蟲の民と毒蛇の巣7

 霧散したチェスの駒。そして派手に割れたチェス盤。怯えきったシャルル。セリムはそっとシャルルの肩にふれようとした。思いっきり突き飛ばされた。避けるのは可哀想な気がして、大人しく突き飛ばされた。


 フォンが「ヴァル殿」と近寄ってきて、月狼スコールが小さく唸った。アンリは部屋の入り口で、涼しい表情をして立っている。しかも月狼スコールの顔の前に掌をかざして、制していた。これは護衛人長官アンリを「真珠パール」と呼んで敬服する部下が多いというのも納得だ。護衛は必要ないという正確な状況分析、そしてセリムの意図も汲んでくれている。


「触るな化物男!ティダの次はお前か!どいつもこいつもちんを馬鹿にしやがって!」


 ティダは目的があるのは良いが、態度が横柄過ぎる。先程の様子だと、そうとうシャルルに嫌味な態度を取ったのだろう。


「彼は期待している者には手厳しいんだ。憎まれていたいのもあります。僕は貴方を馬鹿になんてしていない。その点は心外なので否定します」


 シャルルに睨みつけられたが、怯えきっているので怖くない。むしろ可哀想だった。


「その目!侮辱するな!ちんは次期国王、王太子だぞ!」


 セリムは目を丸めた。それから部屋を見渡して鏡を探す。シャルル王子の左側の壁に、美麗な額に納められた鏡が飾ってあったので近寄った。


「僕の目はそんなに変なのか?猫っぽいとは言われるが、目付きが悪いのかもしれない」


 鏡に向かって眉毛を下げたり、上げたりしてみた。どちらも睨んでるように見えるかもしれない。セリムは髪を軽く掻いた。感情を正しく伝える、表情の練習が必要だ。


「何をしているんだ?」


「僕の気持ちが正確に伝わらないなら、表情を作る練習が必要です。僕はそんなこと今まで考えたこともなかった」


 シャルルが「は?」と呆れ声を発した。


「違うんです?しかしティダが"人をさとす目"をすることがあると言う。タチが悪いと言われたから、悪癖だ。そうだ、シャルル王子、僕と話すときは手鏡を持ってもらえないでしょうか?」


 部屋を見渡してみると、寝台の脇の立派な机の上に手鏡らしきものが見えた。


「何を言っているんだ?」


「ですから、僕は悪癖を直さないといけない。あれ、手鏡なら借りても良いです?」


 シャルルが益々ポカンと口を開いた。それから渋い顔付きになった。


「お前、何を考えているんだ?」


「ほら、僕は困ってしまう!睨んでるつもりなんてないんですが……。貧困街のことでシャルル王子に話を聞こうと。あと多分、食料が降ってくるから分配や保存食作成の指揮を任せてもらえないかと頼みに来たんです」


 セリムはもう一度鏡を確認した。自分ではよく分からない。


「それにしても僕の目はシャルル王子と似ている。やはりドメキア人の血が流れているのか?」


 祖先はいつこの国を去ったのだろう。遠路遥々、東の僻地へきちへの大移動。レストニア王族の始祖オルゴーは、流浪の民に愛されて王へと推薦すいせんされた。その地位は平凡だったと伝承されている。民の親愛と真心を背負うと約束し、誇りを抱き続けると約束した。その代償の王。故に励まないとならない。期待に応えるべき。


 しかしシュナはドメキア王国の王族の末裔だと言っていた。この国の歴史書なら真実が分かるのだろうか。とても気になる。


「何なんだお前は!奇妙な男だな!」


 叫んだシャルルの声から、少し怯えが減ったいた。


「また妙と言われた。僕はそろそろ自分が変だと自覚しないとならないのか?シャルル王子、具体的にどう変なのか教えてください。僕は変と言われることに納得がいかないのです」


 鏡から離れてシャルル王子に近寄った。床に散らばる駒が気になるので、先に拾うことにした。割れたチェス盤も危険だ。さっとやってきたアンリが手伝ってくれた。


「それで?僕はどのように変です?出来れば改善策も教えてもらいたい」


 チェスの駒を抱えてシャルルを見ると、彼は何故か壁に寄りかかっていた。それからズルズルと座り込んでしまった。顔色が悪い。セリムはチェスの駒を机の上に置いて、シャルルの前にしゃがみ込んだ。


「ティダが相当怖かったんですね?僕もあの猛々しさには震えることがある。しかし根はとても優しい男です。何があったか知らないのにこういうのも失礼でしょうが、嫌でしょうが、許してやって下さい。悪い男ではないのです。シュナ姫の兄上なら懐が深いと思います。どうか僕の友を許して下さい」


