第5話 あの頃のイマジン

 中学生になって初めての夏休みを迎えた。


ガランとする部室のソファで、私はヨシキくんと一緒に覚えたての洋楽を聴いていた。


全部員が五名のギター部に、強豪のブラスバンド部との掛け持ちだった顧問が顔を出すことはめったにない。それに加えて夏休みともなれば、二人だけで練習する機会が頻繁にあった。


我家でも、本来ならば恒例行事のハワイ旅行に出かける時期だが、今年は私の強い反対で中止に追いやったのだ。


理由はもちろん、こうしてヨシキくんと逢いたいがためである。


小学生の頃からギターを習う彼は、機嫌が良いと弾き語りを聴かせてくれた。

すごく上手なのに、なぜか他の部員の前では頑なに歌おうとしない。


私は、ヒーローを独占するような優越感でその歌声に酔いしれた。


彼が弾くお得意のナンバーはジョンレノンの「イマジン」だ。


髪を赤く染めた少年は、どこか寂しげで絶望や諦めにも見て取れる表情つくる。


そして、儚い余韻を残して演奏が終った。


「シンイチ。今から話すのは独り言だと思って聞いてくれるか?」


ふいにヨシキくんは語りだした。


「俺が児童養護施設で暮らしてることは知ってるよな?」


「う、うん・・・」


「母親が男つくって蒸発しちゃったのは小学1年生の時だった。それからしばらくはオヤジと二人で生活してたんだけどさ。会社をリストラされたショックなのか覚醒剤に手を出しやがって・・・。真面目だけが取り柄のアイツはまたたく間に落ちぶれたよ。逮捕される直前はテーブルの上に堂々と注射器が転がっているような有様でさ。の職員に連れられて、俺が施設に入ったのは小4の春先だったかな・・・」


 そこまで一気に話したヨシキくんは制服の内ポケットからタバコを取り出すと、慣れた手つきで火をつけた。


「ちょっ!ヨシキくん?見つかったらヤバイよー」


「ビビんな!誰もこないって!!」


吐き捨てるように言った彼の頬を一筋の涙が伝った。


「ごめんな・・・急に。だからどーしたって話だよな」


「・・・・・」


「ところで、なんでシンイチはギター部なんかに移ったの?」


差し込む陽光で色づく彼が取り繕うように話題を変えた。


(君の近くに居たくてギター部に入ったの!!)


心のなかで叫んだが本音など言えるはずもない。


「イマジンが好きだったから・・・。かな?」


「なんだそれ?後付だろ?ハッハハハ。イマジンは施設の先生から初めて教わった曲なんだ。世界に国境はいらねーって意味なんだってさ・・・。自分の人生が散々なのに他人の幸せなんて祈ってる場合じゃねーんだけどよ」


「そんなこと無い!!いっぱい悲しみを知ってるヨシキくんが歌うから響くんだよ!」


「・・・・・。そっか・・・。ありがとな」


と、ここで話が終われば甘く切ない青春の1ページとして記憶にファイルされたはずだ。


しかし、現実は残酷である。


はにかみながらうつむく彼の拳にそっと掌を重ねた瞬間。


「キモっ!触んじゃねーよ!」


ビクッと身体を震わせたヨシキくんは、サッと手を引っ込めると、心底迷惑そうに部室を飛び出していったのだ。


いったい何が起きたというのか?


うっとりとする気持ちは木っ端微塵に消し飛んだ。


悔しさと切なさ。湧き上がる絶望。


「手を繋ぎたかっただけなのに・・・。こんなところにも越えられない国境があるんだね・・・」


それから私は、西日も落ちた暗い部室で時間を忘れて泣き続けた。


     ※     ※


 夢うつつで物思いにふけていると、飛行機はタイの上空で着陸体制に入った。


不快な耳鳴りに堪えながら窓の外に目を向けてみる。


眼下に輝く大都市バンコクの怪しげな街明かりは、私を魔境にでも誘っているかのように感じられた。

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