第22話 スコールの記憶

 ラン島には数カ所の海水浴場があるが、アクセスがよいメインエリアは中国人団体客が占拠中だ。

そのため、まったりと静かに過ごしたい方は、今回私たちが訪れた南側の「セームビーチ」を目指すといいだろう。 


 白い砂浜とエメラルドグリーンの海。真正面には、とてもここがバンコクから2時間とは思えぬパノラマが広がっている。


閑古鳥が鳴く隅っこの海の家でビーチチェアを借りた三人は、さっそくビールで乾杯と相成った。


「いやー、たまには海もいいっすねー!」


遠くを眺めるナオキくんから、ジョイントのが回ってきた。


素知らぬふりでキャッチし、息を詰めた私からパスが繋がる。


「グッジョーーブ!ナオキ!」


そう言って満足気に目を細めたのはカズさんだ。


絶対的弛緩。

肉体は母なる地球に溶け込んでいく。


     ※     ※


アーナンダよ、

ベーサーリーは楽しい

ウデーナ霊樹の地は楽しい

ゴータマカ霊樹の地は楽しい

七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい

タフブッダ霊樹の地は楽しい

サーランダ霊樹の地は楽しい

チャーパーラ霊樹の地は楽しい。

出典:『大般涅槃経』中村元訳(パーリー語より)


世界は美しい。人の命は甘美である。


     ※     ※


太陽の恵みを全身に感じる私は、無上の幸福に包まれた。


しかし、その夢心地は長くは続かなかったのである。


ハイな水を差すように雲行きが怪しくなってきたからだ。


「スコール来そうっすね!」


「ざけんなよぉ・・・。いいとこなのに。とりあえずレストランに避難しよう」


今はまだ雨季の前だが、パタヤ沿岸は季節外れのスコールもめずらしくない。荷物を運び終えるのと同時にどしゃ降りの雨になった。


「ちょうど昼時なんでメシ食っちゃいますか」


 ナオキくんが適当な料理とカオニャオ(もち米)オーダーすると、私はバッグからシーバスリーガルを出した。


「準備いいなー。こんなのが入ってたから重かったんですね」

カズさんはボトルを手に呆れている。


しばらくすると、無愛想な店員がヤムウンセン(春雨サラダ)やムーピン(豚串焼き)などを次々と運んできた。


だが、一番に口をつけたナオキくんがサッと眉をひそめる。


「これ、食べないほうがいいっすよ。腐ってます・・・」


結局三人は、売店で買ったTAROをつまみに雨が上がるのを待つ羽目になった。


     ※     ※


 高校に入って初めての梅雨。

その日も外は接近する台風の影響で横殴りの雨に見舞われていた。


腹に響く雷鳴。

木々を揺らす風。


教室のガラスに大粒の雨が打ち付けている。


そんな荒れ模様の外を眺めていると、校門の側に佇む少年が目に映った。


(あれ?あの子・・・。あんなところで・・・)


「えっ!!ウソでしょ?!」


私は、一目散に教室を飛び出した。


後ろから教師の怒鳴り声が聞こえる。


靴を履き替える時間すらもどかしい。


疾走。


「ヨシキくん!!!」


ところが、傘もささずに向かった空間から既に少年は消えていたのだ。


     ※     ※


「おーい、姐さん。なにボーッとしてるんすかー?雨あがりましたよー」


私はナオキくんの一声で現実に戻された。


海の彼方。分厚い雲の隙間から幾筋もの光が差し込んでいる。

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