 セリムが頭を下げると、何故かシャルルが乾いた笑いを出しはじめた。それから泣き笑いし出した。理由が分からなくて途方に暮れていると、いきなりアンリとフォン、そして月狼スコールがセリムを囲った。駆け足の気配がすると顔を上がると、騎士達が部屋に乗り込んできて、セリム達に剣を突きつけた。


「シャルル様!ご無事でしょうか⁈」


「退がれ!ちんは来客と話をする!全員部屋から出て行け!」


 勢いよく立ち上がったシャルルが騎士達に詰め寄った。それから手で払うようにして、部屋から追い出す。困惑している騎士達が全員部屋の外へ出ると、シャルルは扉を閉めた。


「座れ蟲の民」


 ソファを指さされたのでセリムは素直に従った。シャルルが反対側のソファに腰掛けた。何やらセリムと話をしてくれる気になったらしい。アンリを見るとニコリと笑ってくれた。彼女は扉の前に仁王立ちした。隣に月狼スコールとフォンが並ぶと、アンリに後ろへと追いやられていた。アンリという女性は不思議な人だ。


「話せ、蟲の民。お前はあのハイエナとどういう関係だ?それから食料が降ってくるとは何だ?」


 シャルル王子の目にシュナと似たような光が帯びている。やはり兄妹なのだなと感心した。ジョンに感じた嫌悪感は、二人に似ていないからだろう。意気揚々と他国侵略に乗り出し、妹を囮役にしたというジョンはやはりつぐない、改心しないとならない。


「待て」


 セリムが口を開こうとすると、シャルルが立ち上がった。先程のセリムが見つけた手鏡を手に取って戻ってきた。それからセリムに鏡を向けた。ジッと目を観察してみたが、自分だとよく分からない。


「本気だったのか」


 シャルルがセリムに手鏡を押し付けて、向かい側のソファに戻った。本気ではないと思われていたらしい。やはり表情の作り方を研究するべきだ。


「それで、ハイエナとどういう関係だ?」


 セリムは手鏡を手放して机の上に置いた。質問に答えるのが、自己改善よりも先だ。


「友です。怒り狂う蟲を巣へ返す手伝いをしてもらいました。それから妻と目付の命の恩人です」


 フンッと鼻を鳴らすとシャルルが軽蔑の視線を投げてきた。


「そんなのお前を利用する為に決まっているだろう。蟲を操るんだろう?どうだ、あの嘘つきで暴力的なハイエナではなくちんと組まないか?望むものは何でも与えてやろう」


「手を組むも何も、シャルル王子はこの国を背負う。シュナ姫とティダが支えになる。ティダはちょっと手伝って自国を護りに帰るようですけど。皆が手を取り合って国を豊かにし、そして他国とも平和を結ぶ。そうしたら僕が望むものは手に入ります。それに利用も何も、僕が蟲を操れないのはティダがよく知っています。僕が殺されたら蟲達は怒りますけど、命令なんて出来ない。蟲は、命は、とても自由です」


 シャルルは何か誤解をしている。グスタフからセリムの目的を聞かされていないせいだ。一旦時間を空けたつもりが、グスタフは余程忙しいらしい。


「あのハイエナはちんを蹴落とし、化物に寄生し、王座につくつもりだ!」


 セリムが化物と呼ばれるのは理解出来るかが、シュナを化物とは感心しない。そうか、シュナと話をしていないから変な誤解を招いている。


「シュナ姫はとても聡いです!妻が治しました。こんな状態では和平交渉の会談がじくれてしまう。シュナ姫と話しが必要です。長旅で疲れたと休んでいますが、少し頑張ってもらいましょう。頼んでみます」


 セリムが立ち上がると、アンリと目が合った。シャルルを連れて行くのは反対らしく、アンリが首を横に振った。


「私が呼んで参ります。ここにはスコール君がいれば十分でしょう。奥様はどうなさいます?」


 シャルルとシュナが会うのは賛成らしい。シャルルが自室の方が気が楽という配慮かもしれない。ラステルは絶対にシュナに付いてくる。駄目だと言っても。


「一緒にお願いします」


「何を勝手に……」


 困惑したシャルルに笑顔を向けた。こういうことは多少強引で良いだろう。善は急げとセリムはアンリに目配せした。大きく扉を開けるとアンリは素早く後ろに下がった。


「シャルル王子の妹君。シュナ姫を連れて参ります!兄妹のご歓談です!迎えに付き添っていただける方は是非私の後ろへどうぞ続いてください。フォン、スコール君、任せましたよ」


