第39話 手を繋ぐくらいでいい

 安宿で数週間の滞在を終えた私は、シェムリアップ川を渡った先の外国人向けアパートを契約した。バスタブやキッチン、クローゼットまで備えている上に家賃は200ドルと十分に予算の範囲内である。オールドマーケットで売られる食材で自炊をすれば、生活費はかなり節約できそうだ。


 無事にアパートが決まった私は、本格的にボランティアの受け入れ先を探し始めた。

ところが、周辺エリアのボランティア事情を知れば知るほどが浮き彫りになったのである。


     ※     ※


 現在、カンボジア国内には250以上もの孤児院が存在するが、多くの施設が海外からの援助で成り立つそうだ。

しかし、悲しいかな、その慈善事業が「ボランツーリズム」、または「孤児院ツーリズム」と呼ばれる悪徳ビジネスの温床になっている。

福祉施設を運営する団体は、訪れる旅行者の善意につけこみ、「あなたもカンボジアでボランティア体験しませんか?」と、まるでオプショナルツアーのようなうたい文句で広告を打ち、子供たちを寄付金を集めるための看板に使っているのだ。


つまり、「貧困はカネになる」


また、日本からの援助で学校を建てたはいいが、後の運営が上手くいかず、慢性的な教師不足や寄付で贈られた物資を親族が転売してしまうといった事例にも悩まされている。


今、カンボジアに必要なのはハード(箱物)ではなくソフト(人)の支援である。


 ちなみに、バンコクで見かける物乞いたちがマフィアの管理下にあるのは有名な話だ。衆目の関心を引くため、障害をもつ人々を貧しい地域から集めてきては路上に座らせているのだ。

驚くべきことに、物乞いをさせる目的で赤ん坊の手足を切り取ってしまうという信じ難い噂も囁かれている。


仏教の教えから、タイ人は恵まれない人に金品を与えることで徳を積めると信じているので、これもその善意につけ込んだ悪質な貧困ビジネスの一つといえよう。


「やらない善よりやる偽善」との主張も分からなくはないが、安易な施しは負の連鎖を常態化させるので注意が必要だ。


 ここに、ノーベル平和賞を受賞した『マザー・テレサ』が、黒柳徹子さんに送ったと伝えられるメッセージがある。


「自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、他人によく思われたいだけの偽善者である」


「大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、目の前にある人に対して、愛を持って接することだ」


「日本人は他国のことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」 


1981年の来日当時に、既に日本の将来を予知していたかのような至言であろう。


私がこの街に辿り着いたのは偶然ではないはずだ。

マザー・テレサに「日本へ帰れ」とお叱りを受けぬよう精進しなければならない。


     ※     ※


 幸いにも、シェムリアップの人々は皆温厚でトゥクトゥクのドライバーともすぐに仲良くなった。

運転手の青年は、私のつたない英語と地図を頼りに孤児院巡りをサポートしてくれたのである。

シャイな彼にクメール語を習い、現地の言葉を1つ2つと覚えていくうちに世界は少しずつ広がった。マーケットや屋台のおばちゃんとも冗談を言い合うようになった。


「これが現地で暮らすってことなんだ・・・」


バンコクでは日本人同士の交流しかしてこなかった自分に、今更ながら気付いたのである。


 コールセンターは現地スタッフと接する機会が少ない職種のため、ベテラン社員でもタイ語が全くしゃべれない人もだった。

タイ語どころか英語すら話せなくてもバンコクで生活するぶんには、なんら支障はない。

よって、多くの社員が現地採用という貴重な時間を狭いコミニュティの中だけで完結させるのが現実だ。

そして、一年もせず、「コールセンターなんてスキルにならなかった」と、捨て台詞を吐いてタイを去っていく。


     ※     ※


 バンコク生活を省みながら、私はドライバーの青年にあの人の面影を重ねていた。


(カズさん・・・。もう私のことなんて忘れちゃったかな?)


「会いたいよ・・・」


「・・・・」


「手を繋ぐだけでいいなんて、そんなの嘘に決まってるじゃん!!」


前触れのない絶叫に、ビクッと肩を竦めたドライバーが荷台を振り返った。


「ごめんね。なんでもないの・・・」


カンボジアの熱い風が止めどなく流れる涙を拭っていく。

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