同船者の挨拶と小さな宴2

 徐々に嵐の風を肌で強く感じる。雲も増えた。しかしまだ晴天。セリムは初めての酒、ビールを片手にティダの隣、手摺に軽くもたれかかって全体を眺めた。


 国同士で集まって固まっている兵士達。そこにラステルがパズーを引き連れて、パンを配って話しかけている。護衛だからとラステルの隣にはアンリ長官。そして寄り添う月狼スコール。パズーの背中にはアピが張り付いている。はっきり言って、あまり歓迎されていなさそうだ。


「あまり僕の妻をこき使わないでくれ」


「適材適所。あの顔に溌剌はつらつさは使える。お前もそう思うから放置してるんだろ」


 指摘通りなので、セリムは唇を尖らせた。


「まあそうだ。……僕は滅多なことがないと酒は飲まない。いざという時に飛べないと困るからだ。やるよ」


 セリムはティダにビールの器を押し付けた。


「俺も滅多なことがないと飲まん。酒は溺れるほど好きだがな」


 ビールの器を押し返された。セリムはビールをヤン長官に渡すことにした。ヤン長官が苦笑まじりに受け取ってくれた。


「崖の国に帰国して、盛大に祝ってもらった。次はティダ、君もどうだい?兄は蟒蛇うわばみと呼ばれている。似ているから僕もそのくらいは飲める」


 ティダが甲板に背を向けた。不敵に笑って空を見上げる。


「パズーの女を用意しておけよ。俺を殴りそうだというから見てみたい」


 クスクスと笑い声を上げるティダの腕をセリムは小突いた。


「あまりパズーで遊んでやるな。それにテトは本当に君に噛み付くよ。僕の姉上方も君を叱責する。僕もラステルもコテンパンにされてきた。崖の国の女は豪胆なんだ」


「そんな国に招こうっていうのかよ!ふはははははは!そんな女達を御するのは楽しそうだな」


 自信溢れるティダにセリムは相談を思い出した。


「なあティダ、僕はラステルの尻に敷かれたくないんだ。どうするべきだと思う?」


 誰も彼もしっくりくる答えをくれない。「はあ?」とティダが素っぽい呆れ声を出した。それから大笑いしはじめた。


 パンを配り歩くラステルがシッダルタの手を取って立たせていた。それからゼロースの元へと連れて行っている。何かするつもりらしい。隣にいてはいけないのだろうか?姉のクイのアドバイスを守るというのは、中々難しい。


「惚れたら負け。ヴァナルガンド、お前には一生無理そうに見える。本当に妙な奴だな。他の奴は自由自在っぽいのに、あんな素直な女一人を操縦出来ないとはな」


 なおも笑い続けるティダにセリムは少しムッとした。


「ティダ、君だって"どんな女だろうが俺は落とせる。手段は問わねえっ"て言っていたけど誰も落として無いじゃないか」


 ティダがセリムの顔の前に人差し指を立てた。不敵な笑みを浮かべている。


「シュナは俺の思い通りに動いてる。反発して涼しい顔をしているが、概ね予想通りになった。そして逃げるが勝ちって奴だ」


 抽象的過ぎて何が言いたいのか分からない。ティダが中指を立てて、指が二本になった。


「崖の国の妃はすっかり俺の忠犬」


 セリムの頬が自然と引きつった。ティダの薬指も立って指が三本になった。


「アシタカの妹達とも打ち解けた」


 アシタカが怒っていたが何をしたのだろう。ティダの小指も増えて指が四本になった。


「次はアシタカの女も丸め込んでやる。切り札は多い方が良いだろう?落とすってのは色々あるんだよ」


 どうだ、という顔にセリムは呻いた。先程アンリ長官に何かしていたのはこれか。


「アンリ長官のことか?アシタカとどんな関係なのか知ってるのか?パズーがアシタカは女たらしらしいと、信じられないことを言っていたんだが」


 アンリ長官を見ると、ラステルの周りに人だかりが出来ていた。兵士達に腕相撲をさせている。崖の国の帰国祝いの宴を再現する気らしい。誰から借りたのか短剣二本でリズミカルに音をたてていた。誘われたのか近くの兵士が樽を叩きはじめている。


