毒蛇の巣への出航4

 甲板にズラリと並んだ兵士達。脇でセリムは全体を眺めた。船尾、海を背に別々の樽の上に立つティダとシュナ。その間には王狼ヴィトニル。鎧兜に身を包み整列するのはドメキア王国第四軍。何も装備のない服だけの者達がベルセルグ皇国兵らしい。追い立てられるように乗船させれていて、ドメキア兵に囲まれていく。


 少し離れて同じく樽の上に立つアシタカ。セリム達と反対側の脇には、帆船操舵の責を任されたヤン長官とその部下達。


「っくしゅ!」


「セリム大丈夫?寒くない?」


 ティダに何故か海へ投げられた。着替えた上で毛布に包まっているがやはり寒い。寄り添うラステルと月狼スコールの温もりが有難い。


「寒いが少し我慢だ。見届ける」


 これよりドメキア王国へ出航。5日程で到着するという。


「あのさあ。実際何するの?これから」


 背中にアピがしがみついて、青ざめているパズーが呻いた。


「アシタカとティダ、シュナの三者連盟で和平締結の親書が既にドメキア王国へ届けられている。ベルセルグ皇国との一時絶縁要求。要求を飲めばペジテ大工房からドメキア王国への報復戦争の保留と文化交流を実施する。ある意味脅迫だが、ペジテ大工房は報復戦争自体を棄却済み。つまりハッタリだ。アシタカが尽力した結果なんだ」


 パズーとラステルが顔を見合わせて微笑み合った。


「第四軍は二手に分かれている。首脳陣のみのこの帆船。残りは飛行船で帰国する。まずは先に帰国するこの帆船が狙われるかが焦点だ。ドメキア王はベルセルグ皇国と共にペジテ大工房を陥落させたい。蟲が有効なのは実証済み。一度迎え入れて損得を考えるのか、もう決めたのか」


 今度はパズーとラステルの顔が固まった。


「こちらへ討って出て来たら逃亡する。追いかけてくるドメキア本国軍がどのくらいかで第四軍飛行船が本国へ乗り込むか決める。本国が手薄でなるだけ穏やかに制圧できるなら第四軍は討って出る。逃げるか戦うか。どちらにせよ無血とはいかないだろう」


 ラステルがセリムにしがみついて顔を覗き込んできた。不安より批難という方が近い。


「彼等は最悪の場合を考えている。理想だけでは何も得られない。ドメキア王があっさりとベルセルグ皇国よりもペジテ大工房を選んでくれるのが一先ず一番平和だ。最大の目標はそれになる」


 セリムは毛布の中にラステルを迎え入れた。セリムが寒さで震えているせいかラステルは素直に一緒に毛布にくるまってくれた。


「蟲をペジテ大工房から追い返した蟲の女王の血を引く蟲の民、僕はそういうことになっている。ドメキア王は僕が欲しいだろう。現在捕虜の第ニ王子ジョンの代わりに蟲を操る秘術を手に入れたというのがシュナ姫とティダの主張。そこにペジテ大工房アシタカの後ろ盾。更にはペジテ大工房の象徴となったティダ。祖国に売られて第四軍に救われたティダはドメキア王国に忠誠を誓うと主張し続けている」


 ラステルが不安そうにセリムを見つめる。


「そこまですればドメキア王がベルセルグ皇国よりもペジテ大工房を選ぶということ?」


「高確率で。ペジテ大工房、ドメキア王国の西の大国二国でベルセルグ皇国を抑える。ドメキア王はこう考えるはずだ、ティダを掌握して傀儡とすればペジテ大工房を手に入れられる」


 ドメキア王は十中八九、渋々ながらもシュナ一行を受け入れる。誰よりもドメキア王を知るシュナがそう判断している。問題はその先。


「ドメキア王国は一枚岩ではない。帰国後は内乱となるだろう。シュナ姫とティダはペジテ大工房のようにほぼ話し合いで済むように尽力するそうだ。しかし、これも無血とはいかないだろう」


 毒蛇の巣の異名は身内での権力闘争、骨肉の争いによりついたという。シュナは頂点に立つつもりだった。その下準備を気取られ、今回の戦の先陣である囮役へ追いやられたらしい。帰国したシュナはその続きをするつもりだ。共通の敵ベルセルグ皇国を団結の礎として。


