第2話 ふたりとの楽しい旅
従者は黄煙材を外し、青煙材に変えた。これにより勇者の家から発する煙は青へと変化する。
急な変更に見張り台の衛兵は首をかしげ、下へ伝える。何かが起こったのかもしれない。
だが煙は赤ではなく青だ。呼び出しをしているのではないだろうかと考え、数人の使者が向かう。
使者というのは予備の従者──つまり、勇者候補だ。
従者が死んだ場合、勇者は従者を補充しなくてはならない。各町村にいる予備従者が使者として勇者との間を取り持つ。
それほど勇者とは人と接することがないものだ。
間もなく使者は勇者の家へ辿り着き、ドアをノックしたら現れる従者と接触する。
「どうかなさいましたか?」
「ああ、えっと……、勇者が忘れ物をしたらしいので戻ります。2週間ほどでまた来ますので」
おかしいと思って使者が来るのはわかっていた。しかしこの従者は嘘や言い訳が苦手だった。不安になりながらも適当な台詞を吐く。
「しかし勇者は深手を負っていたようでしたが」
「えっ……、えっとそれは……そう、昨日いただいた薬がよく効いたみたいです」
「そうですか。あまり無理をなされぬよう」
「はい、そう伝えておきます」
町へ引き返す使者を見て、従者は苦しいため息をついた。こういう役目は勘弁してほしいと。
『あまり無理せぬよう』。それは上辺や建前、常套句の類ではなく、本心でそう思っている。
なにせもし勇者になにかがあったら、次の勇者候補は自分になってしまうかもしれない。彼らはできることなら勇者になりたくはなかった。
使者、従者、そして勇者になるものの多くは孤児である。
小さな頃から勇者になるべく教育され、訓練を受ける。
そして使者となったとき、それなりに裕福な生活を送ることができる。いつ死地へ赴くことになるかわからぬ彼らへ、せめてもの餞別代わりだ。
従者になることなく町で一生を終えるものもいるだろう。しかし常に覚悟して生きなくてはいけないのも辛いものだ。
とはいえ彼らも人間だ。一度並とはいえ裕福な生活をしてしまうと、どうしても欲が出てしまう。
それがあの言葉だ。
「よお、どうだった?」
勇者は従者がこういったことが苦手なのを知っており、少し嫌な笑いで迎えた。
従者は冷静を保ちつつも、むっとしたような感じで答えた。
「ああいったことをもうやらせないでくださいよ」
「ははっ。まあいいじゃないか。これも経験だ」
これ以上経験したところで活かす機会などないのでは、という考えを飲み込み、従者はふてるように顔をそむけた。
そんな様子を勇者はいらずらっぽく笑う。
イナリは2人のやりとりを見て頬が緩む。
「んでどうするか……今何時だ?」
「もうじき8時になりますね」
勇者は考える。次の町村まで、順当にいけば今から出ても夕方過ぎに着くことができる。
イナリは荷をまとめて出てきているから、自分たちが準備すればすぐにでも出られるだろう。
「じゃあメシでも食ってさっさと行こうか。これ以上長引かせたら出発が明日になっちまう」
「わかりました。イナリさんもご一緒にどうですか?」
遠慮しようと思ったが、朝から何も食べていないし、これから昼まで歩き通しになるだろうから今のうちに食べておかないと迷惑をかけてしまう。
イナリはそろそろ鳴り出すであろうお腹のことを考え、相伴にあずかった。
「さて行くが、結構距離があるぞ。大丈夫か?」
軽い食事を終え、準備が調った勇者はイナリの体を見た。
勇者の恩恵といえる丈夫な体、無尽蔵と思える体力。そして従者は15歳の少年。
12歳の少女が自分たちと同じように歩けるのだろうか。
「大丈夫です。村育ちの体力なめないでくださいよー」
イナリは腕をぐっと曲げ、力こぶがあるのか疑わしいぷにぷにの上腕を見せた。
本当にこの子は大丈夫なのかなと勇者は苦笑したが、当の少女は屈伸などの準備運動をしている。
一応仕事であり、依頼主である少女に合わせて動くしかない。あとは実際に行ってから考えることにした。
「──それで勇者様。この先には何があるんですか?」