「やりたい放題だなお前の女は」


「僕の為にと張り切っているんだ」


 嬉しいが心配でもある。複雑な気持ちで何とも言えない。少し前までは、自分の為に健気で嬉しくてたまらない、もしくは心配し過ぎて隣から離れられない、だった。


「その顔、多少熱が下がったらしいな」


「言っただろう?有難いことに姉上達にコテンパンのぺちゃんこにされてきたんだ」


 あの三人の姉達が、特にクイがティダとどんな話をするのか見てみたい。セリムがそわそわしながらラステルを眺めていると、ラステルの為なのかアンリ長官が腕相撲に名乗りを上げた。


「そりゃあ崖の国へ行く日が楽しみだな。アンリとか言ったなあの女。至宝と呼ばれチヤホヤ様付けのアシタカを呼び捨て。何かあるとは予想がつく。アシタカの匂いはしねえが、手駒にしとくに越したことはない」


 突然ティダがヤン長官からビールを奪った。それから一気に飲んで空の容器をセリムに押し付けた。


「ったく、呑気に雑談したり手の内を話す日が来るとはな。ヴィトニル、お前のせいだ。おいヴァナルガンド行くぞ。女のあしらいって奴を見せてやる」


 腕を回しながらティダが階段を降りて人だかりへと向かって行く。王狼ヴィトニルはティダの背中をジッと眺めるだけで、動かなかった。アンリ長官が、ドメキア王国兵を何人か倒している。


「ペジテ大工房の護衛人長官の実力お見事!女に勝てねえとは、どいつもこいつも情けねえな!」


 さあっと人の道が出来てティダが樽の前へ立った。アンリ長官が戸惑っている。セリムもいい加減ラステルの手助けをしたいと手摺から離れた。


「セリム殿」


 振り返るとヤン長官が険しい表情をしていた。


「アンリ長官の事です?」


 ヤン長官が小さく頷いた。


「俺も知らないんですが、アシタカ様と恋人だったとか破局したとか色々噂がありまして。しかし……」


「ティダはわざとヤン長官に聞こえるように話をしていたから、悪いようにはしないと思いますよ。アシタカの事も気に入っているみたいですし」


 ヤン長官が苦笑いした。


「女だけではないです。俺もすっかりこき使われて、アシタカ様も割と踊らされている。あんな男どうやって育ったのでしょう?」


「あはは。僕も同じ事を言われた事があります。案外平凡だったりするかもしれません。ヤン長官、後で操舵教えてください。今は一旦失礼します」


 セリムは手を挙げてから、階段を下りた。王狼ヴィトニルがセリムの横についてくる。


 絶対にティダは平凡になど育っていない。しかし、人を手駒と言いながら相手を最低限尊重しているように見えるのは彼に寄り添う誰かがいたからだ。しかし、あの上から目線の横柄さはどうにかならないのだろうか。


「ヴィトニル、君が支えていたんだろう?これからよろしく頼むよ」


 セリムは王狼ヴィトニルの頭の上に掌をかざした。体を少し持ち上げて王狼ヴィトニルがセリムの手に触れてくれた。


〈好き嫌いが激しい捻くれ者だ。フェンリスは中々止まらないから時に立ちはだかってくれ〉


 この声は王狼ヴィトニル。セリムは足を止めた。


〈事情があって滅多に話せん。もう閉じる〉


 再び会話出来た事にセリムは感激で震えた。王狼ヴィトニルがさっと駆け出したので、セリムは追いかけた。


「王たる狼ヴィトニル!君は酒は飲むのか⁈君となら僕は酒を飲もう!」


 一瞬振り返った王狼ヴィトニルが物凄く嫌そうな顔をした。メインマストを垂直に駆け上がってヤードに座った。巨体でヤードがめきめきと音を立てたが、折れたりしないのだろうか。セリムは仕方なしに人だかりに移動した。


