第29話「からだ売ってこいよ」

 彼が組を抜けてからも私は別系列のニューハーフバーで仕事を続けたが、その収入のほとんどは「白い粉」に費やされた。一日中、覚醒剤に溺れる彼から微笑みは消え、効果が切れると暴力まで振るう始末である。


そして、ついに貯金も尽きかけた頃に、目だけをギラギラさせる彼から耳を疑う言葉が放たれた。


「アヤカ。からだ売ってこいよ」


「えっ!?」


それはまるで、コンビニへ行くついでにタバコでも頼むかのように軽い口調だった。


このセリフ聞いた瞬間、私は改めて覚醒剤の怖さとを見た気がしたのだ。


(もうダメかも・・・)


痩せこける彼を連れて、いっそひと思いに死んでしまおうか・・・。


नमोऽमिताभाय(ナモ・アミターバーヤ)

नमोऽमिताभाय(ナモ・アミターバーヤ)


全ては仏のはからいのままに・・・。


無力感に打ちひしがれる私が一心に念仏をとなえていると、ふいにいつか見たドラマのワンシーンがよみがえった。


     ※     ※


 老人はヘロイン中毒の少年に語りかける。


「この枝を見てごらん。今から蝶の羽化が始まるところだよ。サナギの殻を破って広い世界へと飛び立とうとしているんだ。情け深い君は、身体をくねらせ、必死でもがく姿を不憫に思うだろう」


「・・・・・」


「でもね、もしこれを我々が手助けしてしまったら、この蝶は長くは生きられないんだ。君のクスリを取り上げるのは簡単だ。それをしない理由が分かるかい?」


「・・・・」


「最後の一歩だけは、自分の足で踏みだすことに意味があるからさ」


     ※     ※


「私が近くにいてはいけない!」


 このような、どん底状態で目に止まったのがバンコクコールセンターの求人だったのである。


     ※     ※


「あ、そういえば、来週からナオキくんと旅行にいくんだって?」

作り笑いを浮かべた私は取り繕うように話を変えた。


「あのは危ないところでも平気で進んじゃう性格でしょ?ちゃんとカズさんがコントロールしなきゃ」


「確かに・・・。アッハハハ。おみやげ買ってくるんで楽しみに待っててください」


 人々の祈りをのせた灯籠がチャオプラヤ川を淡い光の列となって流れていく。


二人で過ごすロイクラトンの夜は、ホロ苦い思い出とともに更けていった。

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