第31話 シェムリアップの街へ

 空港でアライバルビザを取得した私は、知る人ぞ知るバックパッカー御用達の日本人宿に向った。


 ゲストハウスが乱立するシェムリアップにおいて、わざわざ邦人が集まる場所を選ぶ理由は「かゆいところに手が届く」サービスである。併設されたレストランではリーズナブルな値段で日本食が味わえるばかりか、豊富なラインナップのマンガやDVDが見放題のため暇つぶしにも事欠かない。

また、フロントで見かけたフリーペーパーには、経験やスキルは不問の求人募集が何件も載っていた。


「明日は住環境のチェックも兼ねて付近を散策してみよう!」


再就職への希望が見えた私の心に、若干の余裕が生まれていた。


     ※     ※


 翌日、デイバッグに地球の歩き方とタオルを放り込こんだ私は、トゥクトゥクに揺られながらアンコール遺跡群の集まる広大な敷地内へと進んでいった。


 はじめに訪れたアンコールワットは、四方を約1,5キロの塀に囲まれた世界最大級の石造寺院である。

正面で出迎えるナーガ蛇神像(水神)は復元レプリカだが、「邪な心を持つ者を一喝する」との伝説が残る迫力にあふれたアンコール彫刻だ。

入口から本殿まで続く参道の修復には上智大学が携わっているという。歴史的価値の高い仏教遺跡の修復プロジェクトに日本が参加できたことは誇らしい限りだ。


 次に向かったアンコールトムはクメール時代最大の都城だったそうだ。遺跡の中央で頬笑みを湛えるバイヨン(観音菩薩像)は圧倒的な存在感で来訪者を不思議の世界へと誘ってくれる。この像は現在でも何の為に造られたのかはハッキリと解明されていない。

また、少し離れた「癩王らいおうのテラス」は、実際にアンコールトムを訪れた三島由紀夫が戯曲を書いたことで知られている。


 最後に紹介するのは、映画「トゥームレイダー」の撮影で使われたタ・プロームだ。タ・プロームとは「梵天の古老」という意味で、熱心な仏教徒であったジャヤーヴァルマン7世が母を弔うために建てたものとされている。

ガジュマルの巨木が、朽ちた遺跡を今にも飲み込みそうな勢いで覆いかぶさる姿は、悠久の時が作った自然と遺跡のコラボレーションだ。


 以上、これら3カ所はもちろん見逃すわけにいかないが、まで足を伸ばせば、静かな場所でヨガや瞑想も楽しめる。木陰に座ってマリファナでも燻らせれば当時の人々の息吹までもが感じられそうだ。


遺跡と瞑想。これを凌ぐセッティングはそうそうない。


     ※     ※


 駆け足で主要スポットを巡ったつもりが、街に戻った時には既に日も落ちかけていた。わざわざ宿に帰ってから出直すのも面倒だと感じた私は、パブストリート沿いのレストランで、チャー・トロクン(空芯菜炒め)や、コー・サツ・チィルク(豚肉と竹の子と卵の煮込み料理)をつまみにアンコールビールを傾けた。


 食事の後、ほろ酔い気分で街歩きをしてみると、繁華街はフレンチやイタリアンをはじめとする多国籍の飲食店で賑わっていた。変わり種では「喜び組」のショーが評判のピョンヤンレストランなる怪し気な店まで存在する。

また、ひとたび路地裏に入れば、ひっそりと営業するカフェやマニアックな品揃えの古本屋など隠れ家的な店が何件も見つかった。


 バンコクの喧騒に疲れ気味だった私は、コンパクトで奥が深いシェムリアップの街が早くも大好きになっていた。


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