蟲の民と毒蛇の巣5

 見晴らしの良いベランダ。圧巻の大地。セリムは国を取り巻く大きな風の波に目を奪われた。


「シャルル王子!あの一際大きな風車の歴史は如何程いかほどです?」


 振り返ると、シャルル王子がつまらなそうに首を振った。


「あの川のほとりの街から登る煙は何です?」


 レスト・ニイアという名の川というのはシュナから聞いた。街の名前はオルゴ。崖の国の語源。あの水上都市のような街からセリムの祖先は旅立ったのだろう。容易に推測出来る。またシャルル王子が、首を横に動かした。


「蟲の民の王子。ちんに大事な話があると言うのに、先程から何でしょうかこれは」


 ちんとは、王の意味ではなかっただろうか。王太子といえど気がはやり過ぎでは無いだろうか。セリムはアンリに脇腹を小突かれた。また"人をさとす目"をしていたらしい。シャルル王子が丸い顔の真ん中に、しわを寄せていた。


「この国は和平交渉相手。未熟で無知な私はドメキア王国を知らなければなりません。多忙なグスタフ王の次に、国について詳しいのはシャルル王子ですよね?」


 ズラリと屈強そうな騎士に囲まれた、父親に似て豚っぽい愛嬌あいきょうたっぷりのシャルル王子。猫のような釣り目と、金髪の色はセリムとお揃い。遠い親戚らしいので、やはり似ている。


「それが大事な話で?」


 他に何があると言うのだろうか。和平交渉の会談まで五日しかない。理解を深め合うには時間が足りな過ぎる。四重砦の最外層の街並みを、目を細めて見つめるシャルル王子にセリムはピンときた。


「貧富の差が激しく困っていると聞いています。シャルル王子の仕事を邪魔をするなど言語道断。忙しいのにこのように付き合わせて。僕が仕事に付き合うべきでした」


 見れば見るほど大きな国。成すべきことは膨大だろう。手が行き届かなくて、疲弊する筈だ。シャルル王子は顔色が悪い。


ちんの仕事?蟲の民の王子よ、何が狙いだ」


 父親グスタフ王からセリムの目的を、まだ聞いていないのだろうか。昨日の今日、それもまだ朝早い。時間を与えなかったセリムの責任だ。


「人の里が穏やかで、平和で、豊かであることです!知らぬから誤解されていますがペジテ大工房は蟲との因縁深い。それ故に人里には殆ど出れません。すると歴史、国力、指導者、そして今持つ権力を考えると真の覇王はドメキア王国。娘はペジテ大工房の大技師一族の血を引き、その夫が大技師となった。各国との和平交渉を推進するのに相応しいのはグスタフ王です。ペジテの至宝アシタカもそれを望んでおります。シャルル王子は王太子。グスタフ王が大陸の平和を守るのに忙しくなるので、この国を守らねばなりません」


 誤解があってはいけないので、セリムはグスタフ王へ告げた言葉と同じ台詞を述べた。シャルル王子が益々目を細めた。朝日が眩しいのかもしれない。アンリにまた脇を小突かれた。


「ああ、すみません。守らねばなりませんなどと。既に励んでいる方に。私はどうも、無意識に上から目線になる傲慢ごうまんらしく。何と未熟かと日々打ちひしがれているのです……」


 外交がこんなにも難しいなど、セリムは知らなかった。一人で崖の国へ訪れ、立派に兄のユパと渡り合い協定を結んだアシタカ。今晩も話を聞いて学ばないとならない。シュナの為に、不本意なのに婿入した元敵国の為にと街を視察しているティダの横は遠い。


「掌をくるくると珍妙な男だな。本当の目的は何だ?」


 突然、セリムに騎士達が剣と槍を突きつけてきた。月狼スコールが唸りあげ、アンリとフォンと共にセリムの前に並んだ。フォンが銃口をシャルル王子に向けている。


「スコール君!止めないか!フォン!銃を捨てろ!怪しい男と話をしてくれる方に無礼だ!シャルル王子も不気味とはいえ、僕に敵意が無いくらい殺気で分かるでしょう。過剰な自己防衛は失礼です」


 唸るのを止めた月狼スコールの、太陽のような瞳が曇った。睨んでから気がついた。月狼スコール王狼ヴィトニルよりもかなり若輩。王狼ヴィトニルと違い、まだまだ経験が浅い。


「すまないスコール君。君の今の仕事は僕の護衛だ。当然の事をしてくれたのに怒鳴るのは良くない。たしなめるか見本を見せる。もしくは説明しないとならなかった」


 目を見て頭を下げると、月狼スコールが小さく三度吠えてくれた。セリムは大狼の大群のリーダー直下。ティダやアンリのように、後進を育てないとならない。大変重要な役割だが、実力を信じられている。フォンが胸元に銃をしまった。捨てないのはなってないが、彼も怖いだろう。仕方ない。


