崖の国の目付と大狼皇子1

 目がチカチカする煌びやかな部屋にパズーはうんざりだった。それからティダ。鳥肌が立つような丁寧さに、仮面のような笑顔。誰だ、こいつ⁈


「我が愛しき妃が平和を望むのなら、私はそれに従うのみです。なので王は討たねばならない」


 チェスの駒を掌の上でいじるティダ。向かい合って座るシャルルも、ティダ同様に嘘くさい笑顔。しかしシャルルの顔色はあまり良くない。目もずっと泳いでいる。


「愛しき妃。お前は婿入りした瞬間から、何もかも嘘だらけだな」


 シャルルの目には疑心しかない。部屋の壁に並ぶ騎士達からも、嫌な空気しか感じられなかった。


「心外です義兄上あにうえ


「化物と手を組み父上を討て?国家反逆で死罪。お前の首をねる」


 しかしシャルルは目を細めてティダを見つめるだけだった。ティダが口角を上げた。


「この国で人気の高い第四軍を救ったのは私。大陸覇王の大技師となったのも私。それに蟲を操る、蟲の民の王子を手懐けたのも私。頼みに来たのではなく、命令しにきたのですよ義兄上あにうえ


 さげすみのこもったティダの声は、パズーが聞いても憎らしかった。「シャルルと遊びに行く。ついてこい」と連れてこられたシャルルの部屋。チェスをしようと無理やりシャルル王子を座らせ、居並ぶ騎士を睨みつけて、この状況。


 何か企てているなら、説明くらいして欲しい。パズーは隣のシッダルタの顔を見た。視線が合ったシッダルタもパズーと同じことを考えていそうな表情だ。


 肩をすくめたシャルルがチェス盤上の駒を全部、手で払いのけた。バラバラと大きな音を立てて、チェスの駒が床に散らばる。ティダは微笑んだままピクリとも動かなかった。パズーとシッダルタはティダの後ろで小さな悲鳴をあげたというのに。


「あんな化物の下につけと⁈父上に報告する。第四軍など父上の主軍の足元にも及ばない。そこに第一軍だ。自滅だな」


 背を向けようとしたシャルル王子にティダがチェスの駒を投げた。額の中央に、ボーンの駒が直撃して、シャルル王子が体をビクリとさせた。


「何をす……」


 シャルル王子が部屋をぐるりと見た。騎士を見渡し、みるみる真っ青な顔になっていった。


四面楚歌しめんそかですよ義兄上あにうえ。今のがナイフなら死んでましたね」


 くすくすと笑うと、ティダがシャルル王子に向かってチェス盤を投げた。石で出来ているチェス盤が壁にぶつかって割れた。巨大な衝撃音にパズーとシッダルタは、また小さな悲鳴を上げた。護衛の騎士は誰一人シャルルの為に動かなかった。それどころか入口前に整列しだした。


「な……どういう……」


 ティダが椅子の背もたれに寄りかかり、チェス盤が置いてあった、机の上に両足を乗せた。それから両手を組んで、シャルルを狡猾こうかつそうな笑みで見上げた。


「部下の顔も知らないとは、やはり阿呆め。しかし生来悪い脳みそだろう。だから許す。主軍と第一軍を寄越せば、だがな。俺はベルセルグ皇国に返り咲く軍が欲しい」


 青白くなったシャルルは固まったまま動かない。ティダが足を下ろして立ち上がった。それからテーブルに飛び乗って、しゃがむとシャルルのシャツの胸元を掴み上げた。


「手を組もうぜ。何がしたい?俺が叶えてやるよ。俺は犬だからな。餌があれば働く。だが腹が減るなら食うぜ。俺の権力全てをくれてやるから、軍を寄越せ。シュナは至宝と手を組んで、俺に決して軍を与えない。だから俺は至宝も化物も噛み砕く。シュナと手を組みグスタフ王を討て。その過程で俺はお前を王にする。その褒賞に軍を寄越すんだ。歯向かうなら今ここで死ね」


 恐ろしい低い声に、鋭過するどすぎる睨み。シャルルが可哀想なくらい震え上がった。パズーは思わずティダの腕に手を伸ばした。予想外というか、むしろ予想通りにティダは涼しい顔付きでパズーを一瞥いちべつしただけだった。


 軽く顎でシャルルを示されたので、何か話せということだろう。何を?何なんだよ!


