同船者の挨拶と小さな宴4

 これからセリムと戦うヤン長官以外、この中で一番頼りになりそうなゼロースの隣にパズーはピタリと張り付いた。


「やっちまった」


 思わず声に出ていた。


「パズー君、ヴァル殿は何をあんなに怒っているんだ?」


 不思議そうにゼロースが首を傾げた。


 ここまでイライラするセリムは何年振りだ?三年だ。三年振りだ。


「あー、前に同じくらい怒ったのは三年前で……友人達と個人的に成人祝いをしようと言って、宴会を開いんです」


 何の話だ?とゼロースの目が訴えている。


「俺達、自分達は成人だ!としこたま飲んで盛大に酔って色々やらかした。尻拭いして回ったセリムが、"お前がしっかり見張らないからだ"と方々から叱責されたんです。あいつはそういう風に育った。誰よりも立派であれ、人をきちんと導けって。だから自分に厳しく他人に甘いんですけど……その時はさすがに理不尽だ!って大爆発しました」


 パズーが言いたいことが伝わるのか分からないが続けた。


「つまり、穏便にしたかったのにゼロースさん達三人がセリムに敬意を払うどころか侮る態度。目付なのに俺がセリムの援護じゃなくて、三人の後押しして裏切りった。あと軽率過ぎた。本人がさっき叫んだ事ですよ。全部、全員まとめて"恥を知れ"って怒ってます。セリムの奴そういう風に怒るんです」


 愉快な怒りだなと言うようにゼロースが笑うと、セリムが盾をぶん投げてきた。ゼロースが余裕そうに上半身だけ避けた。


 弧を描いた盾がセリムの手に戻っていった。


「真剣な場で薄笑いなんてなってない!真面目に見ろ!」


 低い声でセリムがゼロースを睨んだ。ゼロースが顔を歪めてセリムを睨み返した。


「早く合図しろパズー!ヤン長官!引いてくれって頼んだのに、自分の強さを教えましょう?力と言うのは見せつけるものではない!いざという時に人を助けるものだ!覇王とおごるその根性叩き直す!その前に床に転がしてやるからな!」


 ゼロースに声もかけずに奇襲。ヤン長官とゼロースをこれから力でねじ伏せようとしている。自分の発言と態度が矛盾しているのにセリムは怒り狂っていてその事実にまだ気づいていない。


「うへー、後で面倒だ。あいつ自分が未熟過ぎるってすっごい落ち込むんですよ」


 セリムにキツく睨まれてパズーは渋々「開始!」と震えた声を出した。


 ヤン長官の鉄の鞭ウルミを盾で受けるのかと思ったら、セリムは逃げるように駆け出してメインマストをぐるっと回った。


 右手に鞭、左手には刃を出した鉈長銃なたちょうじゅう


 シッダルタの時とは違って本気だ。


 目が据わっている。


 セリムが鉈長銃をヤン長官の手前に投げて、床に垂直に突き刺した。それから素早く床を踏み込んで跳んだ。セリムが鉈長銃の銃口を踏み台にしてさらに高く跳ぶ。


 空振りしたヤン長官が素早く頭上のセリムを鉄の鞭ウルミで払おうとしたが、セリムは鞭を鉈長銃に絡ませて体を引き戻していた。


 相変わらず速くて目が追いつかない。


 もう鞭がヤン長官の首に巻きついている。セリムが勢い良く引っ張った。同時くらいに鞘に納まったままの短剣が鉄の鞭ウルミに当たり、ヤン長官の手から武器が離れた。いつ投げたのだろう?


「きちんと柄と手の境を狙ったのか。怒っていても冷静だな。さっきもだが陽動が上手い」


 ゼロースが言い終わる前に、落下しているセリムがヤン長官の顔を手で包んでいた。そのまま勢いよくのしかかってヤン長官を床に押し倒した。


 鞭を大きく引っ張る真似をしてから、セリムはヤン長官から離れた。


「実戦なら絞殺ですね。僕の勝ちだ」


 そう言いながら、鞭と反対の手には短剣が握られている。鞘におさめたままだがヤン長官の左目の上に突き立てていた。


 はあっとセリムがため息を吐いた。


「僕の愛しき、それこそ至宝のラステルの護衛がこんなでは困ります。鞭の扱いが全然なってない。ラステルの為に特訓しますからね。礼儀作法から叩き込みますよ」


 ヤン長官を引っ張り起こすと、手近な護衛人へ向かってヤン長官を押した。


 敬語が出てきたってことは少し怒りが鎮火してきたのか?


