第2話 脳死判定

 低体温治療からの復温は、意外と時間がかかるらしい。おれはその間もずっと、自分の体を下に見ながら、ふわふわ浮いていた。

 もちろん、浮いているだけでは暇なので、ちょっと自分の体から遠く離れられないもんかと、いろいろ試してみたものの、やっぱり何かでつながっているらしく、肉体から5mくらい離れると、引っ張られるような感覚があって、それ以上遠くには行けなかった。

 逆におれの体に入っていくことはできないかと、何度も試してみたものの、こちらもやはりだめ。するりと通り抜けてしまい、体に戻ることはできなかった。まあ予想はしていたけれど、そう都合よくはいかないようだ。

 こうなると、今のおれにできることはなにもない。自分の手術を眺めるのはちょっと気味が悪い感じだけれど、この世の見納めに、自分の心臓がちゃんと活用されるか見ておくくらいはしてもいいだろう。

 復温開始から、集中治療室の時計で、およそ5時間くらいが経った。おれのからだの体温が戻ったらしい。さっきの医者が戻ってきて、ほかにも何人も医者が周りを囲んでいる。

「体温36.5度。これより脳死判定を行う」

 医者が、おれのまぶたを開いて、目を覗き込む。

「開眼なし」

 それから、目の上あたりをグッと押す。

「疼痛刺激に反応なし」

 さらに目にペンライトみたいなものを当てる。

「……瞳孔反応は……緩慢」

 眼球に綿を押し付ける。

「角膜反射、なし。カテーテル」

 看護婦が何かチューブのようなものを渡す。医者がそれを、おれの口に突っ込む。おれの体がびくっと反応した。

 こっちのおれには、なんの感覚もないのに?

「……咽頭反応あり。自発呼吸がわずかに確認できる」

「先生、どうしますか?」

 助手らしき若手の医師が、そう尋ねた。

「チェックを続けよう。眼球頭反射なし……毛様脊髄反射なし。脳波は?」

 全員が脳波計を見る。

「平坦です」

「神経学的検査に移る」

 それから先は、機械を使ったおれにはよくわからない検査だった。ともかく、ひとつ安心できたことがある。あのチューブを喉に突っ込まれても、何の痛みもなかったってことだ。

 これなら、胸を開いて心臓を取り出されても、おれが苦しむことはないだろう。途中でちょっと体が反応していたのは、まあ何かの反射で、おれの脳とは関係がないってことなんだろう。


 ……それからまた、6時間が経過した。どうやら脳死判定ってのは、万全を期すために6時間置いて2度行うものらしい。念の入ったことだ。1回目の判定は、脳死基準に照らして矛盾なし。つまり脳死と判定されたってわけ。これで2回目も脳死と判定されたら、判定が確定し、摘出手術が行われるわけだ。

「それでは、2度目の脳死判定を行う」

 長いので省略するけれども、結局2回目も、同じように判定は進んでいった。最初にあった喉の反応が、2回目はなくなっていた分、より確実に死んでるって感じがした。

「10分間無呼吸テスト開始」

 さらに1回目にはなかった、呼吸のテストも行われた。

「動脈血酸素分圧41mmHgから、108mmHgまで。自発呼吸なし」

 よくここまで念入りにやるもんだと感心しながら、おれは例の医者が静かに言うのを聞いた。

「……脳死だ。ご家族に死亡宣告を行う」

 おれはもう、その様子を見に行かなかった。わかってはいても、おふくろはまた泣くだろう。何度もそんな姿を見るもんじゃない。おれの死亡は確定した。あとは、心臓を抜かれれば、恐らくおれの体とのつながりも切れるだろう。

 おれは少し切ないような気持ちで、ICUを出ていく医者の背中を見ていた。

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