 シュナは方向性を変えて、自らが王に君臨するのではなくペジテ大工房と同じく民主政を目指すらしい。今のままではドメキア王国は内輪揉めを逆手に取られて他国に滅ぼされる。しかし革命などしていても攻め入られる。


 ベルセルグ皇国を牽制し、疑心暗鬼のドメキア王を手玉に取らなければならない。ペジテ大工房やエルバ連合、大自然ノアグレス平野、その第四軍くらいなら何とか受け入れられそうな土地のどこも選ばずにシュナは理想を追う。祖国の民や歴史そのものを存続させる為に。


 あまりにも険しい道のり。


 シュナの目的に関しては何とも判断し難くてセリムは踏み込めずにいる。レストニアは王政で何とか暮らしている。シュナに加担するということは、崖の国を否定する気がしてならない。


 暴走するのならば止めたいが、線を引くのはセリムの価値観。それが正しいかなど分からない。


「ドメキア王って何か怖いイメージなんだけど、そんなにあっさり上手くいくのか?何か暗殺とか裏切りとかばっかって耳にしたんだけど。シュナ姫にドメキア王国で出されたものには一切手をつけるなって言われてる。ティダにもスコールに判断させろって言われた」


 パズーが体を小さく震わせた。

 

「シュナ姫の裏切りをドメキア王は把握しているだろう。突如大陸情勢に手を出してきたペジテ大工房は不気味。蟲を操る秘術を抱えていると示したベルセルグ皇国もいつ同盟を打ち切るか不明。そこに謎の蟲の民。祖国を憎むという婿は信用ならない。今、ドメキア王は何が最善か全身全霊で考えているに違いない。しかし、お互い全部机上の空論だ」


 ノアグラス平野で起こった惨劇は各者の想定を大きく外れていった。


 ドメキア王国一つを取っても、新たな時代の幕開けは無傷では済まない。


 凪いだ空だが空気がヒリヒリする。嵐が近い。激動の大嵐の開幕を告げるような天候が襲来する。


「ベルセルグ皇国を四面楚歌にして追い詰めるってのもそうだよな?追い詰めてどうするんだ?」


 パズーが心配そうに眉根を寄せた。


「ベルセルグ皇国にはティダが餌を撒いている。誰にも口を割らないから詳細は不明。第三皇子ティダが毒蛇の姫を懐柔し、ペジテ大工房の大技師の座をも手に入れた。全て祖国の為。こんな風にベルセルグ皇国に大陸覇王まであと一歩と勘違いさせて時間を稼ぐのだろう。帆船や後続の飛行船が海路でドメキア王国へ進むのも気取られない為に違いない」


 益々パズーが眉間に皺を刻んだ。


「そっちが本当かもしれない。ティダの奴にドメキア王国を支援する理由なんてあるか?あー、まあ嘘をついてるようには見えないけど。いや、あいつは嘘まみれだからな」


 パズーがぶすくれた。気心知れたと思っていたら全部演技だったのが気に食わないらしい。おまけにパズーの目の前でティダはセリムに心を開いた。まあ不愉快だろう。


「だからドメキア王国、ベルセルグ皇国どちらにも有効なんだ。ティダは信用ならない男だが、巨大な権力を手にした。何を考えて計略を練っているのか、その目的が何かを暴き味方につけたい。誰も彼もがティダに踊らされる。僕はティダを可能な限り手助けするよ。彼は手元ではなく遠くを見ている。助力するのに値する男だ。しかし手段を問わないのも知っている。万が一だが、内容によっては止める」


 乗船させられていく、みすぼらしい格好のベルセルグ皇国兵。この帆船の半分以上の乗組員は彼等だという。ドメキア王国の第四軍とは雲泥の差だ。既にティダが何を考えているのか読めない。


「私、シュナ姫に頼まれたの。ペジテの姫としてシュナ姫と仲良く振舞ってくれって。それからセリムといつも通りにって。シュナ姫にはペジテ大工房がついているぞって見せつければ良いのよね」