 セリムが床に放置していた盾を掴んだ。それから意味深にパズーと目を合わせた。嫌な予感がするとパズーはしゃがんだ。頭の上を盾が通り過ぎる。ぐるっと回って戻ってきた盾をゼロースがパッと掴んで床に置いた。


 今日何度目か分からないセリムの睨みがパズーに注がれる。こういう時気心知れていて、考えていることが読めるというのは恐ろしい。


 セリムの目が"謝罪もなしに許されると思うのか?"と言っている。セリムを怒らせた原因と、一番の怒りの矛先はパズーだ。間違いない。


「ひいいいいいい!悪かったって!きちんと反省を述べて謝罪する!それから一日でも早く直す!」


 今すぐ土下座しようとしたパズーの首根っこをゼロースが引っ張った。


「謝るのはまだ早いパズー君。まだ私がいる」


 それとこれとは話が別だ。パズーはなるだけ早く反省と謝罪、そして誠意を伝えないと叱責が長く、重くなる。


 運良くセリムがゼロースに関心を移動させた。セリムがゼロースを見る目は"まだ引かないのか"と冷ややか。おまけに舌を鳴らした。セリムがこんな悪態をつくのは滅多に無い。相当頭にきてる。


「ラステルの艶麗えんれいな姿を楽しみたい?人の妻を何だと思ってるんだ!しかも恩人で一国の妃に対して何たる恩知らず!礼節がなってないのはシュナ姫の教育の不備と言われても仕方ないからな!あんな立派な主に恥をかかすなど忠義が足りない!剣術の腕に覚えがあるようだから、剣だけを使ってやる!誰か貸せ!」


 すぐ隣でゾワゾワする空気を感じ、ひえっとパズーはゼロースから離れた。ゼロースが全身から怒りを発している。


「うわあ……。ゼロース様に一番言ってはならない言葉を……」


 反対隣にいたビアーが恐々とした表情でぽそりと呟いた。


「あー、シュナ姫のことです?セリ……じゃなくてヴァル。ヴァナルガンド、破壊ってなんだよ!ったく偽名とか面倒だな!ヴァルのラステル的な鬼門がゼロースさんのシュナ姫って事です?」


 周りのドメキア王国兵と共にビアーが首を縦に振った。


「今回の戦までシュナ姫は聡明さを隠して、大馬鹿のように振舞ってた。だから紅旗の騎馬隊、いや第四軍は実質元帥カール様の軍だった。その中でシュナ姫様への忠義を公言していたのはカール様とゼロース様だけ。幼少時からシュナ姫様と共に育ったカール様は分かるけど、ラーハルト様がスラムから拾ってきた叩き上げのゼロース様は良く分からない。シュナ姫様とは殆ど接点が無かったのに」


 ゼロースが振り返ってビアーを睨みつけた。


「分からない?お前達は人を見る目がなさすぎるのだ!それから恩義も足りない!それなのに実力も足りな過ぎる!配慮も足りん!全部だ!俺から引き継いで隊長なのに何を呑気に雑談しているビアー!主や上官の為に吠えもせずに愚か者が!」


 わなわなと怒っているゼロースが鎧を脱ぎはじめた。セリムと同じ条件という心意気らしい。叱りつけられたビアーが自分の腰から剣を外してセリムまで運んだ。


 セリムはしっかり会釈して両手で剣を受け取った。ビアーは片手でセリムに剣を差し出して、即座に戻ってきただけ。


 やっちまったなビアー。大分年上そうだが、セリムにコテンパンに叱られるだろう。ビアーの上官、ゼロースも似たような匂いがする。


「やり直せビアー!恥を晒して許さんぞ!」


 案の定だ。


「全く、礼節がなってない」


 ゼロースが激怒、セリムが氷のような軽蔑の視線をビアーに注いだ。パズーは蛇に睨まれた蛙のように固まっているビアーに同情した。


 ラステルだ。ラステルを連れてくれば多分丸くおさまる。パズーはそうっと後ろへ下がった。年が近そうな三人のドメキア王国兵も同時に動いていた。シュナ姫を連れてこようと考えているのだろう。同じやり口なので、目が合っただけでピンときた。