「何の話だ!目的は何だ!」


 疑心暗鬼で凶暴になっている。国を継ぐ、一番の骨組みにならねばならないシャルル王子にまだ覚悟が無いのかもしれない。グスタフ王から、まだ王としては育てられていないのだろう。ドメキア王国は蟲に怯えている。だから蟲の民の王子の正体を暴き、利用したい。それなら殺されることはない。


 セリムは両手を挙げた。


「蟲は人に利用されるのを最も忌み嫌っています。先日は危うく大陸が滅ぶところでした。本来人と話せぬ蟲と、この大陸で唯一心を繋ぐので助言に来ただけです。大陸全土との和平。蟲も利用しない。それなら蟲は決して巣から出てきません。皆がそれぞれの国で、巣で、より豊かになれるように手伝うのが僕の目的です。いや祈りにして願いです」


 脅しは好きでは無いが、アシタカの父大技師ヌーフの背中から学んだ。正しいだけでは無理な事もある。二千年も続く国の象徴。蟲の大群の前に自ら姿を現し、最前線に立って平和への祈りを捧げた。あのような方でも、多少卑怯な手を使わざるを得なかった。大技師が死ねば国が滅びる。真実でも、大衆に見せつけ道を一本にするのは脅迫だ。正しいのかも独断。恐ろしくてならない道を、ヌーフは自らを信じて貫いた。途方も無い決意で、セリムにはまだ出来ない。


 セリムが殺されれば蟲が大陸を滅ぼす。


 蟲の王レークスにもう違うと告げられたが、継続しているような気がしてならない。現に、今、家族の激しい憎悪と怒りを感じる。


 平和へと導くにはどうすれば良いのだろうか。


「ひっ……」


 シャルル王子が小さな悲鳴を上げた。それから化物を見るような瞳に、血の気が引いた顔色。


「すみません。僕は本当に未熟で……。心臓に剣を突きつけられても真心を忘れるな。憎しみで殺すよりも許して刺されろ。憎悪では人は従わない。それが僕の信念で誇りです。信じることは難しいでしょうが、どうか胸に留めておいて下さい」


 セリムはシャルル王子に握手を求めた。しかしシャルル王子は騎士達を連れて去っていってしまった。怒りに飲み込まれて、脅迫を残しただけ。大失敗だ。


「はあ……。アシタカや兄上達の面子を潰してしまう。僕がグスタフ王を大陸和平の席に連れてくると信じて任せてくれているのに」


 セリムの腰をアンリが軽く叩いた。それから励ますように微笑んでくれた。


「シャルル王子は怯えてましたが、ヴァル殿の話を最後まで聞いていました。それに結局手も出さなかった。噂に聞くところによると、捕虜となっているジョン王子は嗜虐しぎゃく的で性悪が強いそうです。しかし、シャルル王子は違うと思います」


 その通りだ。一度だけ対面したジョン王子ははっきりいってグスタフ王よりも、良くない人種だった。目の光が嫌でたまらなかった。母親が、我が子可愛さでシュナの母親を謀殺したというので、きっと良い手本がいなかったのだろう。


「僕もそう思います。国でちやほやされて可愛がられていたので、嫌われる所から仲良くなるのがこんなにも難しいとは知りませんでした。グスタフ王に謝りに行こうと思います」


 またアンリが大丈夫だというように、柔らかく笑ってくれた。


「ヴァ、ヴァル様。わ、私も護衛ですが先程のような事があっても判断がつきません!粗相をしたら申し訳ありません!」


 突然フォンがセリムに頭を下げた。


「スコール君の手本がヴァル殿なら、貴方の手本は私!先程は私も見誤った!自己判断は大切だ!のびのびと励みなさい。責任は私にあると安心しなさい」


 フォンを見上げる小柄なアンリの厳しい表情。しかし最後はとても優しい笑顔でフォンの肩に手を置いた。これか、ティダがアンリに夢中な理由。姉のクイのような豪胆さと包容力。パズーがティダは崖の国の女が好きだろうと言っていた。


「何ですヴァル殿?」


 護衛官として任務中なので、アンリは凛々しい表情。やはり、ぱっと見は少年のよう。女性らしさと内側の太い信念を見抜くのは、中々難しいかもしれない。


「いや、ティ……。いや大狼達が貴方に気を許す理由が分かって嬉しいなと。僕はやはり見る目があるんだなと再確認しました」


 アンリが不思議そうに首を傾げた。月狼スコールの尻尾がアンリの体に巻きついた。しかしそっと引き剥がされている。


「スコール君、私はヴァル殿の護衛官筆頭。上官を護るよりもヴァル殿に常に意識を払うようにして下さい」


 月狼スコールに不満そうな色が滲んだが、アンリは子供をあやすようにポンポンと月狼スコールの頭を撫でた。アンリのしたり顔が、、月狼スコールは自分に逆らえないと知っている、そう物語っている。


