第1章-07 ソーリー・ロンリー・ファイヤ・スターター

 スクールバッグを肩に提げ、すらりとした立ち姿を見せていた木佐谷樹はぼくに呼び止められ、驚愕したようだった。そんな木佐谷樹の前でぼくは荒い息を整え、膝に両手をついた。さすがにここまで一気に駆け通すのはきつかったのだ。


「あなた……どうやって……」


 鉄塔の上に置き去りにしてきたはずのぼくがものの数分で地上に降り立ち、自分の目の前にいるという情景が信じられないのだろう。さすがにぽかんとしているこの子に、ぼくはひょいと手にしていたカメラを放った。


「ほら。忘れ物だぜ」

 そして両掌で拝むようにしてあわててそれを受け止めた木佐谷樹に言う。

「絶縁碍子の写真───大事なものだろ」

 木佐谷樹はデジカメの液晶をのぞき込み……さらにおどろきの表情を浮かべる。そう。そこに写っていたのは撮り立てほやほやの絶縁碍子の画像の数々だった。至近距離、それも触れるほど間近から撮った絶縁碍子の勇姿をはじめ、鉄塔の頂上からあたりを一望した眺め、さらにそのてっぺんで腰を下ろし、自撮りでピースサインしているぼくの画像など、鉄塔の頂上から撮影してきたあらゆる写真画像が保存されている。


「こ、これ……」

「一応、約束は果たしたぜ。それから───」

 絶句して佇む木佐谷樹に対して、ぼくは一瞬、言葉を探した。が、なにも思いつかず、肩の力を抜くと、ふっと笑いかけて言った。

「君の写真、綺麗だね。びっくりした」

 そう言うとぼくはきびすを返した。

 体力を使い果たし、よろよろと。がに股で。





 木佐谷樹と別れて家に帰る途中、スマホを見るとメッセージが届いていた。

「いま病院の帰りー。ログ、なにしてた?」

「最悪。疲れた」

「お疲れさまっ。どしたの?」

「こんど話すよ」

「わかったっっ。大好きよ。はやく会いたいねっ」

 ぼくは一瞬考え───そしてメッセージを打った。

「ぼくも」





 ぼくが木佐谷樹からもう一度呼び出しを受けたのは明くる日のことだった。

 翌朝、全身筋肉痛のぼくがよろよろしながら学校へ行くと、下駄箱に一通の手紙が入っていたんだ。

 絆創膏だらけの手で封を切り、便箋をあらためると、そこにはえらく達筆な字でこう書かれていた。




 獅堂くんへ。メアドを知らないので直接お手紙で書きます。

 昨日はありがとう。もう一度お話ししたいので、ここに来て下さい。


 今夜深夜1時。学校の正門前で。

                           木佐谷樹軍乃




「……」

 下駄箱にラブレター、それもハート形のシール付きという今時珍しいくらいの古典的な手法にもかかわらず、その文面から漂う禍々しさにぼくは緊張した。またあの子がなにか企てていると思ったのである。

 一方、当の木佐谷樹はふだん通りに登校していた。授業が始まっても変わったところは少しもなく、背筋を伸ばして静かにノートを取っている。あのあしざまにぼくを罵り、虐げ、サドっ気たっぷりに嘲弄と罵声を浴びせかけていた美少女の姿はどこにもなく、ぼくは正直、昨日の出来事が夢だったのではないかと思ったくらいだった。




 その夜。

 深夜。ぼくは覚悟を決めて家を出た。だが約束の時間より少し早く着いたにもかかわらず、木佐谷樹はすでに学校の正門の前に立っていた。

「獅堂くん」

 木佐谷樹は制服姿だった。黒髪が夜気にそよいでいる。

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