第38話 湖上の娼婦
その夜。私は民家に近づくボートのエンジン音で目を覚ました。
さほど遅い時間ではなかったが、マリファナパーティで遊び疲れたメンバーは寝息を立てている。
私はハンモックの上から薄目で様子を窺った。
辺りを照らす月は、まるで夜の太陽だ。
ややあって、桟橋に着けれられたボートに、ケバいメイクを施す長女が飛び移っていった。
チープなフレグランスの残り香が鼻につく。
(これはもしや・・・・)
彼女は夜な夜な「売春」をしているのではないだろうか?
私がこんなことを思ったのは、昼間、化粧台に置かれた半開きのポーチに、大量のコンドームが詰まっているのを見てしまったからだ。
彼女は今、そのピンク色のポーチを片手に家を出たのである。
私は、上っ面だけで「水上生活って最高!」と、連呼する自分が恥ずかくなった。
※ ※
カンボジアには周辺諸国の例に漏れず、多くの「置屋」が存在する。
そこで働く娼婦の大部分はベトナム人だ。
一昔前まではシェムリアップの路地裏にも、たくさんの売春宿が軒を連ねていたという。
どこの国でも、性産業に従事するのは決まって立場の弱いマイノリティだ。
彼女たちは我々と比べて能力が劣っているわけではない。
もちろん、好き好んでやっているわけでもない。
「生まれた環境」だけが後の人生を決定付けるのである。
人の欲望がある限り、どんなに取締りを強化しようが性風俗産業がこの世から消滅することはないだろう。それならば、せめてセックスワーカーにも然るべき社会保障を与えるべきだ。
※ ※
翌日、陸地へ戻るボートが三人を迎えにやって来た。
ご家族に別れを告げる時も、私は昨夜の場面が頭から離れずに長女の顔を正視できなかった。しかし、これは氷山の一角に過ぎない。カンボジアには、なおいっそう悲惨な境遇で暮らす子供たちがいる。
水上集落のホームステイ経験を経て、私は改めて児童福祉に臨む決意を固めたのである。
このようなわけで、旅のエンディングは多少後味が悪いものになってしまったのだ。
だが、その一方で大学生の二人に嬉しい変化が
ヘナチョコだった彼らが、今は私の荷物を率先して運んでくれている。
先を歩く背中は、この旅を境に一回り大きくなったようだ。
「いろいろあったけど楽しかったよ。ありがとう」
「こちらこそ、お世話になりました。いつかまたアヤカ姐さんと冒険できる日を楽しみにしています!」
政府の管理が及びにくい水上集落には、まだまだ想像もつかない謎が潜んでいてもおかしくはない。広大無辺の湖上にマリファナや置屋まで存在するのである。
私が、そんなトンレサップ湖の深い闇に触れるのは、もう少し先の話だ。
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