第1章-11 ソーリー・ロンリー・ファイヤ・スターター

 足下に重力を走らせ、その上を自らも駆け出す。腰を沈め、腕を振り、無我夢中で脚を踏み出す。ぼくは半ばつんのめるように前傾姿勢で走った。鼻の先を擦るくらい走った。


 助ける。


 絶対に助ける。


 そうだ。木佐谷樹軍乃はすごくいい奴なんだ。


 無人の公園とか、

 朝靄の中の標識とか、

 ひとけのない駅の改札とか、

 縁側でひなたぼっこしている仔猫とか、


 膨大な絶縁碍子のコレクションとともに、自分の琴線に触れた光景を思わず愛用のカメラに収めてしまうくらい、


 そしてそんなセンチメンタルな自分をひた隠し、にもかかわらず、校舎の窓から落っこちそうになっている見ず知らずの女の子をつい身体を張って助けてしまうくらい、胸に熱いものを秘めているいい奴なんだ。




 だから───、

 だからどっちもぜったいに死なせたりしない。



「うおおおおおおっっ」



 ぼくは死に物狂いで壁を駆け降りると、空中にいるふたりにむかって身を躍らせた。……ところではたと気づく。

「あ」


 まずい。


 ぼくは大地から決して離れてはいけないんだった。能力を行使するのに固体の触媒を必要とするぼくは、身体との接地面をなくした時点で重力を発生させることが出来なくなってしまう。つまり、壁から脚を離した瞬間にぼくは凄腕の超能力者どころかただの冴えない男子高校生にまで戻ってしまうのだ。

 我を忘れ、そのことを完全に失念していたぼくは彼女たちを助けるどころか、この子たちとひとかたまりになって落っこちていく羽目になった。



「ひいいいいいぃー……」



 落ちる。落ちる。

 ど、ど、どうしよう?


 重力に引かれ地面に激突するまでのほんの僅かな数瞬、ぼくは死に物狂いで手足を舞わし何か触媒になりそうなものを探した。と、そこでつと腰のあたりになにか硬い物が当たっていることに気づく。それが何か考える間もなく、ぼくは木佐谷樹のスカートのポケットに手を突っ込むと指に触れたそれ───ピンク色のデジタルカメラを取り出し、それを種に夢中で重力を解放した。

 狙いは今まさに叩きつけられそうになっているグラウンドの脇にある体育用具室。

 その瞬間、ぼくの力は正しく物理に作用した。体育用具室の扉のちょうつがいがはじけ飛ぶとドアが外れ、中から分厚いマット……走り高跳び用のマットが超高速でぼくの持つデジカメめがけてすっ飛んでくる。そして───

 ぼふっ。


 一瞬の後───ぼくら三人はマットの上でもつれあってひっくり返っていた。マットは間一髪……地面まであと数十センチのところでぼくらの真下に滑り込み、その分厚いクッションでぼくらとあの世を隔てる緩衝材となってくれたらしい。

 た、助かった……のか?

 ぜいぜいと息を弾ませつつ、ぼくはぼくの重力でまとめて引きつけてしまったバレーボールやネット、得点板、陸上用の三角コーンなんかと一緒に闇色の空を見上げた。そして安堵感の中、ロンドと木佐谷樹、左右両脇にいる二人の女の子のぬくもりを全身全霊でかみしめる。

 夏空、星が瞬く。

 互いの鼓動と息づかいが夜気の中をゆっくりとたゆたっていた時だった。

「───獅堂くん」

 ぼくの胴の上に載った木佐谷樹が優美にその肢体を起こした。

 そして、色っぽくわずかにほつれた長い黒髪を指先で耳の後ろにひっかけると、まるで先刻から心を騒がせるような出来事なんてなにひとつ起こっていないみたいな落ち着いた態度でその切れ長の瞳をこちらにむけて言う。


「いろいろ、詳しい事情を説明してくれるかしら……?」

 そう。

 この日、ぼくは生まれて初めて自分と同等、もしくはそれを凌ぐかもしれない力を持つ超能力者と出会ったのだった。

 絶縁碍子マニアにして生まれながらの発火者───


 木佐谷樹軍乃という少女に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

さよなら、サイキック 1.恋と重力のロンド 著/清野 静 角川スニーカー文庫 @sneaker

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