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オフィスビルらしいそこは、夜中で人が少ないとはいえ、残業なのかところどころ明かりが漏れていた。ここでやりあえば一般人を巻き込むことは必至だ。その上、一箇所に留まっていれば気配を察知されやすい。
「移動したほうがいいな」
いつでも撃てるように手にクロスを握り、注意深く気配を消しながら通路を進む。
「そうだ。確かこの辺りにガインズが利用していた地下施設があったはず」
イッセは脳内に昔一度だけアズマに見せてもらった地図を描いた。ヨシノの能力のおかげで記憶力はいい。あそこならまず一般人を巻き込むことはないだろう。
「使えるかな……」
前の戦闘でどれほどの被害があったのかはわからないが、施設自体が壊されたという話はきいていない。あとはそこに在駐しているであろう憲兵をどう処理するかだが。
イッセは眼鏡を外してきてしまったことを後悔した。あれがあれば建物の中でもアーサーの位置を確認できたかもしれない。仕方ない、今は自分の五感を信じるしかないのだ。
息を殺し足音もなく一気に階段を下る。外に出て飛び降りたほうが早いが、その分見つかる危険性も大だ。一階まで降りきったところで扉越しに外の様子を窺った。気配がないのを確認してから、最大の集中力で扉を開ける。
「いない、か」
ホッと胸を撫で下ろしながらも、目はすでに地下へ続く扉を探している。
細い路地にいくつも並んだ裏口のような、粗雑で色気のない扉の中から、目的のものを見つけるのはそう難しいことではなかった。ガインズの扉には仲間内で見分けられるように目印がついているのだ。それを探せばいい。もちろん中にはフェイクも含まれているが、正しいものを知っているイッセには引っかかりようがない。全てはアズマから教えられたことだ。
イッセは正解の扉を見つけると、細心の注意を払って扉の中に滑り込んだ。暗く湿り気があり黴臭い空気が皮膚に張り付く。外気よりも冷たく重いそれはまるで生気が感じられず、階段を下りるイッセの身体を粟立たせた。
ここでガインズは……ふと先の戦闘を思って足が竦んだ。それでも今は進むしかない。しかし一歩一歩足を進めるにつれ、得も言えぬ恐怖がイッセの中に沸き起こる。
「この感じ……」
まずい。そう思ったときにはイッセの身体は壁に張り付けられていた。痛みを感じる隙もない。それでも自由の利かない手足に自分の置かれた状況を把握する。
「うん、来ると思ってたよ。神代イッセくん」
暗闇の中でも良く見える眼は、はっきりとアルファの姿を捉えていた。もう一人のアーサーであるベータの姿はない。おそらく長月を追ったのだろう。
「名前……」
「知ってるよ。クロイドの生みの親、神代ザイゼンの子どもでしょ。うちのトップは神代の助手だったらしいしね、なにか君に思い入れがあるんじゃない?ぼくたちからしてみたら全くどうでもいいけど、殺さずに捕まえろだなんて、つまんないよねぇ」
アーサーを率いている菅ニシキは学生時代からその才を発揮し、ある分野では有名な人物だった。所謂天才だ。そして天才ゆえに孤独。常に一人だった彼を引き抜いたのが神代である。
しかしなにが原因でそうなったのか、二人は分裂してそれぞれ別々の組織を持った。イッセが生まれたのは、分裂して暫く経ってからだ。もちろん面識はない。もし菅がイッセに思い入れがあるのだとすれば、それはヨシノの存在だろう。
殺さずに捕まえる、か。不幸中の幸いというやつだろうか。死なない保証があるというのはそれだけでありがたい。それに僅かでも隙ができる可能性だってある。
「ヨシノ、コノハ、限界まで粘ってくれ」
シンクロ率が段々と上がっていくのを感じる。力が次から次へ沸き起こり、身体が燃えるように熱くなる。
カランと腕に刺さっていたナイフが落ちた。傷口は完全に塞がっている。足からもいつの間にか抜け落ちていて、集中力のおかげか痛みも感じない。
イッセは大きく一歩を踏み出した。飛ぶ勢いで一気に間合いを詰める。イッセの武器はクロスしかない。フラクス弾は十二発。残弾はあっても一回のミスが命取りになる。確実に仕留めるには近づくことが重要だ。
「いいよおいで。受けて立つよ」
パンパンパンッ
余裕の表情をみせるアルファの心臓部めがけて続けざまに発砲する。避けられるのは承知の上だ。
「弾道はいいけどスピードが足りないね」
銃弾は着弾する手前で、避けるどころか一発残らずナイフの背できれいに弾き飛ばされていた。それでも僅かに生まれた死角に瞬時に潜り込むと、すかさずアルファの背中側からもう一発撃ち込む。
「おしい。ゼロ距離だったらあたってたかもしれない」
いるはずの場所にアルファの姿がない。いつの間に回りこんだのか、イッセの首筋には刃物が突きつけられていた。
「首はね、結構痛いよ。血もちょっとは出るかな」
「あはははは」と甲高い笑い声を上げてアルファの腕がゆっくりスライドしていく。敢えて苦痛を与えるようなその動きに頭が真っ白になった。これを果たして痛みと表現していいのだろうか。
イッセはその場に蹲るように膝をついた。叫んでいるはずなのに声が出ない。
――クソッこれはたまんねぇな。おいイッセ、意識飛ばすんじゃねーぞ。コノハだってがんばってるんだからよ。
傷口の修復はヨシノの力ももちろんだが、主にコノハの能力に依存している。
――イッセ、傷は大丈夫です。だから意識をしっかり持ってくださいっ。
真っ白になった頭にコノハの声が流れ込む。そうだ痛みはあるがこの程度の傷では致命傷にならない。あとはどれだけ精神面を維持できるかだ。
「なんだ、そんなに簡単に捕まってくれちゃうの?トップはなんで君なんかに固執しているのかね」
「うっ」
アルファの手が脱力したイッセの腕を掴み上げた。無理矢理起き上がらせようと力が入る。その刹那、イッセは気づかれるよりも先にクロスの銃口をアルファの腹へ押し付け、ゼロ距離から引き金を引いた。
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