「言えよ。何が欲しい?お前が欲しいものを何でも与えてやる。俺がベルセルグ皇国で失敗したと思ってるんだろうが、逆だ。あんなちんけな国の皇帝なんぞ俺の器に相応しくない」


 またティダがパズー、そしてシッダルタに目配せしたがさっぱり分からない。ティダがシャルルに向かって舌打ちした。シャルルは口をパクパクさせて、茫然とティダを眺めている。今にも倒れそうなくらい、真っ青だ。シャルルという王子がどんな人物なのか知らないが、この光景は気の毒過ぎる。


「何とか言えよ。嫌だと言ったら死ぬがな!覇王に次ぐ国を手に入れて、ベルセルグ皇国の皇帝にも君臨する。男なら目指すは覇王だ。そのために意思疎通も出来ない化物に婿入りしたんだ。ああ、今は話せるか。まあいい。大陸覇王といえど、ペジテ大工房は外界へ出てこないから二国抑えりゃ西は俺の天下だ。グルド帝国も捻り潰せる。東は文明が遅れているから興味ねえ」


 ティダは鼻を鳴らし、間を置いてからまた口を開いた。東は文明が遅れている?嘘だとしてもカチンときた。ティダがパズーへ挑発的な笑みを浮かべる。わざと怒らせようとしているような態度だ。


 打ち合わせしてくれてないと分からない。ティダの目的は何だ?シャルルを脅して、それがどうセリム達の後押しになるんだ?


「な、な、何言ってるんだよ。これから大陸中の国と和平交渉をして戦争を無くそうって話だろう?それに交易や文化交流をして、それぞれの国がより豊かにって……」


 聞くしかない。しかし、この状況でティダは答えるのか?


「あ"あ"?何だその話は。和平交渉なんぞ至宝が本物の大陸覇王になる為の口実だ。このままじゃ俺は化物の婿のまま死ぬことになる。大嘘の大技師の看板背負わされてな!危険な役だけ押し付けて、何も与えないシュナと至宝に従うか。俺は覇王になる。その為なら何でもする」


 強烈な睨みにパズーは後退りした。だんだん本気に思えてくる。しかしこいつはセリムが信用する男。セリムが蟲を助けたいと言えば協力し、ラステルを救った。パズーも助けられた。アシタカの暗殺では銃弾で狙われるかもしれないのに、舞台上で声を上げた。船ではシュナを庇い、腕を切り落とされた。


 ティダがまた顎でシャルルを示した。


「分かんないんだよお前は!脅してどうするんだよ!これはやり過ぎで可哀想だ!」


 ティダがパズーに柔らかく微笑んだ。あまりの豹変ひょうへん振りに背中がゾワりする。鳥肌がブワッと立った。


「やり過ぎとは気がつきませんでした。すみません。ここまで脅しても裏切らないとは恐れ入った。良かったですね義兄上あにうえ。王の騎士団に首をねられなくて」


 シャルルから手を離したティダが、しゃがむのを止めて机の上に立った。騎士達がティダに手で指示されて、入り口の前から移動した。ここってティダの国じゃないよな?婿入りして一月も経過していない筈なのに、なんでこんなに我が物顔で指示できる部下がいるんだ。


「ち、ち、父上?父上が私を試したというのか⁈」


 シャルルの顔に、はっきりとした屈辱が浮んだ。


「まさか。私の独断ですよ。王の為に権力と土産を持ち帰ってきましたが、全く信用がないので。足りないのなら忠義を見せるのみ。そこで、こそこそ私を見張っている、義兄上あにうえと遊びに来たんですよ。兄弟仲良くと申しますでしょう?」


 トンッと机から飛び降りたティダが、シャルル王子に詰め寄った。ティダがにじり寄り、シャルルがジリジリと後退していく。ティダの氷のような冷笑にパズーは頭痛がしてきた。何がしたいんだ。


