毒蛇の巣への出航6

 セリムは体を包んでいた毛布を剥がしてラステルの肩に掛けた。視線の先でティダとベルセルグ皇国兵が睨み合う。


 ティダがコツコツと歩み寄り、兵士の間を歩きはじめた。


「さて、何からがいい?手短にしよう。望んでもねえのに祭り上げようとしたな。おかげで俺の一番を失った。誰も知らないだろうがな」


 ティダの声は穏やかだが大きく凛としていてよく通った。張り詰めて今にも切れそうな糸のような緊張感を纏う雰囲気。


「それでも背負った。犬に成り下がり戦場を駆けた。何をしようと批難と軽蔑の大嵐。何度殺されかけたか。噂っていうのは怖い怖い」


 ベルセルグ皇国兵が愕然とした表情で次々と俯き出した。シッダルタも悲痛に顔を歪める。


「宿敵ドメキア王国への婿入り。皇帝からの厄介払いだ。停戦となれば誰が何処へ行かなくなるか俺はよくよく知っていたので素直に従った。少ない食料と酒を惜しまず祝いの宴が開かれ、犬皇子などさっさと死ねと願われていたようだがな。恩知らずとはこういうことを言う」


 俯くベルセルグ皇国兵をティダは嘘くさい笑顔で眺めていく。ちらほらとティダから目を離さずにいる者が混じっていた。一様に申し訳なさそうで、怯えた表情をしている。


「多すぎて面倒だな。例えば、お前はノアグレス平野で恨みとばかりに襲ってきた」


 目の前にティダに立たれて胸を指で示された痩せた壮年。彼は震えるように首を振った。涼しい顔でティダが歩き出した。


「三年前、視察の際に俺に矢を放った村があった。その長はこんな顔をしていた。俺は記憶力が良い」


 青ざめて大汗で顔がぬらめく老人。彼も震えながらうずくまった。手を合わせて頭の上に挙げている。ティダがその腕を掴んで無理やり立たせた。


 ベルセルグ皇国兵の一部がティダに駆け寄ってきた。ティダが睨みつけて静止する。


「恨んでいるならば何故俺達に手を差し出した!」


 叫んだシッダルタに王狼ヴィトニルが低く、強く唸った。


「だから小せえって言ってるんだシッタルタ。恨む?そんな事は一言も言っていないだろう。俺は何も望んでない。むしろ何度でも疑え、罵れ、石を投げ、弓を引き、火を飛ばせ」


 穏やかなのに激情が含まれる声が甲板に轟く。ティダがシッダルタの前に戻って屈んだ。それから両頬を片手で掴んだ。


「何をされようが構わん。俺はそんなことに頓着しない。自分の物差しで俺を測んじゃねえ」


 笑みを浮かべはしたが、ティダの全身からは拒絶が滲み出ている。


「俺達を信じ……」


「俺が信じるのは自分だけだ。だから自分が選んだものは決して裏切らん。何でもしてやる。しかし俺の手足は二本ずつしかない。足りん。だから見込んだ者に"頼む"と声を掛けた。この意味は理解出来るか?シッダルタ」


 ティダが立ち上がり王狼ヴィトニルがシッダルタから離れて、ピタリとティダに寄り添った。それからぐるりと甲板を一望する。


「以上だ。何かあるか?」


 誰一人動かない。その中でシッダルタだけがティダに再び相対した。ティダの顔にこいつだけだろうな、と描いてある。


「信じようとせずにすまなかった。知らない話は教えて欲しい。いや教えて下さい。ティダ、今度こそ道を違えたくない。俺はもう二度と思い込みで悲劇を起こしたくない。誤解もしたくない」


 謝罪の言葉を口にしてシッダルタが軽く頭を下げた。ティダが破顔してくしゃりとシッダルタの髪を撫でた。呆気にとられたシッダルタが目を大きく丸めた。


「惜しい。ここは全力で頭を下げろ。それから誤解なんて消えねえ。何度も言うが信じるものは自分で決めろ。嘘も偽りも自身の目で見抜け。それで過ちなら自身を恨め。人のせいにするんじゃねえぞシッダルタ。そういう話だ。お前が選んだ兵はお前がきちんと率いろよ。俺は信頼してお前に頼んだんだ。他は関与せん」