 腰に手を回して手を組み、胸を張って歩き出したアンリの堂々とした様子に、フォンが瞬きを繰り返した。月狼スコールが扉の向こうの騎士達を威嚇いかくするように身構える。


「スコール君。この場に敵はおりません。敵意を剥き出しにするとヴァル殿の顔に泥を塗る。爪は隠すものですよ」


 振り返ったアンリが騎士達に含みある笑顔を投げた。それから顔を戻してスタスタと歩き出した。背中を見せているのにまるで隙がない。騎士が五名、アンリの後を追っていった。天然小悪魔と聞いたが、計算ではないか?セリム同様、ティダは尻に敷かれるという予感がした。


「グスタフ王は忙し過ぎて、全然貴方と話が出来ていないようですね。シュナ姫の重い胞病ほうびょうは妻と僕で軽くしたのです。シュナ姫は元々平和を愛する方で、物事を考えやすくなったと喜んでくれています」


 シャルルが茫然としている。勝手な行いに呆れはしても、怒りはしないようだ。良かった。やはり懐が深い。


「何を考えている?」


 問われて何のことかとセリムは思案した。ラステルへの心配を見抜かれているのかもしれない。


「妻が恐れ多くもシュナ姫の大親友と懐いていまして。無礼だと叱られないかと……」


 ラステルはうっかり余計な事を話さないだろうか。それがセリムの心配だ。


「本当に妙な男だ。ちんまで頭がおかしくなってきた。そういえば、食料が降ってくるとは何だ?」


 頭が痛いというようにシャルルが目頭を押さえた。顔色が悪いのは寝不足なのかもしれない。大きな国だと仕事が多過ぎる。アシタカと同じだ。これは良くない。


「僕は天候を詠むのが得意なんです。間も無く雨と竜巻が、海から押し寄せてきます。それで多分、海産物とかを運んできます」


 大嘘だがそう言うしかない。蟲に運んでもらうなんて話をしたら、蟲を操れると誤解される。


「……。それで?分配や保存食作成の指揮」


 険しい視線でセリムは気がついた。


「すみません、シャルル王子の仕事ですね。貧困街に焦燥を感じて危うく誤るところでした。しかし、僕にも手伝わせて下さい。とても役に立ちます!」


 是非頼まれたい。セリムはシャルルに右手を差し出した。


「全部口から出まかせなら、本物の詐欺ペテン師だな。蟲の民ヴァナルガンド。人をさとす目などしてない。亡き母や、血塗れ女が化物シュナを見るのと同じ目をしている。ちんの周りにはお前のような男は居ない。これが嘘ならちんはこの世の何も信じられん……」


 シャルルが大きくため息を吐いて、悲しそうに項垂れた。それから顔を上げてセリムの右手を握ってくれた。


「僕の特技は人の良い所を見つける事です!友がそう教えてくれました。それを真心こもった目と呼んでもらい、鼻高々なんです!そこまで言ってもらえるなんて、誇らしい。蟲の民など得体が知れないし、嫌がられて当然なので僕はとても緊張していたんです」


 ティダは偉大な男だが、過去に傷ついて立ち振る舞いがおかしくなっている。シャルルを無駄に追い詰めたことは、後で注意しないとならない。ティダは自分に相応しい態度や言動を取るべきだ。


 丁度、握手を交わした時にノック音がして、ゆっくりと扉が開いた。廊下ほぼ目一杯の王狼ヴィトニルの前にシュナ姫とラステルが立っていた。


「初めましてシャルル王子。わたくしはラステル。蟲の民ヴァナルガンドの妻です。歓談に招かれて大変光栄です。ありがとうございます」


 ペジテ大工房の古い民族衣装サリーに身を包んだラステルは輝くほど美しく、セリムは見惚れた。会釈もシュナを真似したようで、とても気品あふれている。シャルルの目がラステルに釘付けになっている。


「特技は崩し将棋です」


 途端にいつものラステルになった。手に何か持っていると思ったら将棋盤と駒を入れる木箱だ。シュナが呆れたようにラステルを見上げ、苦笑した。


「兄上、体調不良とはいえご挨拶が遅れてすみませんでした。礼節知らずで呼ばれるまで気がつかなかったことをお許し下さい」


 シュナの会釈はラステルよりも自然で優雅だった。生まれてからこの方、ずっと身につくように励んできたというのが伝わってくる。


「お前が……シュナ?」


 シャルルがソファから転がり落ちた。その時ガタガタと窓が揺れた。風が強くなり、パラパラと雨が降り出している。


「ぼんやりと覚えがあります。野生児のようで恥ずかしかったでしょう。亡き母やカールがずっとしつけてくれても無理だったのに、私は生まれ変わることが出来ました。やまいのせいだったと、励ましてももらい兄上の支えになりたいと思っています」


 シュナが深々と頭を下げた。愕然がくぜんとしたシャルルはひたすらシュナを見つめていた。


 セリムはシュナがまとう清々しく、美しい空気に見惚れた。隣にラステルがいるのに、セリムの目はシュナから離れなかった。

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