第28話 崩れ去る日々
対岸から花火が打ち上げられると歓声が沸き起った。
辺りは興奮に包まれてロイクラトンの会場は最高潮の盛り上がりをみせている。
やっとの思いで川岸に辿り着いた二人は、大切に運んできたクラトンをそっと水面に浮かべた。
互いの視線が絡み合う。
カズさんの横顔が揺れるロウソクの炎でオレンジ色に照らされている。
私の心も揺れていた。
無事にクラトンを流し終えた二人は、人混みから逃げるように少し離れたデッキのベンチまで移動した。
「今日は誘ってくれてありがとね。ホントに私なんかで良かったの?」
「一緒に行くなら絶対アヤカさんだって決めてました!」
返ってきたカズさんの言葉を、私は「ありがとう」と素直に受け止めれば良かったのだ。
しかし、口をついて出たのは、話の腰を折るような脈絡のないセリフだった。
「私ね。バンコクに来る直前まで付き合ってた彼氏がいたの・・・」
カズさんは黙って次の言葉を待っている。
「実は、その人の暴力に耐えられなくて逃げてきたの。だから私、今はもう男の人の何もかもが信じられなくなっちゃった。人を好きになって傷つくのが怖い・・・」
「・・・・」
「ごめんね。急に変な話しちゃって」
※ ※
ここで、思い出したくもない辛い過去、「歌舞伎町の彼との顛末」について触れておこう。
一気に燃え上がった二人は、ほどなくして同棲生活を始めた。
勘当されたニューハーフと歌舞伎町のヤクザ。
いかにも危うい組み合わせのカップルは意外にも長く続いたのだ。
働き始めて一年半が経ち、私の銀行口座には予想以上に早く性別適合手術の費用が貯まっていた。「指名ナンバーワン」の稼ぎは、一流企業の部長クラスと比べても何ら遜色なかったからだ。
「半年待ち」と断られた人気の病院に「寄付金」という名の裏金を収めると、待機順番はあっさりと繰り上がった。
こうして、1ヶ月の長期休暇を取った私は単身プーケットへと旅立ったのである。
※ ※
水商売の道を選んでからSRSを終えるまでの人生は、怖いくらいに順調だった。
だが、その幸せは脆くも崩れ去る。
更に一年ほど過ぎたある日の早朝。めずらしく事務所に呼び出された彼が半殺し状態でマンションに帰ってきた。
「アヤカ。ごめんな。俺、破門になっちゃうかも・・・」
ソファに倒れ込んだ彼の瞼がゴルフボール大に腫れている。
同じ組員に、ここまで酷い暴行を受けたのは初めてだった。
普通ならすぐに救急車を呼ぶところだが、病院にすら行かないと言い張る彼を無理やり受診させたのは3日後である。
「なんでもっと早く連れて来なかった!」と怒る医師に告げられた診断結果は、眼窩底骨折と数えきれないほどの打撲症だ。
最悪の事態こそ免れたものの、今ごろになって二人の生活が「安定とは一番遠い世界」で成り立つ現実を思い知らされたのである。
ケガの具合が落ち着くと「裏社会の事情」を話したがらなかった彼が、暴行事件の一部始終を語ってくれた。
「俺は嵌められたんだ・・・。こっちの売上が良いことを妬んだヤツラが因縁をつけてきやがった。クソがっ!」
当時の彼は、ニューハーフバーの他にもホストクラブを4件ほど任されるまで出世しており、その経営スタイルは接客マナーや明朗会計にこだわるスマートなやり方だ。彼の仕切る店はどこも常連客で溢れ、組織に収める金も相当な額に上っていた。手腕を高く買われた彼は、まさに組の出世頭だったのである。
ところが、実直で経営センスに恵まれた男を旧態依然の武闘派グループが良く思うはずはない。彼を煙たがる一派が、なんと中国人マフィアとの繋がりをでっち上げたのである。
「外国人グループとつるんでシャブを売りさばいている」という、あり得ないシナリオの濡れ衣を着せられたのだ。
もちろん、彼には客で来店する中国人マフィアの知り合いはいたが、会釈を交わす程度のごく浅い関係でしかなかった。よって、疑いの件は完全に捏造である。
タイミングが悪かったといえばそれまでだが、このようにヤクザ社会がピリピリする原因の一つは、元都知事時代に開始された「歌舞伎町浄化作戦」であろう。
締めつけが強化されてからというもの、東洋一の歓楽街と謳われた歌舞伎町の衰退は著しく、どの組織にも僅かな抜け駆けさえ許さない緊迫のムードが漂っていた。
事実無根を訴えた彼だが、それ以降、組からの扱いは酷いものである。
店舗のシノギは全て奪われ、代わりに与えられたのは客引きやスカウトといった下っ端仕事だった。組織の発展につくした男のプライドはズタボロだ。「姐さん」などと私を慕ってくれた彼の部下たちも潮が引くように去っていった。
やがて、辛抱たまらず組を抜けた彼は、なんの因果か関係を疑われた中国人グループと付き合うようになり、シャブの底なし沼へと足を踏み入れるのである。
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