第1章-04 ソーリー・ロンリー・ファイヤ・スターター

獅堂しどうくん知ってる? 変電用の碍子がいしは表面を襞状にすることで絶縁する距離を稼いでいるの。碍子のあの独特の形は電気を通さない工夫であると同時に、表面に雨やほこりなどの汚れが付着しても大丈夫なように襞をこしらえることによって電気の伝わる道のりを長くし、碍子の絶縁性を高めるという効果があるのよ。まさに科学技術大国日本の面目躍如ね』

「…………」

『人がせっかく碍子にまつわる有り難いこぼれ話をしているのに、あなたは無視をするというの。獅堂くん、あなたはそれでも赤い血の通った人間なのかしら?』

「……碍子、超すげー」

『たいへんよろしい』


 そして、現在。

 今、ぼくは鉄塔の上にいる。




 ここに来るまでの道中、木佐谷樹きさやぎぐんはいたって物静かだった。一緒に校門を出たあとも下校の最中も駅のホームでも無駄口をきくことはなく、電車に乗ったあとはスクールバッグを肩に提げ、流れゆく車窓の外を静かに眺めている。

 一方、ぼくの方はといえば胸の内はほとんど天神てんじん祭状態だった。先刻彼女が見せた振る舞いのせいで頭の中のパステルピンク色の妄想はもはや止まるところを知らず、ぼくはけんめいに冷静さを保とうとした。

「───やっぱり、いろいろ経験しているのかな」

 なんとなく気後れしつつ、そっと彼女をうかがうそんなぼくの視線の先で、木佐谷樹はぴんと背筋を伸ばし、わずかに傾いた西日に横顔を向けている。プリーツの折り目すら端正に見えるスカートに赤いタイを無造作に結んだ白いシャツ、キューティクルだのフローラルだのといった謎の形容詞が似合うまっすぐ流れる黒髪……。そのすらりとした立ち姿はだれもが脳裏に描く「まっとうな女子高生」以外の何者でもない。

 そんなぼくをよそに、やがて木佐谷樹軍乃は目的地である鉄塔の麓に着くと、あっさりとした口調で言った。

「ここよ」

 ぼくはあたりを見渡した。そこは住宅街から少し離れた山裾の造成地だった。目の前には送電線をいくつも渡した鉄塔が聳えており、その四囲にはなんの変哲もない郊外の風景が広がっている。

 鉄塔は優に数十メートルはあった。見上げると、確かに巨大な塔の左右にまるで両手を広げるように張り出した鉄骨の先端になにか白っぽい数珠のような連なりが見える。

「あ、あれが、碍子?」

「ええ。獅堂くん。スマホ持ってる?」

「え? あ、うん」

「貸して」

 木佐谷樹は自分のスマホを手早く操作し、受け取ったぼくのスマホを通話中かつハンズフリー・モードにするとそれをしなやかな指先でぼくのシャツの胸ポケットに滑り込ませ、あっけらかんとした口調で言った。

「じゃあ、早速はじめましょうか。獅堂くん、あなたには今からこの鉄塔を登って頂上にある絶縁碍子の写真を撮ってきて欲しいの。なるべく近くで、きれいに、鮮明にね」

「の、のぼるって……ここを?」

「そ。そして撮ってくる。かんたんでしょ。わたしは下にいるし、万一何かあってもおたがい連絡が取れるようにスマホは通話状態にしてあるから安心よ。もし獅堂くんが上手に撮ることが出来たら……そのときはお礼をするわ」

「お、お礼?」

「ええ。もうわかるでしょう───?」

 思わずどもるぼくに対し木佐谷樹は薄く微笑むと、つとあごに指関節を当てるとなにやら考え込むような表情を作る。



「ね、獅堂くん。今朝測ってみたんだけど、わたしの穿いているこの制服のスカートって、ウエストの位置がだいたい108センチなの。そして裾の高さは61センチ。ただし今はローファー履いているから、えーと、それぞれ+2センチくらいかな。つまり110センチ−63センチで、このスカートの丈は47センチってわけ。うちの学校、偏差値が高いわりにスカート短くて」


「そ、それが……?」


 いったいこの子は何を言っているんだろう、と思いつつスカート越しにでもわかるその長い脚に思わず目を向けるぼくに対し、彼女は人差し指で背後の鉄塔を指し示して言った。


「対してこの鉄塔はだいたい40メートルから50メートルくらいはあると思うのよね」

「ご、ごめん。なんの話だかさっぱりなんだけど……」


「報酬設定よ。あなたの受け取る、ご・ほ・う・び」

 そう言うと木佐谷樹はそのかがやく膝小僧から上、太ももの半ばを隠している制服のスカートの裾を指先でわずかに押さえてみせた。

 そしてにやりと微笑む。


「もし獅堂くんが碍子をカメラに収めることが出来たら、その時点で君が登っていたぶんだけあなたにスカートの裾を持ち上げる権利をあげる。10メートル登っていたら10センチ、20メートル登っていたら20センチ。その権利の行使に際して、わたしは無抵抗に従うわ。そのかわり、もし獅堂くんが撮れなかったり、登っている途中であきらめたりしたら報酬はいっさいなし。どう?」


「ち、ち、ちょっと待ってくれ。意味わかんねー。つ、つーか───これ落ちたらまじ死ぬって!」

「そうね。それがなにか?」

 木佐谷樹はあっけらかんと言った。そして絶句するぼくに挑発するようなあやしいまなざしをむける。

「わたし、一度口にした約束は守るわよ。だからあとは君次第。危険だし、いやなら断ってもいいわ。放課後、わざわざこんなところまでついてきてもらって申し訳ないけれど」

「しかし……」

 ぼくは困惑し、その場に立ち竦んだ。

 今さらだけど、ぼくがここに来たわけは木佐谷樹に対する興味、そしてエッチな気持ちがその何割かを占めていたことは否定出来ない。だが、実際に間近で見上げる鉄塔はあまりに高すぎた。

 そんなぼくの心の迷いを見透かしたのか、木佐谷樹はせかすように言う。

「もしやるのなら、早くはじめた方がいいわよ。暗くなったら危ないし、日没までに達成出来なかったら引き揚げるから」

「で、でも、もし失敗したら……」

 思わず身震いしつつぼくはもう一度鉄塔を見上げた。鉄骨を櫓状に組み上げて構成されたその塔は左右に高架鉄線を掲げながら悠然と空に聳えている。



「平気よ。獅堂くん丈夫そうだし。さあ、君もレッツトライ」

 そんな進学塾のCMに出てくる女子高生みたいに人差し指立てて気安く言われても。

「ちなみに、暗くなったらその時点でご褒美も終了ね。はい。これがデジカメ」

 彼女が差し出したデジカメを一瞥し、ぼくは深々と深呼吸をして言った。


「ごめん。木佐谷樹さん。その、せっかくだけど───」



「わたし、今日、青と白の縞柄のぱんつ穿いてきたのよね」


「うおおおおおおっ」

 ぼくは鉄塔にしがみついた。




 それがつい三十分前のできごとだ。

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