「ジルドという村だ。あそこにある勇者の家はあまり好きじゃないんだよなぁ」
暫らくしてイナリから訊ねられた質問に、勇者は複雑な顔をした。
各町村には勇者の家と呼ばれる建物がある。
基本的に町村の中へ入ることができない勇者の宿泊所だ。
大きな町の場合は2階建てのそこそこ立派な建物であったりするが、村などでは物置程度の掘建て小屋だったりする。
ジルドは比較的町に近いため、馬車などは素通りしてしまう。買い物に関しても、町へ着いてから買えばいいと思われ外からの金が滅多に入らぬ貧しい村だ。
つまり勇者の家に金は使えないわけだ。
「どんな感じなんですか?」
「もうじきわかるさ。それよりイナリはナヨル出身なんだよな。家は農家か?」
「はい。季節によって育てるものを変えてるんですよ」
あまり話したくないらしく、勇者は話題を変えてきた。イナリとしても、特別こだわりのある話ではなかったので勇者の話に乗ることにした。
「ふぅん。イナリも手伝っていたのか?」
「私は麓の山菜を取ったり、ですねぇ」
「なるほどねぇ。あたしは漁村出身だからそういうのさっぱりだ」
「そうなんですかー。あっ、あの草とか食べれるんですよっ」
「へぇ、どらどら……うっ、苦い……」
イナリが指した草を掴み勇者は食べてみた。が、灰汁が強く無理しなくては食べられるものではなかった。
「それは煮たりしないと食べられないですよー」
「そういうのは先に言えよ……」
勇者はぼやきつつ口の中に残った苦味を吐き出した。
「あの、勇者」
2人の会話を遮るように従者は勇者に話しかける。そこで勇者はニヤッと笑う。
「なんだ、あたしらだけで話してるから寂しいのか?」
「そうじゃありませんよ! ……まったく」
従者は呆れたようにため息をはいた。
勇者は常に魔物と戦わなくてはならないため、短命である。親密になればなるほどお互い辛くなる。
だから人とは深く関わらない。それが常だ。
しかしこの勇者は本来勇者となる人物ではなく、従者の経験もなければ勇者としての教育も受けたことがない。
そのため少し考えが甘いところがある。
従者の少年は勇者候補として正しく育てられたため、そこらへんのギャップが大きい。
「はいはい、あたしらの女子トークに入るような度胸、お前にはないもんな」
「あなたはいつから女子になったんですか」
「あぁん? てめぇあたしの裸見て顔真っ赤にしてたじゃねえか」
イナリはその2人のやりとりを笑顔で見ていた。
勇者は恐いものだと小さな頃から教わってきた。
だが実際こうやって付き合ってみると、やはりただの人間なのだ。
「従者さん、駄目ですよ。こんなんでも一応勇者様は女性なんですから」
イナリは両手人差し指を重ねてバツを作り、従者を睨むように見上げた。
愛らしい少女にそのようなことをされ、従者は少しドキッとするが、顔をそむけ『いや、勇者に性別とか意味ないですし……』などとぶつぶつ言い出した。
「おいこらイナリ。『こんなんでも』『一応』ってなんだ!?」
「あはは、ごめんなさいー」
勇者の振り上げる拳を見て、イナリは笑いながら頭を抱え、走った。
イナリはとても楽しかった。
常に首を絞められているような、息苦しい学校生活。それから解放され、箍が外れてしまっている。
口は悪いが人当たりがいい勇者。無表情を装っているが、その実普通の少年と大差ない従者。
本当ならば勇者と一般人が話すことなどありえない。勇者もそれは実感していた。
だがそうだとして、1週間も黙って歩き続けるなんてお互いの精神が参ってしまう。
勇者も、そしてイナリも、覚悟が足りていないのだ。
そしてなんだかんだ言って、こういうのも悪くないと思っている従者も。
暫らくして昼食を摂ることにした。先ほど拾った草を煮て味付けし、他のものと一緒に食べる。
すると驚くほどクセが抜け、食べやすくなっていた。
そんな勇者の顔を見て、イナリは笑顔を見せた。
そして従者も、笑ったように見えた。
「そろそろジルドだ」
「了解」