 言い終わった瞬間、ティダがシッダルタの体を担ぎ上げて放り投げた。シッダルタがセリムの方へと投げられたので体を受け止めて床にそっと置いた。


「おいセリム!お前の連れが勝手に梯子を外したな!よって船内で喧嘩が起こったら全部お前の責任にする!出航させよヤン、ゼロース!」


 高笑いしながらティダが王狼ヴィトニルと共に歩き出した。ベルセルグ皇国兵がティダを避けるように道を作る。その中央をティダがゼロースとヤン、それぞれの部下数名を引き連れて進んでいった。シュナに誓いを立てた、従うと先程告げたばかりなのに我が物顔。


 各国の調整役を頼まれたということか。横に並ぶと認めてもらった筈だが人使いが荒い。言われなくてもと思いながらセリムはシッダルタに向き合った。


「大丈夫ですか?」


 ラステルの方が行動が早かった。労られるシッダルタがほんの少し頬を赤らめた。


「崖の国のセリムです。よろしくお願いしますシッダルタさん。彼女は我が妻のラステルです」


 思わずセリムはラステルの肩を抱いていた。ラステルがセリムを睨みパズーには背中を叩かれた。セリムのやきもちを悟ったらしくシッダルタが苦笑した。こんなに心が狭い自分にセリムは少しうんざりした。ラステルが日に日に愛らしくなっていくせいだ。しかし他人のせいにするべきではない。成長しようという決意と、素で出てきてしまう本能。どう改善していくべきなのか。


