第44話「そばにいるよ」

 思いがけない情報がもたらされたのはアンコール遺跡で神秘体験が舞い降りた翌日だった。日本人会のメンバーが経営するゲストハウスで勤務時間が13時からのアルバイトを募集しているとの情報が入ったのである。


仕事が決まればビジネスビザを取得できるので、面倒なからも開放される。シェムリアップでの生活は格段に安定するだろう。

※ビザラン=観光ビザの期限ギリギリに出入国を繰り返して滞在期限を延長する行為。国境での審査は年々厳しくなっている。


すぐに面接を受けた私は「近日中にこちらから連絡をさせていただきます」と約束してプラチナムロードのオフィスを後にした。


しかし、こんな展望が開きかけたと同時に問題が起こった。


     ※     ※


 その日の朝。さくら苑に着いた私は妙な空気を感じ取った。

真っ先に飛んでくるはずのが見当たらないのである。


他の子供たちに、彼の行きそうな場所を尋ねてみても「知らない」の一点張りだ。


(口止めされているのかも・・・)


そんな様子が伺えたが、状況を問いただそうにも習いたてのクメール語では埒が明かない。また、こんな時に限って、普段はトゥクトゥクの荷台で昼寝するサムくんも一旦街まで戻っていた。


壊れたスマホの修理をケチっていたことが悔やまれる。


結局、この件をサチエさんに報告できたのは午後になってからだった。


「お金を持たない少年が、そう遠くへ行けるはずがないわ」


探す宛など無かったが、不安がつのる支援メンバーたちは街道沿いの民家や商店を片っ端から聞き込みに回った。


     ※     ※


 有力な情報が得られぬまま数日が過ぎると、サチエさんの携帯に1本の電話が入った。


「息子が帰ってきたが家では食わせることができない。早く引取にきてほしい」


なんと、さくら苑から抜け出した少年は、過去の記憶を頼りに50キロ以上も離れた実家まで戻っていたのだ。


何を思い、何を求めて進んだのであろう。


延々と続く赤土の道を歩んだ先で待っていたのは、あまりに酷い仕打ちだった。


私たちは、少年が見つかったことで胸を撫で下ろすとともに、やるせない気持ちで誰もが目頭を押さえた。


少しずつ開き始めた少年の心は、再び閉ざされてしまったのだ。

一時は止めていたシンナーに手が伸びるまで時間は掛からなかった。


ゼロから、いやマイナスからのスタートだ・・・。

だが、こんな所で諦めるつもりはこれっぽっちもない。


「いつまでだって傍にいるよ」


 このように、東奔西走していたせいで私は面接先に連絡を入れることすら忘れていたのだ。


シェムリアップの日々は慌ただしく過ぎて行く。


白馬に乗った王子様が間近まで迫っているとも知らずに・・・。

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