「あいつこそ滅多に酒を飲まん。海岸でのお前の質問責めが相当嫌だったみたいだな。放っておいてやれ!ヴィトニルなら折れるかどうかの判断は出来る」


 樽の上に腕を乗せているティダが、背中越しにセリムに叫んだ。


「そんなに質問したか?」


「うんざりする程な」


 ティダが王狼ヴィトニルそっくりな嫌そうな顔付きになった。


「セリムは何故何なぜなに王子って呼ばれて、皆が逃げ出してた」


 パズーの発言にセリムは憤慨した。


「逃げていない。皆、色々教えてくれていただろう?」


「途中まではな。夢中になって途中で人が居なくなっても気づいてないだけだ」


 ラステルがセリムに寄り添ってくれた。それから上目遣いでクスクスと笑う。


「私は逃げなかったわ!何でも聞いてくれるからとても楽しいもの」


 セリムがラステルの肩を抱こうとしてら、逃げられた。逃げてるじゃないか。ラステルが、ティダと勝負するか迷っているアンリ長官の前に立ちはだかった。


「ティダ師匠の怪力では、アンリの腕が折れてしまうわ」


「折る訳ないだろう?どの程度か見定めておくだけだ。俺は彼女の実力を把握しておきたい。どの程度助けがいるのか、弟子や正妻の護衛に相応しいのか」


 珍しい精悍な顔付きでティダがアンリ長官を見据えた。


「お手柔らかに」


 アンリ長官がティダの手を握って、樽に肘を乗せた。彼女の後ろに護衛人達が集まった。


「ラステル、さっきのは愉快だった。鳴らせ」


 命じられたラステルが素直に剣を鳴らしはじめた。仕方なさそうにパズーが足で床を踏み鳴らす。セリムもパズーに倣った。ドメキア王国兵が何人か参加した。


「シッダルタはいるか⁈号令しろ!」


 ティダに大声で呼ばれて、シッダルタがティダの横に躍り出た。つられるようにベルセルグ皇国兵も集まった。若干緊張感のある雰囲気に気圧されているようだが、シッダルタが「始め!」と叫んだ。


 微動だにしないティダの腕、必死そうに眉根を寄せて顔を赤らめるアンリ長官。


「見た目は華奢だが鍛えているな」


「これでも部下を持つ長官です!」


 一瞬ティダの腕が押された。「おお!」と護衛人達から感嘆が起こったが二人の腕はすぐに中央に戻った。アンリ長官が悔しそうに歯を見せる。


「ヤン長官は何を教えている!今の私はどう見ても遊ばれただけだろう!」


「良いなその男を見下す目。そそられる」


 口角を上げたティダが腕を上に伸ばして、アンリ長官の体を持ち上げた。突然の事態に、アンリ長官は樽を蹴って振り子のように体に勢いをつけて、ティダに両足を揃えて蹴りかかった。ヒラリと避けたティダ、華麗に着地したアンリ長官。


