第1章-10 ソーリー・ロンリー・ファイヤ・スターター

「───くそっ」


 ぼくは激しく舌打ちしてふたり(?)の後を追う。


「うそ」

 一方、そんなぼくらに対し木佐谷樹は目の前で繰り広げられるあまりの急展開に面食らっていたようだったが、ようやく我に返ったのだろう。いくぶん取り乱した様子でぼくに訊ねる。


「獅堂くん。い、今のはいったいなんなの!?」

「ロンドとドッペルゲンガーだよっ」


 ぼくの応えはまったく滅茶苦茶だったが、じっさい、この子も相当混乱していたにちがいない。とんちんかんな言葉をぼくにぶつける。


「ていうか獅堂くん、あなた彼女いたの!?」

「さっき言ったろ!」


 窓枠に手をかけたままぼくは怒鳴り返すと、足下に『重力』を展開させるや校舎の外壁を全速力で駆け出した。『重力』が伝う場所さえあれば、そこはぼくにとって一瞬で大地となる。


「だって、まさかホントだとは思わないじゃない!」


 床に落とした制服を慌ただしく身につけ木佐谷樹は叫んだが、ぼくはそれどころではなく、外壁を駆けつつ懸命にあたりを見渡した。


 ロンドは……あの影は───?



 いた───校舎の屋上にいる!


 ぼくの見上げた視線の先に、L字型の校舎のちょうど突端、屋上の端に追いつめられたロンドがあの黒の影と間近で対峙している。先刻の大泣きから一転、涙も乾かぬ間に突然襲いかかってきた「動く影」にすっかり気が動転しているのだろう。ロンドとおぼしき小さな背は目の前に現れた影を前に身をすくめ、懸命に後ずさりしようとしている。


「ち、ちょっと、きゃ……。な、なにっ、これっ」


「ロンドっ!!」


 駆けつつぼくは叫んだ。

 その瞬間───雲間に月が隠れ、あたりが暗くなったときだった。ぼくの声に反応したように影が前後に蠢き、揺るぎ、生き物のように伸縮する。影はゆらゆらと揺れながらまるで粘土細工のように己の細部を彫塑していくや、やがて完璧な人の姿を……それも年若い女の子の姿を形作る。

 そこに現れたのは、華奢な少女の影。


「え……」

 ぼくはぼうぜんとした。が、なによりおどろいたのは他ならぬロンド本人だったろう。自分とうり二つ、顔の造作から姿形に至るまで寸分違わぬ闇色の影がほの暗い月明かりの中、目の前に佇んでいるのだから。


「わ、わたし……?」

 ロンドがぼうぜんとつぶやく。


 光と闇……まるであわせ鏡を挟んだように己の影と正対しつつ、ロンドは声もなくもう一人の自分の姿に見入った。


 が、その静寂も一瞬だった。



 どくん。


 突然大きく身じろぎするや、影はたちまちその形を崩すと黒い津波となってロンドにむかって殺到する。───まるで、合体することで再び元の一対の存在に戻ろうとするかのように。

「く!」

 そうはさせじと屋上に真横から駆け上がったぼくは床に重力を走らせた。とたんに影はその場に釘付けになる。重力で身体を固定されたことに気づいたのだろう。影は身を翻すや、信じられないような速度でぼくに襲いかかる。

 はじき飛ばされ、ぼくはたったいまのぼったばかりの外壁をころころ転がった。とっさに指先に触れた壁を地面に変え、かろうじて校舎の端にしがみつく。影は返す刀で動けないでいるロンドにむかって襲いかかる。


 まずい、とぼくが擦り傷だらけの顔を上げたときだった。

「!」

 鋭い衝撃波がロンドと影の間を切り裂いた。そしてその背後にあった壁に弾痕のような穴をうがつ。さらに飛び退く影を追尾し、ロンドとの距離を遠ざけるように二つ、三つ、四つ、と次々に紅蓮の弾痕がうがたれてゆく。


 肩越しに振りむくと、校舎の端の窓を大きく開け放ち、黒髪を夜風に靡かせながら窓辺に佇む女子高生の姿がある。


 闇の中、その瞳は深紅に染まっている。


 紅く、


 紅く───。


 まるで、この世の総てを燃やし尽くすように。





「木佐谷樹……!?」


 おそらく炎の塊を圧縮し高速で飛ばしたのだろう。そのスナイパーもかくやという正確無比のコントロールに、いや、それ以前にこの子が手を貸してくれたことにおどろき、ぼくが一瞬あっけにとられたとき、彼女が鋭く叫んだ。


「獅堂くん!」


 はっとして屋上を見あげると、再度距離を詰め、ロンドを急襲した影がフェンスと手すりを壊し、そこから小柄な女の子が転がり落ちるのが見えた。

「きゃっ……」

 屋上から落ちたロンドは脚をばたつかせて半分折れ曲がった手すりに摑まり、しばらくうんうんうなっていたが、自重を支えきれずに手を離してしまった。が、幸運なことに数メートル落下したところで、三階の窓の隙間から風に靡いていた白いカーテンの裾をつかんでどうにか落下を食い止める。闇夜に生地が裂ける音が響く。


「危ないっ!!」


 瞬間、そう叫んだのはぼくではなかった。なんと木佐谷樹軍乃はとっさに落ちかけたロンドを助けようと窓から身を躍らせると、校舎の外壁を縦に這っている近くの雨樋に飛び移ったのだ。そして、さらにそこからロンドにむかって手を伸ばす。

 が、届かない。到底距離が足りない……とぼくが歯嚙みした時だった。

 闇の中、火花が散り、紅蓮の炎が舞う。

 なんと彼女は深紅の瞳を自分の摑まっている雨樋に向けると、雨樋を固定している金具を炎で焼き切ったのだ。金具はまるでバターのように一瞬にして千切れ飛び、支えを失った樋が一気にかしぐ。

 木佐谷樹は校舎の外壁に沿ってまるで穂を垂れるようにして大きく傾いだ樋をロープがわりに使うと、カーテンの裾から今まさに引き剝がれかけていたロンドの手首を間一髪のところで摑んだ。

「木佐谷樹……」

 ぼくは木佐谷樹のことを何も知らない。

 この子が一体どんな人生を送ってきたのかも知らなければ、どのような家庭環境で育ったかも知らない。得意科目も、好きな音楽も、好きな映画も、雨の日と晴れの日のどっちが好きなのかも知らない。ぼくが知っているのはただ、彼女が同じ高校に通うクラスメイトだということ、美人だということ、そして並外れた超能力を有しているということ───ただそれだけだ。

 だから一体なぜ彼女がここまでのことをしてくれたのかわからない。だがこの子のおかげでロンドが現世に留まり、地面に叩きつけられる光景を見ずに済んだことを、ぼくはたぶん一生忘れないだろう。

 そしてその顚末も。


 ばきっ。


「あ」


 ぼくが全身で安堵の吐息を漏らしたまさにその時だった。

 二人分の重量を支えられなかったのだろう。樋が真っ二つに折れる。木佐谷樹のスカートがふわりと拡がり、ロンドのブロンドがゆっくりと舞う。ぼくは二人の少女───生まれて初めて作った魔女のガールフレンドと、筋金入りのサディスト兼可燃性女子高生クラスメイトがきつく抱擁し合いながら地表にむかって落ちてゆく様をぼうぜんと見送った。それはまるでアニメのスロー再生のように1フレーム1フレーム、連続するすべての動作を分解しながらぼくの網膜の表面に映り、瞬き、そして焼きついた。


「あ───……」


 瞬間、ぼくは無意識に走り出していた。

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