毒蛇の巣への出航5

 セリムはラステルの肩から手を離して、手を握りしめた。シュナが甲板脇に並ぶ全員を見渡した。


「これより祖国へ帰還する!その前に全員に話そう。我等の今後の目的を!嘘も偽りも自身の目で見抜け!」


 シュナの宣言が響き渡った。ティダが突然移動してシュナの体を持ち上げた。同時に月狼スコールがセリム達から離れてティダの元へ駆けて行く。ティダがシュナをそっと月狼スコールの上に乗せた。月狼スコールが颯爽と船縁に乗った。


 ティダがシュナに対して投げていた、好戦的で挑発的、何より屈しろと訴えるような視線が消えている。今はまるで親が子を見る目。何か話しをしたのだろう。


「大陸中の権力者を集め侵略行為の全てを消し飛ばす!この帰国はその招集への第一歩だ!ドメキア国王を懐柔、もしくは王座から引きずり下ろす!理由は三つ。一つ、我が尊敬すべき謀殺された母の願いが平和だからだ!二つ、醜く生まれ虐げられて育った。私は誰よりも民を理解するからだ!同じ者を減らし弱くても眩く生きれる道を示したい!三つ、誓いを立てた男が望むからだ!」


 シュナがチラリとティダの様子を窺った。しかしティダは涼しい顔付きで気にも留めていないようだった。


 しばらく沈黙が続き、ティダが樽から降りて移動した。


「ドメキア王国のシュナ姫。平和という安らぎの為に愛を誓い、運命として従うと宣言した。必ず守りましょう」


 優雅にシュナに会釈したティダは後ろ手を組んで体の向きを変えた。兵に向き合ったティダは、たった一人なのに大軍のような威圧感を発している。


「毒蛇の牙にかからぬ醜い姫。我が名は不死の蛇ヴォロス。私に従えば死が避けて通る!勝利の女神を従える唯一の蛇だ!何故だか分かるか⁈」


 兵の先頭に立っていたシュナの忠臣だというゼロースが進み出て、シュナとティダに剣を差し出してこうべを垂れた。それから勢い良く立ち上がり、剣を高々と空へ伸ばして兵を見渡した。


「我が主に不敗神話の大狼兵士が忠誠を誓っているからです!戦場を駆け抜け、我等を背負って先陣を駆け抜けた!手練手管で覇王を味方につけた男!紛い物かは両のまなこで見定める!この世は生き様こそが全て也!私は従います!この激将ゼロース、我らが二人の王の盾にして剣となりましょう!」


 剣の先を床につけ直立したゼロースの隣に紅旗騎馬隊の副隊長ビアーが並んだ。


「我等の二人の王が兵と民に誠意誠心を尽くすからです!決して見捨てず、逃げも隠れもせずに毒蛇の牙へ立ち向かう!それに背を向け裏切りなど、人間が廃る!祖国の家族を守るには正しき主に尽くすのみ!忠臣ビアーは我らが二人の王の剣と槍になりましょう!


 ビアーがランスを晴天に突き上げた。それから恭しくシュナに頭を下げ、兵士達に向き直った。


 ティダがシュナに膝をついた。啓示のような風の渦がティダを包んでいる。


 すぐにティダが兵士達に向かって仁王立ちした。


「我等の姫は民に誠意誠心を尽くす!大狼兵士は心臓を抉られようと裏切らない!そして群れの大掟により誓いも決して破らない!強欲蛇王アバリーティアに忠魂義胆が届かないのならば、噛み砕き命の糧にしてくれる!従えば新たな時代を生きていけるぞ!我が姫に従う者は他にいるか⁈」


 次々と第四軍騎馬隊兵士が膝をついた。ドメキア兵はベルセルグ皇国兵を分断、取り囲むように配置されている。甲板にベルセルグ皇国兵だけが浮き上がった。誰もかれもが複雑そうな目付きをしている


「ドメキア王国はこれにて安泰。しかしそれで良いのか?そうではない!同じく背中を刺された者たちを見捨てれば強欲蛇王アバリーティアと同じく地獄へ堕ちる!蜘蛛と結託し、国を支える民衆から簒奪さんだつするハイエナを許してはならん!故に覇王が慈悲の手を差し伸べた!」


