第一章-4

 箒に跨り真っ直ぐに。


 カリムは劇場庭園の上空まで飛び上がると、足元スレスレを木の葉が擦過していくのも気にせずに飛び回る。


 緑黄色の尾を引きながらの飛翔は、しかしどうしたことか上空を目指さない。


蛇行するカリムは、お伽の園と劇場庭園をぐるりと囲む高層建築群の狭間へと飛び込んでいった。


 アリステルに混在する、真新しい蔦編み繭の建築物と、昔ながらのレンガ造りの建物。

れらが織り成す白金色と赤茶色のコントラストには、多くの建物から伸びる枝葉の緑色が入り混じる。


 飛ぶカリムは、自身の姿が映った窓ガラスを横目に見た。

 そして思う。

 最近、こうした新しいと感じる建物が増えてきた、と。


 それでも唐突に現れては、カリムの進路を捻じ曲げる枝葉が、どの建物からも生えている事実に安堵するのも確かだ。


 高層建築物の真新しさと、レンガ造りの懐かしさと、そしてそれらの中にしっかりと組み込まれた木枠から伸びる枝葉の安心感。

それもまた、人々の生活にもう長いこと精霊たちが浸透している証だった。


 だからカリムは、そんな枝葉の中に隠れている精霊たちもまた、一緒に飛ぼうとグラオベーゼンに誘っていく。


 劇場庭園に生えているパナケアほどの浸透率ではないから精霊化させることは出来ないけれど、カリムが枝を揺らし葉を散らせば、彼に起こされた精霊たちが箒の穂を追い掛け宙を舞う。


 そうやって広い空ではなく、狭い都市の中を自在に飛ぶカリムは、ふと自分に向かって手を振っている子どもがいることに気がついた。


未だ小さな背丈の彼らは、幼稚園の年長ぐらいだろうか。ビルの狭間にある小さな公園に遊びにでも来たらしく、側にいる先生ふたりと一緒に、カリムと精霊たちのことを興奮した様子で見上げている。


 だからカリムは彼らの頭上でひとつ宙返りを打つ。


 微かに聞こえる歓声を背中に置いて飛ぶカリムの目には、他にも様々な人々の姿が見えてくる。


 オフィスの窓越しに目があった会社員。


 カフェテラスで談笑する二人組の学生。


 乳母車を押す女性と可愛らしい赤ん坊。


 授業を聞く振りをして内職する中学生。


 穏やかな表情で日向ぼっこをする老女。


 老若男女様々な人々が、飛びゆくカリムの視界に現れては行き過ぎていく。


 中には目が合って笑いかけてくる人もいるし、何かに夢中になって気づかない人もいる。 

通し手鏡を手に頭上を振り仰ぐ人は、このあとも中継を見続けてくれるのだろう。


 精霊だけじゃない。人もいる。


 グラオベーゼンを行えば、いつだってそう思う。


 そうやって精霊を呼び起こしながら人々の日常を垣間見、一通り都市の中を飛び回れば、きっとアリステルの街並みは緑黄色のやわらかな輝きにほんのり染まっているはずだ。


 だからカリムはここらで少しだけ趣向を変える。


 数羽の有翼鯨と鰭飛びが羽を休める遊泳場から、風にさらわれた声が届いた。


『カリムが箒から降りるぞ』


 遊泳場だけではない。

その声が風に乗って都市中に広がっていくかのように、アリステルの空気が少しだけ高揚に色めき立つのが伝わってきた。


 それは人々の期待。


 これからさらに楽しいものが見られるぞ、と。

そうした興奮がカリムの足裏から盛り上がってくる。



 余りにも気安い調子だった。


 下から伝わる興奮に応える気なんかないような仕草で、


 落ちるかもしれないという恐怖を微塵も感じさせずに、


 カリムは箒に跨るのをやめた。


 それは背の低い切り株から飛び降りるような何気ないにもほどがある動作だ。


そんな水たまりを飛び越えるような簡単なことなのかと疑いを持つほどに、カリムは箒を手に、いとも容易く空中へと一歩を踏み出してみせた。


 カリムの足裏が何かを捉えることはない。

代わりに箒の穂がその先端で捉え、宙でカリムを支えるのは、いつの間にか出来ていた精霊たちの飛島だ。


 カリムは足を大きく蹴り出すと、箒を軸に水平に一回転。

そのままの勢いを利用して、身を捻り倒立しながらつま先から上空へと飛び上がる。


 伸ばした足先でダスト層雲を突き破ろうとでも言うかのように、きれいなストリームラインを描きながら飛島に浮いた箒を引っこ抜いたカリムの姿は、ヘクセではなく軽業師とでも呼んだほうが相応しいものだ。


 一体どうすればそんなことが出来るのか。


 これまでにも多くの人から聞かれた箒捌きが、今日もアリステルの人々を楽しませる。


 手の中だけではない。腕、肩、背中に腰、時には足に絡めて、いっそ音楽が聞こえてこないのが残念になるほど軽やかに、カリムは箒を相手にダンスを踊る。


 穂から舞い散る緑黄色の燐光が、そんなカリムを演出するため宙を漂う。


 舞台はアリステルの街中。


 観客はそこに住まう人々。


きっと明日のニュースで大きく取り上げられる楽しいダンスが昼下がりの息抜きに提供される。


 そんな数十分ばかりの清涼剤に、ぼくもわたしもと飛び込んでくる存在があった。


 パナケアの穂だけではない。

 カリムの頬や指先、額や髪に触れるのは、最初からずっと一緒に飛び続けている小さな命たち。


アリステルだけではなく、この世界のどこにだって存在する彼らが、その存在を誇示するために、いつもよりずっと強く明滅を繰り返す。


 それを待っていた。


 そう言わんばかりにカリムの口の端が上がる。


 いつものおちゃらけた笑みではない、真剣に楽しんでいるからこその笑いは、ようやくノってきた精霊たちを歓迎する笑みだ。


 すでに多くの人を楽しませているカリム。しかし彼のグラオベーゼンの真骨頂は曲芸じみた箒捌きだけではない。


 見守る人々と、共演する精霊たち。


 その双方にまだまだこれからだと告げる笑みを浮かべて、少年は口を開く。


「さあ、魔法の時間だ」

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いつかの空、君との魔法 角川スニーカー文庫 @sneaker

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