「アンリさんが魔性の女っていう理由も分かりました」


「何でしょうそれは!私は負けず嫌いなだけです。大狼の上官と優位に立ちたい負けん気です。スコール君はそんな私の優越感なんて小さなものに興味が無いのでしょう。この通りです。恥ずかしいですね。大狼は気高いと聞いています」


 くすくすと笑うアンリから謙遜けんそんでしかないと伝わってきた。やはりアンリの掌の上。月狼スコールからも降参という感情。尻尾が床についている。


「ヴァル殿。アンリ長官は天然小悪魔です」


 また噂話か。注意しようと思ったが耳にしたことがない比喩がつい気になった。


「それはどういう意味なんだい?」


「無意識に人を振り回す。計算なんて無いのに人を掌で転がすということです。護衛人長官達も、割とコロコロ転がされてます」


 フォンが言い終わった直後にアンリが冷笑を浮かべた。背筋が凍りそうな冷たさに、セリムは身震いした。


「懲りてないなフォン!ヤン長官に伝えておくからな!ヴァル殿が親しみやすくても、話に乗るな!愚か者が!次期長官として恥を晒すな!」


 ドスの効いたアンリの罵声が空一杯に広がる。フォンを叱責しながらも、セリムのことは立てた。激怒したが、冷静なのだろう。


「お恥ずかしいところを見せ、失礼しました」


 アンリが険しい表情でセリムに敬礼した。


「ティダやアシタカ、それにシュナ姫が僕の良い手本にとアンリさんを指名してくれて良かった。是非、御指南下さい。護衛もよろしくお願いします。グスタフ王の元へ行きます。シャルル王子への非礼を謝り、その後は親交を深めたい」


 セリムはアンリに深々と頭を下げた。それからフォンの肩を抱いた。


「僕の手落ちだ。巻き添えすまないフォン。厳しさと包容力を共に学ぼう。アシタカがきっと褒めてくれる」


 セリムが笑いかけると、フォンが頬を引きつらせた。精鋭の護衛人達から、さらに選ばれたセリムの護衛官の副官。気負っているのだろう。


「ヴァル殿。その脅しはさすがに可哀想ですよ。フォン、嫌味ではないから安心なさい。見る目をもっと養いなさい」


 セリムの真心は嫌味、脅し。


「解釈は人それぞれ。だからこそ手を取るのは難しいですね……」


 薄い雲の向こう、澄み渡る青空をアンリが切なそうに眺めた。それから火柱のような決意込めた視線をセリムに向けた。


「私は私の目を信じます。ヴァル殿、貴方の道を隣で見れるのは大変光栄です。私が見誤った際も是非声高々と抑制して下さい!私は誰よりも誉れ高い護衛人長官になりたいのです!」


 屈託無く笑ったアンリに、セリムは自然と笑い返した。アンリとはとても気が合いそうだ。


「では、玉座の間へ行きましょう」


 はい!とアンリとフォンが声を揃えた。それから月狼スコールの吠えも重なった。


***


 シャルルはワイングラスを床に叩きつけた。


「何なんだあの男は!人をゴミでも見るかのように!それにあの脅迫!」


 腹わた煮えくり返るとはこの事だ。もう一つワイングラスを床に投げつけ、靴で踏みつける。クソ蟲野郎!


「シャルル王子どうなさいます?」


 ガルル大臣。こいつからも小馬鹿にされているのは知っている。他の大臣達に貴族連中も全員そうだ。どいつもこいつも、無能で行動力もない臆病なシャルルを見下している。憎たらしいジョンが捕虜になり、シュナを人形にする血塗れ女も消え去った。


 馬鹿にしていた男に平伏さねばならない嫌悪感が、こちらには爽快。


 それなのに邪魔者が帰ってきた。


「決まっている!蟲を操れるのだろう?奴を使う材料を手に入れろ!化物が賢くなったなど嘘ばかり!化物に寄生するハイエナに王座を渡してたまるか!ティダの動向も探っているんだろうな⁈」


「勿論です」


 絶対に王座は渡さない。積年の侮辱を晴らすのに、泥に額をつけさせる。掌返しの役人貴族も全員首をねる!


 裏切り者は毒蛇の毒で死に至る。


 最劣等派閥、シャルル王子の大粛清だ!

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