男の名は八十島やそしまアラシ。対アーサー組織【メクロイア】の副官である。日陰に生きているようなその相貌からは、それほど立場のある人間には思えないのだが、おそらく見た目を裏切るほどの切れ者なのだろう。

「イッセくん、申し訳ないが先に僕の用事を済ませてしまっていいかな。これを渡すだけなんだけど」

 八十島はそう言うと、小首を傾げ腕に抱えていたファイルを振ってみせた。

 イッセに拒否権はないし、嫌だと我を張るだけの理由も意味も無い。イッセは「もちろんです」と肯いた。

 八十島の背中を見送り、味気ないグレーの壁に凭れる。廊下を照らす白いLEDライトがより建物の無機質感を演出している。中の声は聞こえてこない。ただとくとくといつもより速いスピードで鳴り響く鼓動の音だけが規則的に聴こえているだけだ。

「馬鹿だな……俺は」

 実の父親とはいえ血のつながりがあるというだけの他人なのだ。緊張することなど何もない。何もないのに、なにを期待しているのか。

 幾許もしないうちに八十島は部屋から出てきて、イッセとその役を交代した。すれ違いざまに「後で僕の部屋においでね」と耳打ちされたが、イッセが何を言う間もなく八十島は行ってしまった。

 十四年振りに再会した父、神代ザイゼンは、事前に写真で見知っていた人物よりも厳しさの滲む風体をしていた。眉間に刻まれた深い皺。何でも見透かしているような鋭い双眸に、真一文字に引き結ばれた酷薄な唇。髪には白髪が混じり、実際の年齢よりも老けてみえる。天才科学者といわれているらしい神代の、その人柄が顔に滲み出ているようだ。

 「久しぶりだな、イッセ」

 イッセは息を呑んだ。神代から放たれる圧力はハンパではない。足が竦んで前に出ないのを必死になって動かそうと力を入れる。ただそんなときでも神代の放つ眼光から目を逸らすことはできなかった。一瞬でも逸らせば食い殺されるのではないかという恐怖を全身で感じていたのだ。

 「検査結果を見させてもらった」

 その言葉にイッセの足がピタリと止まった。神代との距離はまだ遠い。

 「見事だな。すぐにでもクロイドをつくらせよう。来週には融合実験ができるはずだ」

 表情一つ変えず、ただ淡々と感想を述べるだけの神代の態度に、ぎりりと胃が絞られるように痛んだ。これは怒りなのか、それとも憎悪か。赤黒い感情が腹の底からゆっくりせりあがってくるのを感じる。掌がじっとりと汗ばんだ。

 「実験も成功するだろう。そしたら君には学校に通ってもらう。そこでクロイドの扱いに慣れるといい」

 「父さん……ッ」

 「なんだ」

 なんとか昂ぶる感情を抑えようとイッセは静かに息を吐いた。耳の中にドクドクと激しい鼓動を感じる。もう一人の自分が今にも目の前の男に品のない罵詈雑言を浴びせてしまいそうで、ぐっと奥歯を噛締めた。

 「ッここに来る前に、霧ノ井の伯父さんと伯母さん、それにサクラが死にました。殺されたんです。アーサーという軍の機密部隊に」

 「……ああ」

 「ってそれだけですか」

 負けじと睥睨するも、神代の瞳は揺るがない。それどころか侮蔑の色さえも滲んでいるように感じてイッセのほうがたじろいだ。

 ガインズのリーダーだった伯父が殺された。これはおそらく周知の事実で、報告書にだって事細かに記載されていただろう。だから既に知っている情報を突きつけられたとて、神代が動じないのは分かりきっていた。ただ彼らが国の組織に殺されなければならなかった、その理由を知っているのはおそらく一部の人間で――

 「それは、伯父さんがガインズだったからですか。それとも……」

 僅かだが神代の瞳が鈍く光った気がした。

「何が言いたい」

 イッセは持ちうる限りの度胸で虚勢を張ると、神代の周囲を覆っているバリアを剥がしにかかった。

「ガインズは確かに反政府組織ですが、暴力で何かをしたことはなかった。国民の意見を代表して抗議デモを行ったり、署名を集めて直訴したりその程度だ。殺されなくちゃいけないことなんて何もしていなかった」

 一気に捲くし立てた喉はとっくにカラカラで、しきりに唾を飲み込むものの思ったように潤わない。水分補給の為に一時休戦したいくらいだが、一歩下がればバリアはさらに厚みを増すだろう。今は前進するのみと、勇を鼓して身を乗り出す。もう一押しだ。

 イッセはここに来てからずっと考えていた。なぜ一緒にいた伯父が殺されて自分が生きているのか。なぜアーサーは自分を生きたまま、捕えようとしたのか。ちらりと鉄仮面のごとく神代の様子を伺った。

