第25話 歌舞伎町
水パイプからポコポコと吸い上げた煙が驚くほどマイルドだ。いがらっぽいジョイントとの差は歴然である。
(もっと早く買っとけばよかったなぁ・・・)
大満足の私が仰向けで天井を見つめていると、先ほど起きたカオサンでの揉め事と重なるように水商売時代の日々が思い出された。
「彼にも、あんな風に助けてもらったんだよね・・・」
※ ※
初めての出会いはニューハーフバーの面接である。
友人の紹介で訪れた歌舞伎町の雑居ビルで待っていたのは物腰の柔らかな中年男性だった。
硬い面持ちの私は、店長と名乗るその男から店のシステムや給与形態について説明を受けた。
おおまかに言うと、ここのニューハーフバーではキャバクラと同等のサービスが提供されており、風営法上は禁止の接待行為までが仕事内容に含まれるそうだ。
こんな話を聞いた時点で、私は「どうしたものか?」と迷っていた。全くの未経験者で感情が態度に出やすい自分に酔っぱらいの相手が務まるだろうか?
次から次へと不安要素が浮かんだが、かつて経験したバイトとはケタ違いの報酬は魅力的だ。
一人暮らしが楽になるばかりか、金銭面で諦めかけていた性別適合手術の夢が叶うかもしれない。
オペの費用は希望する内容によって千差万別なので、「数百万単位のお金が必要」とだけお伝えしておこう。
とにかく、時給1000円のバイトのままでは、資金が貯まる前におっさんになってしまう。また、フルタイムのMtFにとって、時給1000円の仕事を見付けることすら困難な日本の現状は前述の通りだ。
こうして様々な葛藤の末、私は夜の世界へと飛び込んだのである。
実際に働き始めて3ヶ月もする頃には、すっかり水商売に馴染んでいた。
手際よく水割りを作り、客のタバコに火をつける。気前の良さそうな男の同伴やアフターも怠らない。人間関係もことのほか良好で、心配だったイジメなどの煩わしい問題も起こらなかった。
もちろん中には変わり者もいたが、ネチっこい人間が少ないのは、やはり「元は男」であった所以であろう。
「男社会」の毎日は、おどろくほど充実していたが、順調に指名が付くのと同時に露骨な夜の誘いやおさわりなど、やっかいな客にあたる場面も増えてきた。
そんな、ある晩に事件は発生する。
スカートの奥まで手を入れてきた客に「ヤメテ!」と大声をあげた直後・・・。
「テメーぶっ殺すぞ!表にでろ!」
カウンターの裏から駆けつけたのは店長だった。
そして、いきなり客の襟首を捕まえるやいなや、店の外に引きずり出してしまったのである。
普段は物静かな彼の剣幕に店内の空気が凍りつく。
その後、私がバックルームで膝を抱えていると、息をはずませる店長が戻ってきた。
「ハァハァハァ・・・。大丈夫?あいつは出禁にしといたよ」
「すみません。ホールの雰囲気、悪くなっちゃいましたよね・・・」
「全然気にしないで。あの客はやり過ぎだ」
「ありがとう・・ございま・・した・・・」
緊張の糸が切れた私の目に涙が滲んだ。
「俺も若くねえから、最近じゃ滅多にキレないんだけどね。アヤカちゃん・・・君は特別だよ」
(私は特別・・・・)
この夜の騒動がキッカケで二人の交際が始まったのである。
唇を重ねた彼が、歌舞伎町を縄張りにするヤクザの構成員であると知ったのは先になってからだった。
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