従者は短く返事をし、荷の中から青い棒状のものを取り出して火をつける。
「家に着いてからじゃないんですか?」
「先にやっとけば待つ必要ないだろ? 面倒はさっさと済ますに限る」
「なるほどぉ」
間もなくジルドにある勇者の家に到着。イナリは予想よりもボロい家を見て少し顔が引きつった。
うちの物置のほうがまだマシかな、などと思うほど粗末である。
「じゃあ先に入っていてくれ。あたしらは用があるから」
勇者は村から来る使者の方へ目を向け、イナリを勇者の家に行かせた。
「うっわぁ……」
中を見たイナリは思わず声を出してしまった。
正直、これはないなと思う。
屋根と壁があるだけマシといったものだ。
床は土がむき出しで、部屋の隅に古い干草。それと少し大きな箱があるだけだった。
従者は1人とは限らない。2~3人いるときもある。
だがこれでは3人でぎりぎり、4人は無理がありそうなスペースしかない。
イナリは干草を叩き、乾かすために広げた。
「くうぅっ」
饐えたような臭いが鼻をつく。勇者がここへ泊まるのを嫌がっていたのがわかる。
戸を開け窓を開け、風通しを良くする。中に篭らせないように。
「終わったぞイナリ……うぶっ、なんだこの臭いは!」
入ってくるなり勇者は酷い顔をする。従者ですらいつもの顔を保っていられないようだ。
「ああ勇者様。干草を乾かそうと」
「おいおい、こうなるだろうと思ってせっかく閉じ込めておいたのに……」
「ダメですよ、乾燥させないとどんどん腐って更に酷いことになります」
イナリは小屋狭しと広げ、乾かそうとする。
「はぁ、ここまでやったら最後までするしかないか……。おい、外でメシの準備してくれ」
勇者は諦めた感じで従者に外へ出るよう命じる。こんな臭いの中で食事なんてしたくないのは当然だろう。
イナリも一通り作業を終えると、涙目になりながら外へ飛び出した。
「新しい干草とかもらえないんですか?」
「一応伝えたんだけどな、戻ってくるのが早すぎたみたいだ」
前回来たのは3日前。そして一仕事終えてから傷を癒すため町へ行ったと勇者は説明した。
なんでも2週間ほど前にはナヨルに泊まったらしく、あの辺りのことを少しは知っているようだ。
3人は食事をしながら、楽しそうに話した。
こんな感じで数日間、イナリは久しぶりに楽しい時間を満喫していた。
しかしそれは長く続くことはない。時間の経過は別れを早めるだけなのだから。
それはドデイ村を出て、ナヨルの隣村、リブへ向かっている途中の出来ごとだった。
「あ……、この辺り」
イナリは呟いた。懐かしさを含んだ笑顔を見た勇者は、ここがイナリの住んでいた場所に近いことを感じた。
「ん? なんだ、知っているのか?」
「あの大樹、リブから見えるんですよー。あ、リブは学校があるんで通ってたんです」
イナリが指す木を見て勇者は、あの巨大な木ならばかなり遠くからでも見えるだろうと思った。それほど見事な大木だった。
そこでふと勇者は考えた。リブとナヨルは確かに近いし、道もかなり安全だ。子供が歩いて通っても大丈夫なのだろうと。
ならばリブで別れたとしても大丈夫なのではないかと。
「なあイナリ」
「なんですか?」
何も疑うこともなく、真っ直ぐに見つめる目を見て、勇者は少し言いづらくなった。
きっとこの子はがっかりするんだろうなと。
だがこのままずるずると引っぱり続けるわけにはいかない。後に回せば回すほど、お互いに辛くなるのはわかっている。
勇者はゆっくりと口を開いた。
「イナリ。リブでお別れにしよう」
「えっ!?」
イナリは突然のことに驚いた。
本来ならばあと1日あったはずなのに、突然別れを切り出してこられ、全く心の準備ができていなかったのだ。
「でっ、でも、ナヨルまでまだありますよ!」
「リブとナヨルは近いし、道も安全だ。ならばそこまで護衛する必要はないだろ」
それはそうだが、イナリは納得できない。
あと1日あるから最後の道中はゆっくりと、楽しい記憶を刻もうと思っていた。
なのにここでさよならと言われたのだ。