「おいセリム。反省は後でにしろ。たまに面倒なんだよお前は」


 パズーに指摘されてセリムは自問自答を止めた。そうだ、挨拶の途中たった。


「シッダルタです。崖の国?兵士ではなさそうなドメキア人が離れた所にいるから気になっていたのです」


 手を引いて起こしたシッダルタがセリムとパズーを交互に見て、その後ちらりとアンリ長官の事も確認した。


「セリムとラステルの友パズーです。それから……」


「アンリです。聞こえていたと思いますがペジテ大工房の者です。我が国の姫の従者です」


 パズーがアンリ長官を紹介しようとしたのを遮って、アンリがシッダルタに右手を差し出した。


「ペジテ大工房の姫?あの国は王族がいない筈だ。それに……」


 シッダルタが不審そうにアンリとラステルを眺めた。ラステルはどう見てもペジテ人には見えない。


「我が国の象徴をそう呼ぶ事もあります。嘘も偽りも自身の目で見抜け。ああ、その通りだ。ラステル、シュナ姫に挨拶に行きたい。付き合ってくれるか?」


 シッダルタになど興味が無いと言うようにアンリ長官がラステルの手を取った。ラステルが任せてと言わんばかりに胸を張り、アンリ長官を引っ張って歩き出した。


「パズー、ラステルを頼む。ラステルとは殆ど一緒にいたのにアンリ長官と何があってこうなったんだ?それにアンリ長官、アシタカって呼んで親しげだったけど」


「全然知らない。小蟲君にも背中を叩かれているから行くよ。アシタカとアンリさんって何かあるっぽい。よく分かんないけど。部屋とか聞いてくるな」


 背中に背負うアピを嫌そうに確認してから、パズーがラステル達を追いかけていった。パズーの背中のアピに気がついたシッダルタがギョッとして顔を引きつらせた。


「あの蟲は僕の子みたいなものです。偉い子になろうと奮闘しているので荒っぽいことはしないで下さい。ベルセルグ兵の皆さんにも伝えていただきたい」


 比較的雰囲気が友好的だったシッダルタの空気が変化した。体も後退している。しかし拒絶は踏み止まってくれたようだ。


「いえ、あの。話すにしても何も知らなすぎる。君達はティダとどういう関係だ?」


 少し悩んだ。ティダはわざわざセリムの元へシッダルタを寄越した。


「僕の友です。尊敬出来れば助けるし、逆なら止めます。その為にこの船に乗りました。先程の僕の家族は宝。決して手を出さないで下さい」


 セリムが出した右手をシッダルタは少し思案してから握ってくれた。


 祝いのように帆が次々と広がった。


 嵐が近づいている。小一時間で雨がはじまりそうだ。


「後でゆっくりと話そう。君についてきた者たちが不安そうだ。行ってあげた方が良い」


 握手を交わした手を離して、セリムはシッダルタ背中を押した。戸惑い狼狽えているベルセルグ皇国兵。シッダルタが歩きはじめるとワッと人だかりになった。


--俺とヴィトニルはお前を信頼して直下とする。庇護対象ではなく信頼し、自らと幼き仲間を守れると認めたということだ。かつ後継を育ててくれる偉大で力も知恵もある者しか直下にはなれない。


 セリムを手懐けようと大袈裟に話したのだろうが、真実も混ざっていただろう。おそらくティタの言うリーダーというのは指導者。横だと言われ、セリムはシッダルタを頼まれた。シッダルタが囲うのはベルセルグ皇国兵。そうやって自らの手が届かないところにまで、ティダは何かしらを残そうという訳だ。


 ティダはシュナとアシタカには一国を任せられると期待している。ベルセルグ皇国はシッダルタか、もしくは国に誰か置いてきている。おそらく後者だ。シッダルタはティダの目的を推測すると役不足だという気がする。


「ドメキア王国を手助けしてからでないと故郷には帰らない。それかそうしないと成せない何かがある、か。信頼されたのは嬉しいが人使いが荒そうな男だな。それに欲が深すぎる」


 まるで自分と同じだ。


 一人呟いてセリムは甲板を後にした。操舵を任されたヤン長官の隣で、ティダが王狼ヴィトニルにもたれて踏ん反り返っている。セリムが階段を上がるとティダは愉快そうに唇の端を上げた。


「何か話しをしたか?」


「挨拶を。彼は君の何だい?」


 セリムの問いにティダは表情を失くした。


「愚かで俺の一番を奪った男。本人がそれを知らないというのが心底腹立たしい。俺が大狼兵士でなければ、海の藻屑かサメの餌にしてやるところだ」


 王狼ヴィトニルが前脚でティダの足をそっと撫でた。


「ティダ、君の一番とは……」


「ヴィトニルにはエラはねえ。これで今日の分は終わりだ。よしヴァナルガンド、お前は風を操るんだろう?最高に気分の良い船出を頼む。時化の匂いがするから急いだ方がいい」


 含み笑いをしてティダがセリムの肩を軽く殴った。それから手摺に飛び乗って仁王立ちした。セリムも並んでみた。見晴らしが良い。崖の国とは違い、冷たい風に重苦しそうな色合いの海。そして感じる嵐の気配。


 舵を握り指示を出すのはヤン長官。セリムを振り返って力強く頷いてくれた。


「ヤン長官、取舵を止めてそのまま直進!乱流の渦を船体で切り裂く。合図をしたら面舵を頼みます!雪原駆ける大狼のごとき船出をしましょう!」


 大きく返事をしてくれたヤン長官が細かい指示を出していった。ティダが愉快そうに前方の水平線を見据えている。


「嵐を抜ければまた晴天!僕は家族と友と決して離れない。愛しき妻の押し売りだ!」


 セリムはティダの背中を叩いた。セリムの掌をティダが避けずに受け止めた。しかしセリムに一瞥いちべつもせずにティダが険しい表情となった。


「死ぬなよヴァナルガンド。生きるは恥ではない。俺も庇いはしない。決して庇うな。何をしても生き残れ」


 王狼ヴィトニルが巨大な雄叫びを上げた。


「ああ勿論だ!ヤン長官、面舵一杯!」


 セリムの叫びにより船体の向きが変わり、強い追い風を帆に受けた帆船が一気に進んだ。


 これでもう、嵐を抜けるまで進むしかない。

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