 ラステルの問いにセリムは頷けなかった。


「セリム?」


「ラステル、パズー。それにアピも聞いてくれ。言葉できちんと伝えておきたい。僕がシュナ姫やティダを支援するということは敵対する相手から恨まれる行為だ。一番穏やかな方法を目指していても血が流れる道でもある。手は汚れ、何かしらの罪を犯す。信じるものが違うだけで、どちらも悪ではない。加担するということは相手を否定し傷つけることになる。これより先、僕は元の生活には戻れない」


 どうしてこうも憎しみ合い、争わねばならないのだろう。しかしそれが人の本質だ。性悪を軽蔑し、己を律する。この世の全ての人間がそうなれれば争いなど起きない。しかしきっと人間はそうなれない。


 矛盾を抱えて、信念に従って生きる。国を出るときにそう決めた。セリムの道が誤りならば、蟲の王レークスがこの大陸を蹂躙じゅうりんするだろう。


 人は愚かだ。しかし甘んじて死ぬ訳にはいかない。死にたくない。一人でも多く死なせたくない。


「セリム……。放っておいても大量の血が流れる。だから最低限にしたい。見て見ぬ振りなんて出来ない。それがセリムが望むもの。私は家族を争いに使わせたくない。何処までも二人で行くわ。死刑台に登れと言われたらセリムと一緒に登る」

 

 ラステルがセリムの腕をきつく握りしめた。彼女をこの世で一番幸せにしたい。それなのにセリムは望みを捨てられない。何度も脳裏によぎる。崖の国か蟲森の村で、争いなど知らずに笑い合って暮らしたい。火の粉が来れば相対せずに逃げる。蟲はセリムとラステルは傷つけないだろう。頼めば崖の国は見逃してくれる。なのに、背を向けた。


「ラステル、セリムもダメだ。嫌だと叫んで暴れても危険そうなら引っ張って逃げるからな。あちこち戦争が起こって崖の国が侵略されるとか嫌だけど、小さい国だからいつでも皆で逃げれる。ホルフル蟲森に住まわせてもらおう。それには二人が必要だ。だからちゃんと帰ろう。無理せず諦めも覚えてくれ。自分達が幸せにならないと誰も幸せになんてならないぜ」


 セリムは思わず「へっ?」と間抜けな声を出した。


「パズー?今何て?」


 ラステルが呆然としている。


「テトがラステルの村は凄い綺麗だって言ってたよ。二人なら蟲から似たような場所を教えてもらえる。村の人が外界に出たい一番の理由は蟲が恐ろしいからだって。でもこいつら人より穏やかなんだろう?崖の国の皆ならセリムが話せばきっと受け入れる」


 パズーは背中にしがみつくアピを一瞥いちべつして嫌そうな顔をしてから、セリムとラステルを見ないで樽の上に立つティダを見つめた。


「僕……じゃなくて俺は二人が無理するからついてきたんだ。目付役の言うことは聞けよ。お前達には沢山の人の希望が詰まってる。俺はそう思う。現に背中のアピを我慢するのは隣にセリムとラステルがいるからだ。人にはそれぞれ役目ってあるんだと思う」


 役目、か。セリムは強くラステルの肩を抱き寄せた。


「ありがとうパズー。無理をしない。忘れないようにするよ。僕の守るべき宝は愛すべき妻と友、そして家族。選ばなければならないときは選ぶ。心配ばかりかけてすまない」


 パズーとラステルが同時に首を横に振った。


 ティダが樽の上で足踏みしはじめた。まるで鐘を鳴らすように強く、一定のリズムで音を立てる。全員乗り込んだらしい。


 ドメキア王国第四軍はニ師団の一部のみだという。残りはペジテ大工房の捕虜となっていたベルセルグ皇国兵。ペジテ大工房のヤン長官と部下、そしてセリム一行。四カ国が乗り込む巨大帆船。


 この船上さえ穏やかにならなければ、大陸中の国々が手を取り合うなんて夢のまた夢であろう。


 風が届ける嵐の気配が近寄ってきている。不穏な出航となりそうだ。


「天候が崩れて嵐が来る」


 小さく、独り言のように呟いていた。ラステルが空を見上げた。吹きつける冷たい風を暖める日差しに高い青空。


「嵐を抜ければまた晴天よ。私はセリムが行く道から離れないわ。それだけよ」


 ラステルが囁くように小さく応えてくれた。

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