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「よくきたね」
八十島は部屋にイッセを招き入れるとソファーに座るようすすめた。私用に設けられた部屋だというそこは、イッセの部屋の二倍は優にありそうだ。しかしベッドルームがないところをみると、ここで生活しているわけではないのだろう。
目の前に入れたての紅茶がことりと音を立てて置かれた。あたたかみのある白い陶器の側面に、規則的に縦に稜の入った、品のいいカップソーサーだ。これが八十島の趣味だとしたらセンスがいい。
「話はできたかな」
イッセは黙って水面に映る己の顔を見つめた。沈鬱な表情をしている。これでは返事をしなくても胸中を語っているのと同じだ。
「駄目だった、みたいだね」
案の定、八十島はそう言うと眉宇に憐憫の情を滲ませてイッセの前に浅く座った。顔には大きく同情と書いてある。
「話は……一番訊きたかったことは訊けました。けど、一番話したかったことは話せなかった」
イッセは八十島の顔を見ずに言った。
「神代ザイゼンの血を俺は継いでいる。けど俺の父親はあの人じゃない。あの人は俺が息子だから特別な存在にしたと言っていました。でもそれは結局のところ息子だから大切にしたわけじゃないんです。息子だからモノとして扱いやすかっただけのことで……はは、なにが特別な存在に成りえるモノだ。そんなの――ッ」
カップの中の液体が波立って、イッセはようやく自分が震えていることに気がついた。瞑目すると神代の凍てつくような瞳がすぐそこに浮かび上がる。僅かな時間なのに強烈なインパクトをイッセに残していた。
消えろ。消えろ。消えろ。
複雑に絡みつく感情を記憶の中の神代にぶつけるようにぐっと瞼に力を込める。
「司令は少し不器用なところがあるからね、久しぶりに息子と会って、イッセくんと同じように、どう接したらいいのかわからなかったんじゃないのかな。それでそんな言い方をしてしまったんだよ。だから決して君のことをモノだなんて思っていない」
イッセは溜息よりも深く息をついた。この言葉が八十島の優しさから出ているのだということはわかる。しかし結局のところ他人事なのだ。完全に承服できかねる想いが腹の底には幾重にも重なって溜まっている。
「あの、八十島さんは――あ、副官は」
「八十島でいいよ。一応副官なんて肩書きがついてはいるけどね、そんな柄じゃないから」
「えっとその、そうしたら八十島さんは……あの人とは付き合いが長いんですか」
八十島は思案顔になると、まだ皺のない、しかしイッセよりは確実にハリの失われた筋の目立つ手でカップを持ち上げた。「コーヒーより紅茶派なんだ」といってゆっくりした動作で口に含むと、美味しそうに飲み下す。そしてひと段落したところで表情を和らげ「うん」と頷いた。
「長いかな。少なくともこの施設内では古参かもしれない。設立当初から司令の研究をずっと傍らで見させてもらっていたからね」
八十島の言葉を聴いた瞬間、何かが胸の中ですぅっとすいていくのを感じた。推測が確信に変わる。そしてそれはイッセの心を瞬く間に冷静にした。
「じゃあ俺なんかよりずっと司令のことは理解できているんですね」
八十島が困ったように頬を掻いたのをイッセは肯定と受け取った。皮肉に感じたのならつまりそういうことだ。
「やっぱり……大切なのは血なんかじゃなくて付き合いの深さなんだ」
イッセは自嘲気味にそう呟くと、残りの紅茶を胃に流し込んで席を立った。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
引き留めようとする八十島の手に気づかないフリをして背を向ける。八十島は行き場のなくした手をそっと膝の上に降ろした。
「明日、イッセくんのクロイドの卵をつくる。来週には孵化して融合実験に入れるだろう。クロイドをつくればもう後戻りはできない。イッセくんはそれでいいのかい?」
イッセはふっと表情を崩すと、諦めたような痛々しい笑顔を八十島に向けた。
「そうですね……あの人に誰も傷つけたくないのなら強くなりなさいと言われました。あの人のことは正直嫌いだけど、言っていることは間違っていない。弱かったから皆を守れなかった。俺は強くならなくちゃいけないんです」
ひと言ひと言まるで自分に言い聴かすように言葉を紡ぐ。
「強くなるにはクロイドが必要なんですよね?強くなれるならなんだってします。そのためにあの人は多くの犠牲を払ってまで俺をここに連れてきたのだから。そもそも俺に拒否権なんてものは存在していないんです」
最後は自分でも未熟だなと思うほどに卑屈になってしまった。がいってもまだ十五のガキなのだ。それも仕方のないことだろう。
「また孵化の時には連絡するからね」という八十島の言葉を背に、イッセはここでの唯一の居場所である無機質な白い箱へと帰ることにした。
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