勇者も従者もいい人だ。今まで拷問のような生活をしていたイナリは、3人の時をとても楽しんでいた。
そしてこれが永遠の別れになるかもしれないのだ。幼く未熟な心のイナリにはとても辛かった。
「イナリの気持ちもわかる。だけどな、あたしらもやらないといけないことがあるんだ。確かに予定の日数よりも早く傷が治って時間が空いたさ。だけどそれをいつまでも無駄に使えるほどの余裕はないんだ」
「だっ……だったら私も連れて行ってください!」
イナリの突然の言葉に、今度は勇者が絶句した。
魔物と戦うというのは、とても恐ろしいことだ。本音を言えば勇者である彼女も遠慮したいことである。
だというのにこの少女はそれについて行きたいと言うのだ。
勇者は少し止まりかけた思考を回転させ直した。
「それはできない」
「なんでですか!」
もはや半狂乱とも言えるくらいイナリは抵抗する。勇者と従者は顔を見合わせ、ため息をつく。
「イナリの治癒魔法あるだろ。あれはとても凄いものなんだ。できればその力をもっと人々の役に立てて欲しい」
「そんな……」
イナリは反論しようと思ったが、できなかった。
所詮子供の我侭だ。これ以上は迷惑になってしまう。
3人は暫らく無言で歩き続けた。
「そういえばイナリ、あの森に泉があるのを知っているか?」
勇者は街道から少し離れたところにある森に目を向けながら言った。
この陰鬱な空気を変えるため、話を振ってみた。
あと少しでお別れだというのに、こんな雰囲気では気分が悪い。せめて笑って別れたかった。
イナリもふてくされたような自分の態度が嫌だったこともあり、話を合わせることにした。
「泉、ですか? 知らないですねぇ」
このまま2~3時間も歩けばリブに着く距離だ。森のことはイナリも知っている。
だが森は魔物だけではなく危険な獣もいる。だから子供であるイナリが入ることはなかった。
「そっか。水も澄んでいてとても綺麗なんだぞ。妖精でもいそうなくらいな……」
「妖精!? 見たい! 見たいです!」
それくらい綺麗だと言いたかったのだが、思いのほかイナリが食いついてきた。あまりの勢いに勇者は少したじろいだ。
「いっ、いや、多分いないと思うが……」
「それでもいいです! ねっ、少しだけ!」
これ以上ないくらい目を輝かせる少女を前に、勇者は自らの発した言葉に後悔をした。
やれやれといった感じに勇者は空を見る。ここからリブの村までの距離、そしてここから泉まで行き、戻ってくるまでの時間を考える。
太陽の位置的には問題なさそうだ。泉の場所も奥深くないし、もとより夕方前に到着する予定だったから余裕もある。
それにこの辺の魔物は勇者にとってさほど脅威ではない。イナリと従者を守りながら戦っても大丈夫。
「まあ少しくらいいいか。でも本当にちょっとだけだぞ」
「ちょっと勇者……はぁ、仕方ないですね」
従者は諦めた感じで認めた。
勇者の意図──先ほどの話をイナリから遠ざけるのには丁度いいのはわかっている。
イナリも少し無理してはしゃいでいるように感じる。きっと少しでも一緒にいたいのだろう。
それに自分も少し気分を変えたかったというのもあった。
「わああぁっ! 凄い、凄いですよぉー!」
「あっ、コラ」
イナリは大興奮で走り出す。勇者は止めようとしたが、手が空を切る。
勇者と従者は顔を見合わせ、しょうがないなと泉へ進んだ。
木々に囲まれた泉は木漏れ日を受け、キラキラと輝いている。確かに妖精が棲んでいそうなほど神秘的に映った。
水は濁りなく澄んでいて、相当な深さがあるのが伺える。
「イナリ、泉に入っては駄目だ」
靴を脱ぎ、今にも飛び出しそうなイナリを今度こそ勇者は止めた。
「なんでですか?」
「綺麗だからといって何もないとは限らないからな。見るだけだ」
「うーん……はぁい」
イナリは靴を履き、後ろ髪を引かれるような思いで泉から離れた。
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