがあるとするな。これを美由紀ちゃんは、九人のお姉さんたちと分け合わなくてはいけないんだ。当然美由紀ちゃんのお母さんは、ケーキをほぼ等分の十個に切り分けるな。これが一割る十だ」

「そうですね。小学校の教科書でもしばしば散見される例です」

「そうなんだよ、君。ところで君、その切り分けられたケーキの中から、美由紀ちゃんはいくつのケーキを食べるのかね?」

「その中の一個ですね」

「ほら君、今何と言った?」

「その中の一個と――」

「つまり君は美由紀ちゃんが『一個』のケーキを食べると言ったろう? そういうことなんだよ、君。つまり十個に切り分けられたケーキが別の皿に移されたとき、そのケーキは紛れもなく一個のケーキであるはずなんだよ。美由紀ちゃんは決して十分の一個、さらに言えば零点一個のケーキを食べるのではない。あくまでも一個のケーキを食べるのだ、そうじゃないか君?」

「まあそう言えるでしょう。美由紀ちゃんはこのケーキを食べ終わった後、恐らく心の中でこう思うでしょうからね。『ああ、もう一個食べたい』と。その時よもや『ああ、もう十分の一個食べたい』とは考えそうにありませんからね」

「いいところに気が付いたね、君。つまりこう考えて行くと、一割る十が一であるということが判然とする訳だが、ここで終わってしまっては『新学説』の文字が泣きそうじゃないか、君」

「つまりこの論理を応用して様々な数式を見直そうとおっしゃるんですね?」

「そうさ。しかし数式だけではないぞ、君。そこが私の学説の新しいところだ。一割る十が一の論理が成り立つとすれば、『私は彼を恨んでいる』と思った瞬間から私は彼を恨み始め、『私は彼に恋している』と思った瞬間から私は彼に恋をし始めるという、こういう理論が成り立つ」

「つまり『私はあくびをした時から眠くなる』のですね?」

「そうだ」

「ならばこういうことも言えそうじゃないですか? 『赤が紫なら、黄色は白である』」

「うむ。なかなか鋭い見解だ。それは確かにそう言って差し支えないかも知れない。なら君にはこの理論が飲み込めるか? 『一歩の半歩が千歩であるならば、万歩の半歩は一歩である』」

「なるほど少々むつかしくなってきましたね、先生。先生のこの学説には、その理屈が事細かに書いてあるというわけですね?」

「なに、そんなに詳しく書いてはおらんさ。ただ漫然と書いてあると思いたまえ」

「――? ではこれはどうでしょう。『右手は左手であり、左手は右手である』」

「それは成り立たんよ、君」

「はあ、そうでしょうか」

「当然じゃないか。右手はやはり右手であり、左手はやはり左手だよ。これをあべこべに取り違える人間なんてそうはいない」

「そうですね」

「しかしこうなら言えるぞ。『右が左であるならば、左は右である』」

「なるほど。私は根本のところで早とちりをしていたようですね」

「そうだよ、君。つまりそこが私の学説の難しいところさ」

「それではこれはどうでしょう。『千人読んで一人が面白いと思う本は売れるが、十人読んで二人しか面白いと思わない本は売れない』」

「君、それは私の説を大変うまく応用しているよ。参考にさせてもらおう」

「『十キロの綿は重いが、十キロの鉄は軽い』」

「うまいね。ならば、『一年が十年ならば、十年は一年』だとする。十年が一年ならば、どうなると思う君?」

「十年が一年ならば、我々は七歳で死にますな」

「何。十年が一年ならば、一年が十日になる。つまり我々はもっと長生きするようになるさ」

「なるほど。では、これはいかがです? 『昨日の去年が来年の明日ならば、一昨日のあさっては十年後の今日だ』」

「いや、君それは間違えているよ」

「え? 一体何故です?」

「そもそも私の理論を時間的長短に当てはめようとすると齟齬が生じやすいのだ。つまり君、砂時計を想起してみたまえ。砂時計をひっくりかえしたら何になる?」

「砂時計をひっくりかえしたら、やはり砂時計です」

「そうなんだよ、君。そしてあの落ちる砂はだな、現在の時間しか表現することができない仕組みになっている。落ちきった砂をまたひっくり返して落とし始めても、それは時間が再生することを意味するのではない。また新たな時間が流れ出したことをしか表現できないのだ」

「なるほど。つまり『時間が砂であるならば、砂は過去である』ということになりませんか? だから先生、砂場を見るとなぜだか懐かしい気持ちになるんじゃありませんか? あれは人間が砂を見る一方で、また自ずから堆積した時間、つまり『過去』言い換えれば『幼児期』を見ているからに他なりませんか?」

「いい事を言ったね、君」

「先生、この学説を発表するのが楽しみですね」

「そう思うだろう、君。まあ一杯コーヒーでも飲みなさい」

 この二人の会話を扉一枚隔てた隣室で盗み聞いていたのは、功名心の甚だ強い研究生のSである。Sはこの学説を自分のものとして世に公表したいと考え、心の内では、早くも小沢教授と小田切助教授との毒殺を企んでいた。

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『学説』(2007年01月26日) 矢口晃 @yaguti

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