「来るな!近寄るな!ハイエナが!」


「犬ですよ。ベルセルグ皇国に帰る軍事力さえ貰えれば、何でもします。覇王はグスタフ王で構わない。大陸和平も勝手にすればいい。俺を化物に婿入りさせ、暗殺しようとした皇帝と第一皇子に第二皇子を血祭りにする。大事な国ごと、な。折角働いてきてやったのに、疑心暗鬼で暗殺を繰り返した挙句この仕打ち。恩を仇で返す不義理なハイエナには死んでもらう」


 憎悪に燃えるティダにパズーは困惑した。これがティダの本心なのか?シッダルダが真っ青になった。


「そ、そ、そ、それがちんと何の関係が……」


「頭が悪いと疲れてきますよ義兄上あにうえ。グスタフ王は私に軍を与えてくれます。だから犬となって働く。シュナと手を組んで王を玉座から蹴落とそうとしているようだから忠告にきたんです。王も私も、貴方の裏切りを知っていますよ」


 震え上がったシャルルが首を横に大きく振った。壁に背中をつけた時、出入り口の扉が開いた。爽やかな笑顔のセリムが立っていた。後ろにアンリとフォン、そして脇には月狼スコールが張り付いている。セリムは状況を把握したのか、一気に顔をしかめた。


「ッチ。では義兄上あにうえ。誰につくか少しは考えてください」


 きびすを返して立ち去ろうとしたティダの前に、セリムが立ちはだかった。


「何をしていたんだ?」


義兄上あにうえと遊びに来たんですよ。兄弟仲良くと申しますでしょう?」


 セリムが飛散したチェスの駒と、砕けたチェス盤を指差した。それからシャルル王子に寄り添った。シャルル王子はティダへの恐怖のあまりなのか、セリムが隣に立って肩に手を添えても逃げなかった。怯えた目でティダを見つめている。


「遊びに?どうみても違う。僕は君が少々荒っぽいことをすると知っている。何を話したか知らないが、こんなにも怯えさせる必要なんてないはずだ」


 セリムの指摘に、ティダが不満そうに肩を揺らした。


「チェスで負けた腹いせに、八つ当たりしただけだ」


 ティダがフンッと鼻を鳴らして歩き出した。パズーとシッダルタが動かないでいると、睨まれた。それから顎で「来い」と指示された。


「おい、なあ。いくら何でもやり過ぎだって。しかも嘘ばっかり」


 パズーはティダの肩に手をかけた。シャルルに含み笑顔と、流し目を投げただけだった。パズーの手を払ってスタスタと歩き出す。セリムの瞳がパズーに行けと訴えているので、仕方なしにティダを追いかけた。騎士達がパズーとシッダルタの後ろに続いた。


「おいティダ!何なんだよ!何か言えってそればっかり!さっぱり分からないんだよ!打ち合わせとかしろよ!それに本当に可哀想だ!」


 ティダがパズーを無視してぐるりと騎士達を見渡した。


「カイン、シャルルは俺に尻尾を振ると思うか?あと4日つつくぞ。シャルルを手に入れて第一軍を抑える。第四軍と第一軍で主軍に届くか届かないか。どうせ会談は血染めになる。市街地の内乱軍は有象無象。指揮系統が取れるとは思えねえ。シャルルを手に入れた方が勝ちだ」


 騎士の中で一番歳が上そうな男がティダと相対した。市街地の内乱軍とはどういうことだろうか。


「王の味方だという振りでシャルル王子を取り込もうと?」


 歩き出したティダの横にカインがピタリと張り付いた。


「シュナは甘過ぎる。シャルルと話し合いで手を組む?見ただろう。シャルルは意外に折れない。王太子で今自分の立場が優位だと分かっている。殺しちまうと意外に多いシャルル派が黙ってない。というかジョンがいない今、あいつが死ぬとシュナに濡れ衣がいく。厄介過ぎる。シャルルに俺を使いたいと思わせる。シャルルなら、取り込んだらこっちのもんだ。というか簡単そうだな、あいつ」


