第3話 3人との別れ

「勇者」

「ちいっ。わかってる。荷を放れ」


 従者の言葉に勇者は周りを睨みつけるように見た。


 魔物の気配がする。殺気が肌を刺激するように刺さっていた。

 思った以上のプレッシャーを受け、以前ここにいた魔物よりも強いものがいるとわかった。


 誤算だった。先日来たときに見かけなかったから、大した魔物はいないとたかをくくっていた。

 そして正体は見つけることができた。身の丈4メートルほどで、木をへし折っただけの棍棒を持つ、一ツ目の魔物。


「くっ、サイクロプスか。あたしがひきつけている間にイナリを避難させろ!」

「はい!」


 従者はイナリの手を引き、走る。

 走りながらイナリは勇者の方へ目を向ける。すると振り下ろされる棍棒を右へ左へと舞うようにかわす勇者の姿が見えた。

 1対1なら余裕とまではいかないが、倒せない相手ではない。油断さえしなければやられはしない。そんな様子を感じ、イナリは顔を前へ戻した。



 従者は木の根元に窪みを見つけ、イナリを放り込むように詰め込んだ。1人がやっと入れるようなスペースで、巨大なサイクロプスではどうにもできないだろう。

 だがあくまでも1人分。従者が隠れることはできない。


「従者さんっ」

「僕は大丈夫です。他の場所を探しますから──」


 そう言った刹那、イナリの目の前から従者が消えた。

 勇者が特別な力を持つように、従者にも特別な力が……あるわけではない。

 従者はただの人間でしかないのだ。


 イナリは慌てて顔を出し左右を確認。すると少し離れたところに転がる従者の姿が見えた。


 そして自分の前には──サイクロプス。

 イナリは息を飲んだ。次は自分が狙われる。

 しかし幸いなことに、サイクロプスの意識は従者の方へ向けられており、イナリは文字通り眼中になかった。


「イナリ、手を伸ばせ!」


 勇者が叫ぶ。しかしイナリは完全に怯えてしまっており、動けない。


「早くしろ!」


 再び叫ぶ。するとイナリは意を決し、穴から腕を出す。

 すると勇者はその手を掴み、イナリを引きずり出してわきに抱え、走り出した。


「勇者様……っ」

「しくじった。まさか3体いるとはな」


 苦々しそうな口調でどんどん先へ進む。その速度はサイクロプスの機動力を上回っているため、追いつかれることはない。

 しかしイナリにはそれよりも重要なことがある。


「勇者様、従者さんが! 早く助けないと!」

「ああ、あれはもう駄目だ。放っておけ」


 勇者の言葉にイナリは慌てるように後ろを振り返る。

 そこにはサイクロプスが集まり、倒れこんでいる従者へ追い討ちをかけるように棍棒を叩き込んでいた。

 サイクロプスは人間を弄ぶ。それが死体になり、ばらばらになっても尚。


「今ならまだ助かります! 私なら大丈夫です! だから助けてあげて!」

「無理だっつってんだろ! 例え今連れてきたとして、どうなるってんだ!」

「私が治します……治しますから……」


 イナリは泣きながら懇願した。だが勇者の足が止まることはない。従者のいる場所がどんどん離れ、やがてサイクロプスも見えなくなっていた。


「勇者様、聞いてるんですか!? 勇者様!」

「いい加減にしろ!」


 勇者は腹の底に溜まったものを噴出すように叫んだ。

 彼女は勇者で、何度もこういった経験をしている。

 だからといって割り切れるわけではない。勇者になる前までただの人間……いや、今でも心は人間と大差ないのだから。

 頭では割り切っていても、魂までは偽ることができない。今まで一緒に過ごしていた従者を切り捨てるなんてそう簡単にできやしない。

 そんな勇者の苦渋に満ちた表情を見て、イナリは黙ることしかできなかった。



 やがて勇者たちは森を抜け、街道近くまでやってきた。

 イナリは勇者の肩から下ろされると、よろよろと森へと向かい足を進める。


「やめろイナリ。もうどうしようもないんだ」

「でも、私なら……治せるのに……」


「いいかイナリ、よく聞け。確かにイナリの能力は凄い。だけどな、あまりにも欠点だらけなんだ。例えばあいつを治すのに1時間かかるとする。その間イナリは動けないだろ? 襲われたらどうするつもりだ? それともあたしが守っていられるとでも思っているのか? 無理だ。あいつらは鈍いから1体くらいなんとかなる。だけど3体相手じゃあたしがやられちまう」

