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「イッセ、大丈夫?」
重い瞼を持ち上げると、すぐ傍にコノハがしゃがんでいた。八十島の姿はない。点滴を何本か打たれたが、その後は安静にしていれば治るからとおとなしく寝ていることにしたのだ。あれから何時間も経っているような気がしたが、時計を見るとまだ三十分と経っていなかった。
「ずっといてくれたんだ?」
イッセが問うと、コノハはコクリと肯いた。
コノハの部屋はカーテンで仕切られた向こう側だ。といっても一つの部屋をカーテンで仕切っているだけだから広さは高が知れている。大した余裕もないから互いにベッドくらいしか置いてない。一応女型ということでイッセが配慮したのだ。寮にはちゃんとクロイド専用の部屋があるらしいからそれまでの辛抱である。
「そっか、コノハも疲れただろうから寝てたらよかったのに」
嬉しいくせに素直にありがとうと言えない辺りがまだまだ青臭い。
コノハは自分の血液と細胞から生まれている。いうなれば分身だ。考えによっては兄妹ともいえるだろうか。複雑な関係である。でもだからこそそんな相手に緊張したりすること自体おかしいのだが、なんせイッセは女馴れしていない。どう接していいかわからないのが正直なところだ。しかもコノハは自分を元につくられたとは思えないほど可愛い。まぁ足りない部分を補った結果がこれかと思うと悲しくなるのだが。
それこそはじめのうちは意識しまくって夜も眠れないほどだったが、冷静になるにつれて異性としてのトキメキよりも庇護欲的な愛情が強くなっていった。こんな時分だからだろうか。自分の全てを理解し受け入れてくれる存在の大きさに救われていたのだろう。
大変だったのはそんなコノハと融合するときだ。これが最たる苦痛だった。肉体的にではない、精神的苦痛である。
クロイドとの融合はオーナーの血液をクロイドに与えることで為される。
方法は二つで、事前に用意しておいた血液カプセルを飲ませるか、勝手に手首に施術された抽出口から直接飲ませるかだ。どんな仕組みかはわからないが、普通にしている分には抽出口から流血することはない。クロイドに吸われたときだけ出るらしい。
イッセがカプセルを強く所望すると八十島は渋った。なんでもカプセルは効きも遅けりゃ消費期限も短いそうで、あまりお勧めしないらしい。だから慣れるまでは嫌でも直接与えるようにと念押しされたのだ。
手首から血を吸わせることが嫌なわけではない。絵面としても正直そそられる。しかし意識すればするほど、どうにも背徳行為を犯しているようで良心が痛むのだ。聖人君子でないのだからいたって正常だとは思うものの、刺激が強すぎて馴染めない。だがこれが男の性というやつなのだから仕様がない。
上体を起こし、脇にしゃがんだままのコノハをまじまじと見つめる。やっぱり可愛い。変に弄らずそっと愛でたくなる可愛らしさだ。
俺の欠片か……
おそらく自分は他人に愛されるための要素をどこかに置いてきてしまったのだろう。コノハを見ているとそんな気がしてならない。でもそのおかげでコノハが生まれたのだとすれば、結果的にはよかったのだろう。
「あの……」
コノハの控えめな声にイッセはハッと我に返った。
「このままだと……わたしっ」
切羽詰った口調な上に焦りも滲んでいる。無意識になにかしでかしたのだろうか、と深刻な表情を浮かべるコノハに心臓が早鐘を打った。
人間ほど起伏は激しくないが、クロイドにも感情はある。設定上なくすこともできるらしいが「この方が時として正しい判断ができることもあるんだよ」と八十島は自信満々に言っていた。「それに、朝から晩まで一緒に居るのに無機質なロボットじゃつまらないでしょ?」とも。
「どうしたの?」
平静を装ってイッセが問うと、コノハのガラスのような瞳が僅かに揺れた。
「その……イッセはヨシノさんのこと知ってますか?」
「ヨシノ……?」
ドキリとした。あの一件以来、ヨシノとはなんとか折り合いをつけて生きてきた。急に人格が入れ替わったりするのではなく、ベースは常にイッセが表に立つという形で他人から疑われることもなく共存してきたのだ。
しかしその存在は自分以外知らないはず。八十島もクロイドに遺伝子情報は伝わるが記憶まではコピーされないと言っていた。だからイッセの口から伝えない限り、コノハがヨシノの存在を知りえるはずがないのだ。
そういえばヨシノがこのところ姿を現さないのとなにか関係があるのだろうか。いるはずなのに息を潜ませているようでうっすらとしか感じ取ることができない。ヨシノが気配を殺すなんてはじめてのことで、多少なりとも心配しているのだ。
「えっと、コノハはヨシノを知っているの?」
腹の探りあいをしたいわけじゃないのに思わず質問に質問で返してしまい、イッセはしまったなと背筋を伸ばした。案の定コノハは困った顔をしている。
「いや悪い、ヨシノのことは知ってるよ。説明するのは難しいんだけど、もう一人の俺、ってとこかな。ヨシノがどうかした?」
コノハは小さく頷くと、俺を遠慮がちに指差して「ヨシノさんに脅されてるの」と声を震わせた。
思わず「へ?何で?」と頓狂な声を出してしまい、慌てて口をつぐむ。クロイドに涙が存在するのかはわからないが、コノハは今にも泣き出しそうな顔をした。
「ここは俺の居場所だって。最初は大目にみてやったけど譲るつもりはないからって」
ち、小さい。
なんて小さいやつなんだ。この話が本当ならヨシノってやつの器には米粒ものっからないんじゃなかろうか。
「いやでも、俺はそんなことヨシノからきいてないし、気のせいってことは」
「ないです」
即答されてしまった。
「ヨシノさんはイッセの身体を介せず直接わたしに話しかけてきたから。イッセの初めてはわたしだと思っていたのに……こんな古株がいたなんて。ショックです」
「初めてって」
おいおいちょっと待て。聞きようによってはとんでもない意味になってしまうじゃないか。まったくこのコは……
「いやっじゃなくて、古株?ていうかヨシノは物心ついたときから俺の中にいて、コノハとは違っ」
「一緒ですっ」
食い気味にかぶせられてしまった。
「いや、正確には違うのかもしれないけれど、わたしたちなんかよりずっとお兄さんっていうかエネルギー体も比べ物にならないくらい大きいし……」
「えっとそれって何?つまりヨシノもクロイドだと?」
「はい」
頭痛と目眩に襲われた。せっかく副作用が収まりつつあったのに、地獄だ。
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