プロローグ-3
さすがに朝の時間だけあって、
目の前を多くの人が乗り込んだ
みながみな、窮屈な空間で肩身を狭そうにしているのを見ると、気ままに箒で飛んでいるのが正解だという気分になった。
「よう、おはようさん」
「あ、ども」
鯨の腹に書かれた『
彼も彼で朝の出勤時間に窮屈な思いをしたくないのか、自前の
「やっぱり混んでますね。鯨がこんな低いところを飛んでるのなんて久しぶり」
「まあ、精霊が少なきゃ仕方ねえよ。
俺の鰭飛びもこれより上を泳ぎたくはないんだと。こういう時は箒の方が便利だよな」
「よければ交代しましょうか?
実はさっきから鰭飛びの横にいると、箒がみすぼらしく見えて困ってたんですよね」
「そんなこと言われて交換するやつなんかいねえよ。
つーか、この年になって箒に乗ってたらその方がみっともないし、俺はもう子どもじゃないから魔法は使えねえ。
そんなわけで箒には乗れないんだな、これが」
「そう言って魔術ばかりに頼ってるから、子供心を忘れて人生つまんなくなるんですよ」
「ははっ、うるせえよ、余計なお世話だ。じゃあな」
そう笑い残して真っ直ぐに飛び去る青年とは別に、カリムは少しだけ高度を下げた。
さすがにあれだけの数の有翼鯨と鰭飛びの中を箒で飛ぶのは、双方ともに危ない。
そうした見上げた空を、多くの有翼鯨や鰭飛びなどが行きかう様は、水底から見上げた海の情景そっくりだ。
しかし光を散らすのは揺らめく水面ではなく、今日も分厚くアリステルの空に蓋をするダスト層雲だった。
あの雲があるせいで、精霊たちは都市に下りてくることが出来ずに、人々は精霊欠乏などという厄介なものを抱え込むことになる。
「うっ」
一瞬、カリムの目を強い光が焼いた。
あれだけ分厚い雲がかかっているのにも拘らず、こうまで強い光を寄越してくるのは今のアリステルにはひとつしかない。
ミラー・ツリー。
宮古が下品だと言うのも納得出来る、無闇矢鱈と光を反射させるその塔は、しかしカリムたちの心象とは反対に、都市の現況を打破するために作られたものだ。
精霊たちを集める。
ただそれだけのためにあれだけ大掛かりなものが必要なのかはわからない。
カリムとしては正直に胡乱な視線を向けてしまう代物だ。
だが、そう思うカリムや宮古は少数派で、アリステルの多くの人々がミラー・ツリーに対して精霊不足を補う救世主として期待しているのも、カリムは知っている。
「あ、カリム・カンデラだ」
と、高度を下げていくと、有翼鯨などの代わりに、カリムと同じで箒に跨った少年少女の姿が多く見受けられるようになる。
しかしその中に、カリムと同年代の姿は全くない。
誰も彼もが小学生ぐらいの幼さで、中学生と思しき少年少女に至っては、ちらほらと見かける程度だ。
「……」
妙に視線を感じるのは、カリムがアリステルでは有名人だからだろうか。
それともカリムの歳で箒に乗っているのがおかしいからだろうか、それはわからない。
それでもカリムの方を見てあからさまにニヤニヤとした笑みを向けてくるのは、絶対に後者だという確信があった。
「ま、中学卒業してまで箒に乗ってたらそうだよな」
そうして笑われるのも、ある意味仕方のないことだとカリムもわかっている。
有り体に言ってしまえばカリムの年で箒に乗っているのはダサいのだ。
きっと学校に着けば、カリムのことを、精霊離れの出来ていないお子ちゃまとしてバカにするのだろう。
何しろ、今のご時世小学生が卒業祝いに欲しがるのは、有翼鯨に乗るためのパスと通し手鏡のセットと相場は決まっているのだから。
子どもしか使えない魔法より、大人たちが使っている魔術を手にする。
それこそが大人への第一歩であり、いかに早くそれを手に出来るかが、中学生ぐらいの年齢においてはこれ以上ないステータスになるのだ。
「みっちゃん、今日休みなんだって」
「なんでー?」
「お母さんは『せーれーけつぼー』って言ってた。フラフラしちゃうんだって」
「ふーん、こわいね」
だから、横で話している小学生たちが言うところの『みっちゃん』は、よっぽどマセているのだろう。普通、精霊欠乏には精霊との意思疎通を取るのが難しい大人が陥り、精霊たちの声を聞くことが出来る子どもはそうそう罹ることがないものだ。
キャッキャとおしゃべりをしながら学校に向かっていく彼らは、精霊欠乏がどういったものかも、精霊指数が低いと都市の生活を支える魔術文明にも影響が出ることをわかっているのかいないのか、とにかく楽しそうにしている。
しかしそれも仕方がないのかもしれなかった。
小学生ぐらいの年齢ならば、身近にあるのは魔術ではなく魔法だ。
箒に乗って精霊たちと一緒に飛び、魔法を使い精霊たちと一緒に遊ぶ。
そうしてこの世界のことを少しずつ知っていくのだから。
「……っ」
ふと、幼い彼らの姿を見てカリムは今朝方見た夢を思い出した。
幼いカリム。
同じく幼い少女の姿を雲間に探していたのは夢の通りだ。
ただひとつ夢の中に違う点があるとすればそれは、落ちてきたのは箒だけではなく、箒を握ったまま気を失った少女だということだ。
夢よりもずっとはっきりと思い出した情景を振り払うように、カリムは箒を蹴立てて学院へと飛ぶ。
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