「じゃあ私、ここで待ってますから……」

「駄目だ。勇者は1人で行動してはいけない。これは絶対の決まりなんだ。従者が死んだらすぐ撤退する。でないと勇者が成り立たなくなってしまう」


 もしそれでも戦い、勇者がやられた場合、一番近くにいるもの──イナリが勇者になってしまう。それだけはなんとしてでも避けなくてはいけない。



 イナリは言葉が出なかった。


 今まで凄い凄いと言われ続け、いい気になっていた。自分には優れた力があり、それがあればどんなことでもできると自惚れていた。

 しかし実際にはただの役立たずでしかない。いや、自分のせいで従者が死んだと言われても仕方がない状況だった。


 イナリは自らの行いを呪った。あそこで自分がいなければ、従者が代わりに隠れることができた。

 いや、それ以前に泉を見たいと我侭を言わなければ。それよりも勇者に出会わなければ従者が危険に巻き込まれることはなかったと。


 勇者は呆然としているイナリの手を引き、街道を無言で進み始めた。




 リブにある勇者の家へたどり着き、勇者は赤い煙を出す素材を炉に放り込み、火をつけた。

 イナリは部屋の隅でうずくまり、何もしゃべることなく固まっていた。


 やがて外が賑やかしくなってきた。恐らくは使者──次の従者が来たのだろう。

 イナリは今、そんなことはどうでもよかった。イナリにとっての従者は、あの少年だけだ。


 だがイナリはハッとした。リブは学校があり、幼少から通っていた。知り合いも多い。

 慌てるように扉を開け、そこにいる人物を見て思わず声を出す。


「せ、先生!?」

「ん? おお、イナリじゃないか。久しぶりだな」


 久々の再開に、イナリの心は楽になろうとしていた。が、それは一瞬でしかなかった。

 なにせここへ来たということは、彼が次の従者になるということだったからだ。


 イナリはその場で崩れ落ちる。自分1人のために、たくさんの被害を出してしまったことに耐え切れなくなっていた。


「お、おい大丈夫なのか?」

「さっき目の前で従者がやられたの見ちまったからな。少し休ませておこう」

「それよりも護衛とさっき聞いたが、まさかイナリをとはなぁ」

「詳しい話は道すがらでいいか。イナリ、あたしらはちょっと出てくる。大人しく待っててくれよ」


 そう言い残し、勇者と新しい従者であるイナリの先生だった人はリアカーを持ち道を戻っていった。


 2人が遠ざかり、見えなくなる姿をイナリは虚ろな目で見送る。

 考えが纏まらず、ほぼ意識がない状態だった。

 勇者たちが一体どこへ何をしに行ったのかも理解できないまま、日が落ちていった。



 やがて遠くから松明の明かりが近付いてくるのが見えた。

 勇者たちは一体何をしに行ったのか。ぼーっとイナリは考える。

 そこで突然頭の中に意識が戻る。ひょっとして従者を助けに行ったのではないかと。

 そうとわかれば行くしかないと、イナリは無我夢中で走った。



「勇者様!」

「おっと。もう回復したのか」


 イナリは勇者の言葉に返事もせず、先生の牽いているリアカーに飛びつく。

 中にあったのは、放り出した荷物と、布がかかった何か。

 この中に、従者がいる。そう思ったイナリは、その布に手をかけた。


「待てイナリ! 見るな!」


 勇者の制止は遅く、イナリは布を剥ぎ取った。



 そこにあったのは、原型すらない、ただの赤黒い肉と骨の塊だった。



 イナリは吐いた。口から胃や内臓まで出すのではないかというくらいに。


 しかしそれを済ませたイナリは、その塊に向かい震える手を伸ばした。

 そして一気に集中。治癒の魔法を発動させた。


「おいイナリ。そんなことをしても──」

「あの子の好きにさせてやってください」


 イナリを止めようとした勇者を、先生は静止させる。

 彼は小さい頃からイナリを知っている。素直な子ではあるが、たまに言い出したらきかない我侭なところがある。そして一度集中してしまうと、何も受け付けなくなってしまう。

 だからここは見守ることしか出来なかった。





 次にイナリが気を取り戻したのは、ベッドの上だった。

 


「あの、私……」

「ん? 気がついたか。しかしイナリは凄いな。あれから6時間もずっと集中しっぱなしだったぞ。まあその後気絶してぶっ倒れたけどな」



「それでその、従者さんは……」

「ああ、墓地の一角を使わせてもらった。行くか?」

「……はい」


 勇者はイナリの手を引き、村から少し外れたところにある墓地の隅へやってきた。



 当然だがそこに少年の姿はなく、ただ冷たい石が積んであるだけだった。


「たまには花でも添えてやってくれよ」


 勇者はイナリの頭にそっと手を置いた。


 そこでイナリは初めて泣いた。ただひたすらに、声と涙のある限り。

 溢れ出す感情は脳まで支配し、何も考えられず、泣くだけしかできなかった。


 話を聞き駆けつけた両親にも気付かず、その場には何もいないかのように。



「もういいか? イナリ」


 喚くのに力を使いすぎ、項垂れているイナリに勇者は言う。

 イナリは一言も発することなく、頷きさえもしない。


 そんなイナリを勇者は抱きしめた。


「これが勇者と関わるということだ。辛いのはわかる。だけどな、いつまでもひきずっていてはいけないんだ。忘れないといけないことなんだよ」

「……忘れるなんて……できません……」


 たった数日の話でしかない。だが一緒に居て、いろんな話をした。たくさんの笑顔ができた。そんな相手を忘れてくれと言われたからといって忘れられるはずがない。


「ならそれでもいい。あたしらは諦めていたんだ。自分が死ぬことで悲しむ人なんていないってな。でも、こうやって泣いてくれるのは素直にうれしい。あいつもうかばれるだろうよ。ありがとうな」


 勇者はイナリの頭をなでながら、耳元でそう伝えた。





 結局イナリは町へ戻ることにした。

 両親は辛いなら村に戻ってもいいと言ったが、イナリは決心したように学校へ通う。


 自分の力は周りが言うほどのものではない。そんな言葉に自惚れてはいけない。

 自分の願う自分になる。そのためにたくさん学ぼうと思った。







 1年後、全ての傷を治し、魂を引き戻すほどの魔法を手にした少女がナヨルに現れた。



 彼女の名はイナリ。治癒を越えるもの。



 ──享年、14歳。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

少女より世界へ 狐付き @kitsunetsuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