プロローグ-2

「洗い物、自分でやりなさいよ?」


「あー、うん」


 生返事をしつつ、カリムは手にしたパンにかじりつきもそもそと食べていく。目覚めがいまいちだったせいか、どうにもしゃっきりとしない。


『ここ数日でダスト層雲の厚みは増しており、精霊せいれい指数は減少傾向となっています。アリステルにお住まいの皆さんは精霊欠乏に注意してください』


 今日の夢見が悪かったのはこれか、とぼんやりした頭で考える。


 カリムが見つめる先、遠見鏡オーロラビジョンに映し出されるニュースではキャスターが指し棒を使って、ここ数日のダスト層雲の様子と精霊指数についての情報を伝えている。


前日比マイナス2%。平均精霊指数よりはマイナス23%。


それは息苦しく感じるはずだ。酸素と水と、そして精霊。この星に生きている以上、その三つのうちどれかひとつが無くなっても生きてはいけないのだから。


「キリエちゃんも朝から大変ねー」


 他人事のように告げる声に視線を向ければ、こんな最悪な目覚めの朝だと言うのに、快活さを覗かせた女性が立っている。

短い黒髪は左右に分けられ、露出したおでこと涼やかな目元は、彼女のさっぱりとした性格をよく表している。


宮古みやこの同僚じゃん」


「部署違うからいいのよ。ていうか、アンタはいつまで食べてるのよ。遅刻するわよ?」


「しないから。まだ余裕だから。むしろ時間押してるのは宮古の方だろ。早く行きなよ」


「アタシもまだ余裕」


「だったら洗い物してよ」


「冗談でしょ。アンタももう16なんだからそれぐらいは自分でやりなさい」


「25になる宮古は花嫁修業をしたほうがいいと思う」


 鼻で笑われた。だからどうしたと言わんばかりに。

宮古だって、そうしてきっちりとしたブラウス姿でいれば、鏡越しにニュースキャスターをやっていてもおかしくないぐらいの器量を持ち合わせている。

それにも拘らず、浮いた話は一緒に暮らしているカリムの耳にとんと入ってこない。

 少しだけ、もったいないとも思う。


「あら、クサレタワーじゃない」


 つまりはこういう物言いが原因で、異性として見られないのだろう。


 横目に宮古を伺ったカリムの耳に聞こえてくるニュースは、すでに精霊の話題から移り変わり、アリステルの街並みを映し出すものとなっている。

なめて行く視点の色合いは白金色と緑色と少しばかりのレンガ色。それがカリムたちの暮らす都市、アリステルのマーブル模様だ。


 そんな都市の中で、ひょろりと他の高層建築よりも尚高く伸びる建物が鏡面を占拠する。

 宮古が言うところのクサレタワー。それを背景に先ほどとは別のリポーターが、とても精霊指数が低いとは思えない笑顔で映し出された。


『はい、わたしはもう間もなく完成となるミラー・ツリーの前に来ております。

作業が急ピッチで進む中、オープニングセレモニー参加の抽選には多数の応募があり、アリステル中の期待が伺えます』


「ふん」


 バカバカしいとばかりに宮古が鼻を鳴らす。

彼女ほどあからさまに邪険にはしないが、カリムが鏡面に向ける視線もどこか冷ややかだ。


『ミラー・ツリーはその名の通り、全面鏡張りの巨大な塔です。


この鏡に精霊たちが好む擬似魔法を展開することにより、都市の精霊不足を補う。

そのためにミラー・ツリーが建設されたことは皆さんも知るところでしょう。


また、ツリー内部には最新鋭の設備を整えた施設が数多く存在し、まさしくアリステルの豊かさを象徴した建物になっており……』


「カリム、アンタはどう思う、あれ」


「胡散臭い。擬似魔法なんかで精霊が寄ってくるわけないし、正直言って街中にあんなもの建てられても邪魔でしかない」


「そうよねー。今から切り倒しにいけないかしらね」


「ていうか、宮古はなんだってそんなにあれを嫌うのさ」


「だって、下品じゃない」


 なんともわかりやすい言葉と共に、宮古は遠見鏡から魔力を抜く。

映像が途切れたそこに映るのは、イスに座るカリムと宮古。そしてその背後にかけられた時計だ。


 午前七時二十七分。


 鏡写しの時計が告げる時刻に従うならば、カリムが家を出るまではあと数分しかない。

未だ頭はぼんやりするものの、だからといって世界中全てがカリム同様に億劫な時間の進み方をしてくれるわけではない。


「ごちそうさま!!」


 カリムは最後のひと口を牛乳で流し込むと勢いよく立ち上がる。


「あ、こら、ちゃんと洗いなさいって」


「帰ったらやる」


 ばたばたと玄関に向かに向かったカリムは、きちんと揃えられた靴を一足手に取ると、そのまま部屋の中へと取って返す。


「うお、寒」


 開け放した大きな窓ガラスから吹き込む冬の寒風。

負けじとカリムは靴をテラスへと放る。

踵を引っ張りトントンとつま先を打ち付けるのは、間違っても途中で靴が脱げてしまわないようするため。


そうして準備を整えたカリムは、横手のラックから使い古したボロい箒を手に取る。


「いってきます」


「こら、窓閉めてけッ」


 宮古の言葉を置き去りに、開け放した窓はそのままに、カリムは軽い跳躍で空へと躍り出る。

見上げた空はニュースでやっていた通りの曇天模様。


いつもと変わらぬ薄暗い空から視線を外し、カリムは箒に跨り空を飛ぶ。

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