「見事也!ではこれはどうだ?」


 手近なドメキア王国兵の腰から鞘ごと剣が抜かれ、アンリ長官へと投げられた。ティダが後ろ手に誰か剣を寄越せと指を動かす。ゼロースがティダの掌に短剣の柄を乗せた。


「剣技は苦手だ!」


 床に垂直、胸につけるように剣を構えたアンリ長官。ティダは腕を伸ばして短剣を小刻みに揺らす。


「俺もだ!」


 先に飛び込んでいったティダをアンリの剣が受けた。手数の多いティダの短剣が、不規則な金属音を鳴らす。素早い動きにもアンリ長官はついていっている。


「苦手って嘘?アンリ長官って何でも出来る人なんです?」


 パズーが護衛人に尋ねていた。


「アシタカ様が同期だったのに、護衛人学校を首席卒業。おまけにアンリ長官は最速で長官になったんですよ!剣技が苦手なんて謙遜です」


 誇らしそうにパズーに教える護衛人。


「アンリ長官は狙撃の名手です!射撃と弓部門で十年連続優勝して殿堂入り」


 別の護衛人が眩しそうにアンリ長官を見つめている。


「へえ。それなら綺麗に女らしくしたらもっと凄い人に見えるのに」


 パズーの呟きに護衛人達が一斉にうんうんと頷いた。ティダが更に派手に音を立てた。二人とも軽快な動きで、ティダは険しい表情でアンリ長官は少し楽しそうに見える。


 ベルセルグ皇国兵とドメキア王国兵が静まり返る。


「曲みたいね、音」


 ラステルがセリムに駆け寄ってきて体を揺らした。


「ん?そうか?言われてみれば」


 旋律のようにも聞こえる不規則な金属音。ラステルがセリムの腕を引っ張った。ベルセルグ皇国兵達の脇に連れて行かれた。


「ほらね、曲よ」


 ラステルがセリムに耳打ちした。ベルセルグ皇国兵の何人かが呟くように、小さく歌っていた。セリムには拾えない言葉をラステルは拾えるのか、真似して歌い出した。


「龍が現れ、岩を砕き、ひらけた大地へ雨がそそがれ、命を育む」


 金属音に合わせて歌い出したラステル。ベルセルグ皇国兵が一斉に目を向けた。


「龍が現れ、宝に満ちた穂を揺らし、命を繋ぐ」


 キィィィィィンと甲高い金属音がして、アンリ長官の剣が真っ二つになり空へと舞い上がった。雲の隙間から刺す太陽の光を反射して、船上にキラキラと光が舞い落ちる。


「手加減ってのは難しいな!悪いなベルマーレ、お前の剣を折っちまった!」


 ベルセルグ皇国兵の顔色が変わった。わあっと歓声を上げてティダの名を呼ぶ。ティダが脱力して軽く会釈したアンリ長官に一気に近づき、担ぎ上げた。


「おい、何をす……」


「龍は誰だ⁈岩窟切り開きし、逞しき民よ!」


 ベルセルグ皇国兵からティダの名前が次々と叫ばれた。険しい顔だったのは、ベルセルグ皇国兵に祖国の曲を聴かせ鼓舞させる為だったらしい。分厚い壁で隔たれていたようなティダとベルセルグ皇国兵が、急接近したように感じた。


 ティダが短剣を天に伸ばした。それから短剣をゼロースに投げつけ、もう一度「龍の名は⁈」と叫び高笑いしはじめた。


 ティダ皇子と名前が呼ばれてティダの周りにベルセルグ皇国兵が集まった。


「全て許すと言った通りだ!俺の器はナルガ山脈よりも広い!黒龍は爪を隠していたが、必ず帰る!不敗神話の大狼兵士に心置き無くついてこい!龍の民!」


 ティダが暴れるアンリ長官を高々と空へ投げて、自分も跳んだ。トンッと樽の上に乗ってアンリ長官を横抱きにした。茫然としているアンリ長官の額にティダが口付けした。アンリ長官が愕然とした。ティダがアンリ長官をセリムへと投げた。


「この覇王の女に負けるなど許さんからな!不死の蛇ヴォロスを守護する大蛇おろちの兵士達!魑魅魍魎ちみもうりょうが住まう王宮から偽の王を追い出し、未来を掴め!お前らの真の王は誰だ⁈」


 王狼ヴィトニルがいつの間にかヤードから降りていて、背中にシュナを乗せて悠然と歩いてくる。ティダの後押しなのかシュナは慌てる事もなく涼しい顔で座っている。王狼ヴィトニルが尾でシュナを放り投げ、ティダが受け取った。足を抱きかかえられて、シュナが掲げられた。途端にドメキア王国兵達がシュナとティダの名を叫び始めた。


「東の果てより風の神が使者を寄越した!誇りを失いし者には死を、気高き者には祝いを与える!ノアグレス平野に極彩の虹をもたらしたヴァナルガンド!ここに居るということは、天は我等に味方している!全員人の道を外れるな!見放されるからな!」


 樽から飛び降りたティダがシュナを片手で抱きながら歩き始めた。


「疲れただろう我が姫よ。部屋まで連れて行ってやろう。弟子とアンリ、女は女同士優雅に話すが良い。もうすぐ雨が来る!男どもは今のうちに腕を自慢し、語り、歌え!知らぬ技には教えを乞い己を高めよ!俺と対等に渡り合うヴァナルガンドに挑んでみるがいい!勝てば褒賞をやろう!自信こそが勝利への糧となる!ふはははははは!」


 セリムのが下ろしたアンリ長官をティダが担ぎ上げてラステルを顎で呼んだ。


「アンリを離してよ!そんな持ち方酷いわ!」


 ラステルがティダを非難しながら拳を突き出したがひらひらと避けられている。足を引っ掛けられて転びかけ、後を追っていた月狼スコールの尾がラステルを抱えた。セリムも追おうとしたが、ティダが振り返ってセリムに目配せした。


 さっさと仕事しろと目が訴えている。


 やりたい放題は自分じゃないかとセリムはティダの背中を呆れ半分、敬意半分で眺めた。おまけに煽るだけ煽って、全部セリムに押し付けた。


「本当にやりたい放題ですよ。我が王は」


 セリムの独り言が聞こえていたのか、ゼロースが同じ台詞を言ってセリムの隣で肩を竦めた。


 それから剣を鞘から抜いてセリムに突きつけてきた。セリムは突然の事に目を丸めてゼロースをパチパチと見つめた。

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