「パズー!自分で場をおさめずにラステルに頼もうという他力本願は許さないからな!」


「愚か者!ライト!ガビ!ゲルダ!つい先程話したばかりなのに耳が無いのか⁉︎上官の為に吠えもせずにコソコソ何処へ行く!疲れ、祖国を憂い、張り詰めているシュナ様に嘆願など不義理にも程がある!前へ来い!」


 選択を間違えた。パズーは即座に駆け出してセリムの前に胡座になった。それから手を挙げた。


 なるだけ早く反省と謝罪、そして誠意を伝えるという考えを忘れていたことを嘆くしかない。


「いいかパズー。君は僕の目付役となったんだ。力はいらないが、僕よりも気高く、誇りを見せないとならない。間違っても世話相手の僕を裏切ったり、扇動して道を踏み外させようとしてはならない。ましてや僕の誇りオルゴーであるラステルをそんな愚かな事に利用するのは絶対にいけない事だ。パズーを僕の目付にと認めた父上や、ユパ王や、クワトロ兄上の顔に泥を塗ってはいけない。分かるな?」


 パズーは反論せずに「はい」とだけ答えていった。反論もセリムへの批難もあるが、その後の論破を想像すると面倒臭い。セリムは口が立つ。おまけにこの後セリム自身が自らの大反省会をはじめるから、批難なんてしたら余計に面倒臭さが増える。


 後で絶対にラステルで機嫌を取ってやる。全身全霊でしおらしい表情を作った。このまま鎮まれ。今を耐えれば、セリムは向こう何年かは怒らないだろう。


「大体ラステルを連れに行ったらシュナ姫も気にするだろう!自国の妃はまだ許されるが、他国の聡明で懐の深い姫君に最大限の敬意を示せ。ゼロースさんが言う通り、彼女は大変なんだ。ティダの相手もしているんだぞ。荷物を軽くするどころか増やそうだなんて、友となってシュナ姫を支えようとしているラステルの顔に泥を塗るつもりか?」


 パズーはブンブンと首を横に振って「いいえ。軽率でした」と謝罪を述べた。ゼロースがセリムと似たような叱責を部下にしているのが聞こえてくる。


 ベルセルグ皇国兵と護衛人達から同情の視線が集まっている。自分の国だからまずパズーというだけ。人ごとじゃ無いって分からないらしい。まあ、当然か。こんな変な怒りを爆発させる奴なんて中々いない。


「今はまず自国のパズーだが、全員だ!恥を知れ!特にヤン長官!あなたは人の上に立つ男!至宝アシタカに砂をかけるとはなってないですよ!」


 突然名指しされたヤン長官が憤慨したようにセリムを睨んだ。下手すると息子世代のセリムに負けたのも悔しいのだろう。


「ティダにあんな格好で連れて行かれるアンリ長官を追いもしなかった!ラステルはアンリ長官の為にティダに臆さず食ってかかったのに、見習って下さい!」


 ラステル、ラステル、ラステル!本当にセリムはラステル馬鹿だ。初恋に新婚を差し引いても馬鹿すぎる。こんなだからラステルに振り回されて尻に敷かれるんだ。


 セリム自身もティダを追わなかったことは棚に上げている。いや、セリムは追ってからティダと目配せしていたからヤン長官とは違うか?ヤン長官はパズーの考えと同じ意見なのか、反論せずに唇を震わせてセリムを睨むだけだった。圧倒的実力差で負けた上に、口論で負けたりしたら立つ瀬が無いからだろう。


「ベルセルグ皇国の民が龍の民と言うのなら貴方達も……そういえば龍の伝承はあまり知らない。ティダが利用した歌ということは、あの歌は古くからのものか?龍って本当にいるのか?龍か……」


 ついにセリムの興味が逸れた。パズーは心の中でガッツポーズをした。このまま何故何なぜなに王子が出てきて、大鷲一族の誇り高き王子を追求するセリムを追い出してくれ。


「まあ後でいい」


 呆気なくてガッカリした。


「それよりパズーだ。僕とラステルの大親友にして、崖の国一の大鷲を目指す王子の目付役。君の振る舞いで僕達は軽く見られてしまう。パズーはこれまでとは立場が違うのをもっと自覚してくれ。まだまだ未熟な僕が、目付を叱らないとならないというのは変だろう?僕ぐらいはとうに過ぎているのだから、周りに流されずに自分の誇りを見せてくれ」