「アーサーの一人が俺に言ったんです。お前のせいでガインズは消滅すると」

 拳が軋んだ。力の入れすぎで白く変色している。

「その人は……俺を助けにきたメクロイアにおそらく殺されました。そして俺はここに連れてこられた。一緒にいたはずのユキは置き去りにして、俺だけ……ッ」

 あの時の惨劇はいまだはっきりと目蓋の裏に焼きついている。ユキの血を吐きそうな悲痛な絶叫も……思い出すだけで怖気を震って嫌な汗がじっとりと肌を覆う。

「教えてください。どうして俺はここに連れてこられたのか。あの人が言うように俺のせいでガインズのみんなは……伯父さんたちは殺されてしまったのか。本当のことを知りたい」

 俯きそうになる顔を意地だけで支える。何を言われても、たとえそれが苦痛を伴う事実だったとしても、受留めるだけの覚悟を持って、静かに神代の口が開かれるのを待った。

「言いたいことはそれだけか」

 威圧感のある低い声が部屋に響いた。くだらないと一蹴するように鼻で笑うと、イッセの出かたを窺っているのかぱったりと口を閉ざしてしまった。

 「あなたにとっては取るに足らない出来事でしょう。そりゃそうですよね、自ら捨てた子どものことなど気に留めるはずがないんだ。そんな人なら最初から俺と母さんを捨てたりはしなかった!なのにっなんで今さら俺をどうこうしようとするんだよッ」

 呼吸が荒くなる。どうしようもなく語尾が荒げた。まんまと相手の思う壺に嵌っているとわかっていても、次から次へと湧き出てくる感情を抑えることはできない。

 神代はそんなイッセを詰まらなそうに睥睨すると、背もたれに身を沈め腕を組んだ。そのまま瞑目したことで、部屋には静寂が訪れる。

 空気が重く息苦しい。足が踏みしめている絨毯に吸い込まれていくようで、目眩がした。おそらく酷い顔をしているに違いないが、強く握り締めた拳を解くことも、丸まりかけた背筋を伸ばすこともイッセにはできなかった。悔しくて目頭が熱くなる。

 「やはりまだ子供なのだな。もう少し君は自若としたまえ。今のままでは戦場に出たところで死にに行くようなものだ」

 神代の声がスピーカーから流れているかのように一方的に、押し付けがましくイッセの体内に響いて聴こえた。見えない重石に押し潰されそうだ。

 「いいだろう。答えよう」

 神代の手が卓上で組まれ、真っ直ぐにイッセを見据える。一刻前よりも強さの増した眼光の鋭さにあわや呑まれそうになった。

 「君の知っているガインズは表の顔だ。裏では我々のような実戦部隊を支援していた。そのなかでイッセ、君は特別な存在だった。意味を持って生まれてきた子どもだ。メクロイアは常に前線にいる。私といるとお前と母さんの身に危険が及ぶ可能性があったからアズマに預けた。これが事実だ」

 白々しい。

 「特別な存在?危険が及ぶと思って?それはつまり、厄介払いしたかった……ということですよね」

 乾いた喉がひっついて言葉がうまく発せない。強気の言葉とは裏腹に、イッセの声は震えている。

 「どうとでも受け取ればいい。ただ君を失うわけにはいかなかった」

 「なんでそんなに俺が……」

 「それはお前が私の息子だからだ」

 瞬間、自分の足元にだけ局地的に地震が起きたのかと思った。

 「この世界に未来はない。がこれから新しく未来を作ることはできる。そのためには強い力が必要だ。そしてその力を私はお前に託した」

 ぱらぱらと降ってくる、感情の欠片もない無味な言葉の羅列に、整合のつかない思考が僅かな色を伴ってちぐはぐに絡みつく。信じたい気持ちが僅かにその色を濃くしていた。

 「自分の身に危険が及ぶかもしれないということをアズマは承知していた。その覚悟ももちろんあったはずだ」

 「そんな――」

 アズマの最期の言葉が脳裏に浮かんだ。イッセへ希望を託した言葉だった。

 「お前は生きていれば必ず周りの人間を巻き込み不幸にするだろう。生きている限りずっとだ。だがお前は人類の希望に為りえる存在でもある。だから多少の犠牲を払ってでも我々はお前を守るだろう」

 そうか、だから伯父さんも死んだのだ。イッセが希望だと信じていたから。

 「しかしそれでも自分のせいで誰かを失うのが嫌ならば、強くなるんだな。自分の存在を受け入れ、その価値を自覚するのだ」

 「俺の……価値」

 「時間だ。話は以上だ」

 イッセの呟きは神代の言葉に掻き消され、行き場をなくして足元に落ちた。仕方なく神代の受話器を取り上げる手を見つめる。その手はアズマ《父さん》と同じように大きくごつごつしていたが、あの深みのある温もりはどこにも感じられなかった。

 

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