第45話 Simple is Best
少年の失踪騒動が一段落したある日の夜。
疲れて自炊する気になれなかった私は、ブルーのワンピースを着てアパートを出た。
シェムリアップ川に掛かる橋は地元カップルで賑わっている。
何をするわけでもなく川面を見ながら寄り添うシチュエーションは微笑ましくもあり、ちょっぴり羨ましくもあった。
そんな恋人たちを横目に橋を渡っていた時だ。
「アヤカーーッ!!!」
えっ!まさか?!
信じられない・・・。
視線の先にぼんやりと浮ぶシルエットは・・・。
※ ※
風が止まった。
話し声。喧騒。せせらぎ。
街の音が消える。
彼を覆う空間が融けて流れた。
世界はスローモーションだ。
私は、予想だにしない奇跡を前に橋上で立ち止まった。
カズさんが、驚きの表情でこちらを見つめている。
次に気付いた瞬間。
私は王子様の胸で子供のように泣いていた。
「ごめんね・・・」
「俺の方こそごめん。アヤカさん。好きです。付き合って下さい!」
世界一シンプルな告白のセリフがハートを射抜く。
「・・・・・・」
私は涙でくしゃくしゃの顔で彼を見上げた。
「はい。私でよかったら・・・」
その答えがスイッチとなり街は再び動き出した。
※ ※
長い口づけの後、私たちは川沿いのベンチに座った。
言いたいことは山ほどあるはずなのに、うまく言葉が見つからない。
ふと彼が、バッグの中から青色のスカーフを取り出した。
「これ、ルアンパバーンで買った約束のおみやげ。やっと渡せたよ」
「ありがとう。私の大好きな青を選んでくれたんだね。似合う?」
ひらりと肩にかけたスカーフがワンピースの青と同化する。
「何から言い訳すればいい?伝えたいことがいっぱいありすぎて・・・」
「よし!じゃ俺ビール買ってくるよ」
※ ※
アンコールビールで乾杯すると私は語り始めた。
「まず、なんで急にいなくなっちゃったかを話さなきゃね」
「ほんとごめん。ロイクラトンの夜に俺が・・・。男らしくビシッと決めてれば」
「ううん。逃げ出しちゃった理由はもっと深いところにあったから・・・」
「・・・・・・」
「カズさんの気持ちは痛いほど分かってた。でもね、これまで私に近づいてきた男たちってトラニーチェイサーばっかりだったの・・。だから、なんだか自信なくなっちゃって・・・」
つまり、どっぷりとニューハーフの世界に浸かった私はストレートな人との純愛に戸惑いを覚えていたのだ。
※トラニーチェイサー=Tranny Chaser(MtF、FtM、Xジェンダーなどに特別な性欲や恋愛感情を抱く者)=トラニー(トランスする人)をチェイス(追いかける)するという意味の俗語。
「それからね。もう一つ。これはどんなに頑張っても絶対に乗り越えられない壁。カズさんっていつも子供が大好きって言うじゃない?いつかは結婚して家庭を持ちたいって。私はその言葉を聞くたびに苦しかった」
これは、私たちMtFにとって最大の苦悩である。
「手を繋ぐだけでいい」という心理状態に陥る根本原因だ。
どんなに医学が進歩しようが、真の性別適合手術が可能となる日はまだ先であろう。
二人に立ちはだかる壁の存在に沈んだ空気が漂いかける・・・。
「家族って血の繋がりだけが大事なのかな?昼間、訪問した孤児院でシンナーを吸ってる少年をみてたらさ、俺らが家族になったっていいんだよなーって思えて。縁あって出会ったさくら苑の子供たちだけでもなんとかしてやりたいじゃん」
「えっ?さくら苑!?こんな偶然って・・・」
「酩酊する少年がアヤカって名前を譫言のように繰り返してた。その一言で俺はどんなに勇気付けられたか」
私はかつて、これほどまで大きな愛を感じられた日があっただろうか。
渇ききらない瞳から再び大粒の涙が溢れだす。
「ごめんね。私、泣きすぎだよね。周りのカップルに注目されちゃってる」
「静かな所に移動しようか?」
「うん・・・」
※ ※
カズさんが、シェムリアップで古参の実業家に連絡を入れて二人の再会を報告している。そして、無理を言ってオープンしたてのリゾートホテルの当日予約を取ってもらったのだ。
彼は、先日面接を受けたゲストハウスのオーナーと知り合いだったのである。私の行方を探すために「うっちーさん」は惜しみない協力をしてくれたそうだ。
手を繋いで乗ったトゥクトゥクはカボチャの馬車。
シェムリアップに注がれる祝福の雨。
その夜、二つの宇宙が結ばれたのだ。
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