 この目が嫌だ。本気で自分よりもお前の方が優れているんだから、しっかりしてくれと訴えてくる目。百人いたら百人がセリムを選ぶのに、本人だけ自覚がおかしい。


 国で一番強いといっても崖の国は田舎の小国。どうせ誰にも勝てなくて、フワッと場がおさまるなんて考えたのが間違えだった。


 セリムの奴、まさかこんなに強かったなんて。それともシッダルタやヤン長官が弱いのか?いや、兵士達の驚愕から予想するにセリムが強過ぎるのだ。


 ずっと大人しかったアピが、脚なのか何なのかパズーの背中を叩いている。今すぐ離れて欲しい。しかしセリムは"アピも怖くないのに嫌な顔ばかりして"と怒っていたので、今は顔に出せない。


 パズーは「相手の目をしっかり見ろ」と言われるのを覚悟で俯いた。ただでさえ顔に出やすいのを踏ん張っているのに、背中のアピの怖い不気味な動き。セリムから顔を隠すしか無い。


「ヴァル殿!好奇心で手合わせを願い、恩人であるラステル妃を利用して貴方を挑発した事を先に詫びよう!我が王があまりに信頼しているので見定めたかった!まだ若いのにこれほどの実力。それ以上に鍛えられた性根には頭が下がる!」


 ゼロースの叫びに、セリムが一瞬目を丸めた。それからパァッと笑顔になった。どうみてもまだやる気満々のゼロースが肩透かしを食らったように、ポカンと口を開けた。セリムはゼロースが大人しく引いてくれたと思ったのだろう。


「シュナ姫が元帥に選んだ方は無意味な争いなどせずに引いてくれると思いました。わざわざ分かりやすく鎧も脱いでくれて。僕はティダの友として助力、時に抑制をしたいと共に来ました。だから軍を統括したり、ましてや司令塔になんてなりたくありません。自分と身内の身は守れると証明できましたし、これ以上はもう必要ないですね。返します」


 セリムがニコニコしながら剣を両手で持ってピアーの前に移動した。ゼロースの前にひざまずかされているビアーの前にセリムが片膝をついて恭しく剣を返却した。


 セリムがパズーの元へ戻ってきた。腕を掴まれて立たされる。それから円の中心に移動した。セリムは一周見渡すと深々と頭を下げた。パズーの頭も無理矢理下げさせた。それからゆっくり体を起こした。


「まだまだ未熟でご迷惑をかけました。ヤン長官、暴言を許せとは言いません。不平不満は甘んじて受けますので互いに切磋琢磨しましょう。ティダの奴、ゼロースさんは素晴らしいのに、彼を挑発して掻き回してこんな無益な状況を作るなんて。僕に勝てば褒賞をやろうなんて愚策がまず許せない。何故同じ道を行く者達を争わせる。王たる狼ヴィトニル、さあ行くぞ。ゼロースさんもお願いします!ティダには反省してもらう!」


 輪の中に置いてきぼりにされたパズーは頭を掻いた。呼ばれた王狼ヴィトニルが何故か大人しくセリムに寄り添ってついて行った。ゼロースが迷った様子ながらも、セリムを追いかけた。このままでは名折れだと言わんばかりに、ヤン長官も追いかけて行った。セリムが二人に謝るのが微かに聞こえてくる。


 ティダとセリムが言い争ったらどうなるんだ?本気の喧嘩になったらどうなるのか想像出来ない。いつもの調子のティダだと、今のセリムには火に油な気がしてならない。ティダが海岸の時のようにラステルにちょっかいかけた瞬間大炎上だろう。


 いや、ティダはセリムの心理を読み取って懐柔してくれそうな気がする。その方法はパズー達にとって有難くないものだろう。セリムに軽々と頭を下げて、同意して、説教に加わってきそうだ。


 そんなの回避したい。


 しかし怖くて、面倒で後を追えない。目付役を志願したのは完全に失敗だ。しかし今更引き下がれない。パズーは「うへー」と呻いてから背中のアピを見た。大人しくなったと思っていたら三つ目が灰色。


 この状況で寝てやがる。


 やっぱり追おうと決意した時にはセリムが船長室の前に立っていた。おまけにワッと兵士達が集まってきて動けなくなった。


 一度に話し始めるから聞き取れない。


 出航してすぐこんなだとは、前途多難過ぎる。

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