 また独断か。ティダが一瞬パズーに目配せした。まただ。何なんだよ。


「次は内乱軍だな。カイン、呼べるか?」


「はい。いつ何時でもと伝えてあります」


「なら直ぐだ。敵に時間を与えない」


「そう思いました、替えの服と馬を手配してあります」


 カインがティダの前に進み出た。


「御苦労」


 パズーは大人しくティダの後ろを歩いた。このやり取り、ここはティダの国なのか?違うのに、こいつはいつも世界の中心に居座る。


「ちょっと待てよ!こんなのシュナ姫は望んでないだろう?シュナ姫やアシタカ……」


 ティダがパズーの肩を組んだ。


「あいつは俺に全部任せた。理想論を望んでも、捨てたんだよ。シュナを王にする。軍はくれないらしいが、ベルセルグ皇国を政治経済全てで包囲して叩き潰させてくれるから俺はシュナにつく。餌があれば働く。風向きも王やシャルルではなくシュナ。俺は三国一の果報者だな!政略結婚という名の主従関係大いに結構!辛酸舐めさせられたハイエナはぶっ殺す!ふはははははははは!」


 高笑いしながら歩くティダからは、嘘の匂いがぷんぷんする。まずシュナがこんな暴挙を許さない。シュナがセリムとアシタカと話し合って、シャルル王子を王にしてグスタフ王はアシタカの大陸和平の方へと追いやるという事に決めたと聞いている。


 セリムがそれで動き回っている。多分、部屋にこもるシュナも水面下で動いている。


「何だよこの嘘。俺に何をしろって言うんだよ」


 パズーが小さくこぼすと、ティダが眩しそうに目を細めた。この目だ。これが本当のティダの目。


「好きにしろ。毒蛇の巣っていうのは生き様こそ全てらしいからな」


 シッダルタはずっと黙って俯いている。ベルセルグ皇国を憎々しく語るティダに思うところがあるのだろう。ティダがシッダルタを探るような目つきでチラリと確認した。シッダルタ本人は気がついていない。


「兵とは詭道きどうなりってな。目的の為なら手段は選ばねえ。どうせグスタフ王は俺にはつかない。カイン、見る目があった自分と主の賢さに感謝しろ。俺の欲望を満たすなら何でもしてやるよ!俺の手土産が実力を物語ってるだろう!ふははははははは!」


 また嘘の匂いがする。こんなのセリムが黙っていない。さっきのセリムは何も知らない様子だった。シュナと示し合わせてかは分からないが、何か目論んでいるというのは見当がつく。おそらく今、ティダに従う第四軍や内乱軍と関係している。どうにかして争いが起こらないようにする?こんな方法で?


「その目、さすが目付だな。よく見て学べ。あいつは特殊だ。色々知っていた方がいい」


 またティダが本当そうな目でパズーを見た。他の人に聞こえないような小声。ぐしゃぐしゃと頭を撫でられた。パズーの方が身長は高いが、ティダの方が大きく見える。


「タダン。ゼロースに報告しておけ。それかれビアーを呼んできてくれ。ノアグレス平野でぶち上げた反撃の狼煙のろし。やっと本番だ。乙女に粛清しゅくせいされた奴は取り押さえておけ。それで伝わる」


 カインと歳が近そうな騎士が黙って頷いて駆け出した。ティダがまた高笑いした。


 ティダの目的の一つはシュナとの政略結婚終了。セリムから聞いたが、ティダはシュナの庇護が終わるまで離れない。ティダの手助けで王になったシュナでは、ティダが去った後に何があるか分からないのでは?


 それか。パズーは考え込んだ。お膳立てだ。自力で何か成せるように、ティダはシュナのために何かをしている。シュナの望み、アシタカの願い、そしてセリム。三人ともなるだけ穏やかにと目指している。三人の後押し。今のティダの言動からは結びつかないが、これが一番しっくりくる。


 ティダがパズーから離れた。さり気なかったが、わざとだと感じた。予想通りでティダがパズーに、シッダルタを見ろというように顔を動かした。


「あのさ……」


 先に口を開いたのはシッダルタだった。ティダをチラチラ確認しながら、とてつもなく小さな声を出した。


「ティダは多分、昔を模倣もほうするつもりだ……それか似たようなこと……」


「後で話そう」


 パズーはティダに見えないようにシッダルタの背中を叩いた。ティダは前を向いて高笑いしているが、このやり取りも気づいているような気がした。


 

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