 シュナが今度はベルセルグ皇国兵を見渡した。ティダがアシタカに解放させた捕虜。ろくな装備もないベルセルグ皇国兵は奴隷の寄せ集めらしい。歩兵を見捨ててさっさと帰国したのが本物の兵士達だと言う。先陣に立たされて見捨てられたベルセルグ皇国の奴隷兵。


 ここにいるのは全員ではない。許しと和平の証にとペジテ大工房が解放した捕虜の方が圧倒的に多かった。今ここに居るのはティダが何かしら思惑があって残した者達だろう。


 セリムの考察通り、彼等はシュナなど目もくれずにティダを見据えている。何とも言えない複雑な視線。ティダは二日間かけて捕虜一人一人と手短ながら話をしていたらしい。ヤン長官より聞いたその事実が意味するもの。


 沈黙を貫いていたアシタカが樽から降りてティダの横に並んだ。


「シュナ姫とティダ皇子が平和をもたらすと信じてこの帆船と操舵の人材を与えた。他にも計画を練っている。先の侵略行為に対して報復ではなく、各国と和平の道を目指す我が国の気高き意志。シュナ姫とティダ皇子は共に歩んでくれると考えた。しかし裏切りに対しても考えがある。信じるならば、責任と対価を払う気概を持たなければならない。逆も然り。信じられるに値すると示さねばならない」


 爽やかな声と笑顔。しかし厳しさを秘めているように感じる。アシタカも二日間で色々と覚悟を決めたのだろう。


「ヤン長官、そして志願してくれた護衛人諸君。戦うよりも逃走を選んでくれ。何よりも自分を優先して欲しい。帰国を待っている。それからシュナ姫とティダ皇子の支援兼監視役を買って出てくれたセリム王子に従うように。それが最も君達の身を守る」


 ヤン長官達はアシタカの周りには集まらなかった。その場で無言で敬礼している。それからセリム達にも敬礼を向けてくれた。


「ドメキア人、ベルセルグ人、ペジテ人、そしてエルバ人。他にも少々いるか?この船は世界の縮図のようだ。どうか手を取り合って助け合い、互いを信じ、そして自身を大切にして欲しい」


 アシタカの発言で一瞬場の空気が変化した。何がどうとは言えない。しかし悪くはない変化のように感じられた。


「あばよアシタカ。次に会う時にどれだけ変わったか期待している。俺は滅多に期待などしないからそれを覚えておけ。酒に呑まれないようにもなっときな」


 ティダが手をひらひらさせて、まるでまた明日というように告げた。兵士達の存在を丸無視という雰囲気。アシタカが苦笑しながらティダに近寄った。


「逆も然り。横柄な態度くらい治しておけ。次の酒の席は検討しておこう」


 ティダの正面でアシタカが敬礼した。それから颯爽と歩き出した。セリム達の方へ向かって来る。


「最後まで出発を見届けないのか?アシタカ」


 セリムの問いにアシタカが小さく頷いた。


「既に会議が押している。時間が足りない。全員無事に帰ってこいよ」


 去り際にアシタカはセリムとパズーの肩を軽く拳で殴った。それからラステルに軽く会釈して船を降りていった。アシタカの脇をフード付きロングコートを身に付ける者が駆け抜けた。影で顔が良く見えない。アシタカが振り返って目を丸めた。


「アンリ!」


 アシタカの叫びが響いた。同時に梯子が外された。フードを外したアンリ長官がラステルの隣、パズーとラステルの間に無理やり入った。


「今日からラステル姫の従者となりました。女性も必要でしょう。書類は揃えてあります。それから大事な判子の隠し場所と鍵の番号は変えた方が良い!」


 船体から身を乗り出したアンリがアシタカに大きく手を振った。それからくるりと背中を向けた。


「やっぱり本気なのアンリ?」


 ラステルがおずおずとアンリ長官の名前を呼んだ。呼び捨て?いつの間にこんなに親しげになったのだろうか。


「女に二言はない。アシタカが勝手だから私もそうする」


 何をどう話してこうなったのか。テトの時とそっくりだ。セリムがアンリ長官に話しかける前に、弛緩していたティダが甲板に右足でドンッと大きな音を立てた。自分に注目しろという合図。


 跪いたままのドメキア王国第四軍。敬礼していた手を下ろしてティダを見つめるヤン長官と部下達。戸惑っているベルセルグ皇国兵達。


 ティダが王狼ヴィトニルと共に兵士達の方へと歩き出した。途端にシュナの前にドメキア王国第四軍の兵士達が駆けつけ、整列しベルセルグ皇国兵と相対した。


「まだ語らぬ者達よ。出航前に何かあるか?」


 王狼ヴィトニルの鞍の上にティダが飛び乗った。ティダは威風堂々と直立し、ベルセルグ皇国兵を見渡した。


「話が全く違う!これはどういうことだティダ!」


 最前列にいた青年が勢いよく進み出て、ティダ眼下まで進んだ。険しい表情だが、顔立ちは優しげ。長い黒髪を横流しして編み込んでいる。


「俺達がこの十年待っていたのは、他の誰でもないティダ皇子だ!裏切りではないと信じて耐え抜いて来た!そしてやっと信じて良いと、付いてきて欲しいと本音を教えてくれた!なのにこれは何だ!」


 王狼ヴィトニルが唸りはじめた。


「許してやれヴィトニル。上に立つ俺が悪い」


 なおも牙を剥き出しにして唸り続ける王狼ヴィトニル。腰が引けているが青年は動かなかった。


「相変わらず小せえなシッダルタ。十年も何をしてた?自らの足で去る前に俺が海に放り投げてやろう。しかしその前に多少話くらいするか。そんなに不信感が胸を占めているとは俺も報われねえな」


 余りにも静かな声だった。船に波がぶつかる音だけが響き渡る。ティダが王狼ヴィトニルから飛び降りて王狼ヴィトニルの体にもたれかかった。


「これは何だだって?何を聞いていたんだ?そもそも俺がベルセルグ皇国ではなくドメキア王国へ行くのは当たり前だろう。俺はもうベルセルグ皇国の犬皇子ではない。ドメキア王国シュナ姫の伴侶。ティダ・エリュニス・ドメキア。国へ帰ると言ったらドメキア王国以外に何処がある?」


 クスクスと笑うティダを、シッダルタが軽蔑を浮かべて睨みつけた。


「わざと勘違いさせるように告げたな」


 拳を強く握ったシッダルタが強く唇を結んだ。


「何の為に?」


 ティダは冷ややかな目つきだった。


「兵が足りないから水増しだろう!」


「ふはははははは!酔ってはいないだろうな!兵が足りない?訓練もしてない奴隷のお前らなんぞ役に立つか!相変わらず己の器を測れてねえな!」


 侮辱に顔を真っ赤にしたシッダルタをドメキア王国第四軍の一部の兵が嘲笑した。


「今笑った奴は三日飯を抜く。声で分かるが後で素直に名乗り出ろ。人の尻馬に乗ってシュナに直々に誓いを立たなかった奴なんざ俺は認めねえ。後ろの仲間を背負って俺に吠えたシッダルタ以下だ。バース、ビアー両名の偉大さを見習って励め」


 甲板が静まり返った。


「そもそもだ。付いてきて欲しいと本音を教えてくれた?自分達が俺に何をしたのか忘れたのか?因縁因果という言葉を知らんのか」


 ティダがシッダルタの胸倉を掴んだ。ベルセルグ皇国兵が二人に押し寄せたが王狼ヴィトニルの咆哮で全員足が止まった。シッダルタの黒い瞳はティダを見据えて逸らさない。


「では思い出させてやろう。ヴィトニル」


 ティダが床にシッダルタを投げた。即座に王狼ヴィトニルが前脚で背中を踏み、シッダルタを床に押さえつけた。


 セリムはため息を吐いた。いちいちこれでは疲れないのだろうか。誰にも彼にもこんな態度。


「止めないのセリム?」


 小声のラステルが怪訝そうに首を傾げた。


「少し分かってきたから止めない。悪いようにはならないさ」


 ほんの一瞬だけ王狼ヴィトニルの琥珀色の瞳と視線がぶつかった。ティダへの親愛と敬意、そこにほんの僅かに心配が含まれているような色合いだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る