五章 毒蛇との抗争

毒蛇の巣への出航1

 毒蛇跋扈ばっこするドメキア王国へ、シュナ姫率いる第四軍がペジテ大工房との和平を後ろ盾に偽りの凱旋帰国予定。


 ドメキア王国国王グスタフはこれを快諾。牙を研ぎ澄まし、毒を用意して手招きしている。


***


 大海原に停泊した巨大帆船。乗り込む紅旗第四軍にベルセルグ奴隷兵。ティダ自らの鼻で吟味した代わりに数が減りすぎた。


「随分と減らしてくれたものだな我が軍を」


 薬湯で醜さが減ったシュナをティダはしげしげと眺めた。飲み過ぎて遊んだ時も感じたが随分柔らかな肌になった。それだけではなく改めて観察すると随分と陰惨な雰囲気が薄れた。醜い化物から見た目が悪い女くらいにはなっている。


「これでも自重した。カールがいればもう少し炙り出せたかもな。ったく何処に消えやがったあの女」


 カールと耳にした瞬間シュナは少しだけ憂いを帯びた。


「死に花散らし忠義を示そうとしたのなら、もう二度と戻らん」

 

 艶やかな黄金の髪に澄んだ声。そしてどんな泥も汚せない大空の瞳。元々の良さもより引き立っている。この女を毒蛇の巣から引っ張り出した者はティダ。我ながら良いものを与えてやった。今はなくても、いつか感謝されることがあるだろう。歩めば後ろは血溜まり、鬼人カールなど本心ではあまり興味なかった。カールは何もかもが過剰過ぎる女だ。


「何だ?毒蛇の巣への帰還が恐ろしいのか?」


 軽蔑の視線にティダは頭を掻いた。接し方を間違えた。醜く自尊心が低いだろうと褒めそやして抱いたのが仇となり返ってきている。カールの狂気的なまでのシュナへの信奉。それを受けて育った女が嘘に溺れる訳がない。惚れさせるのが手っ取り早いと考えたが早計だった。シュナの本質を見誤った。見抜けば今よりも関係は悪くなかった筈だ。こうして振り返ってみて気がつく。


「昨夜のは酒で郷愁と忘れられぬ悲哀に溺れた結果だ。結局何人遊んだのか忘れたが許せ正妻。どうせどこにも愛などない。お前を初夜に抱いたのはそれが互いに一番良い道だと考えたからだ。しかし過ちを反省して道を正そう。抱かれたかったら抱いてやるがこれより先、俺からはもう遊ばん。お前ならこの意味が分かるな?」


 シュナが顔を思いっきりしかめた。しかし嫌悪ではなく呆れ。やはり聡い女だ。


「ようやく気がついたか。偽りの愛などでは心動かさぬ。しかし偽りではない別のものでは心動いた。手を結ぶのは利害の一致。嘘のように話した生き様も見事だった。こんなにあっさり掌を返すとは驚いた。それも計略か?」


 疑心の瞳にティダは再び頭を掻いた。自業自得だ。時間がかかるし伝わらずに袂を別つかもしれない。しかしそれに頓着するつもりは毛頭ない。


 目的の為なら手段を選ばないが間違えれば正す。それが大狼の矜持の一つ。尊敬にはそのうち尊敬が返ってくるだろう。現に芽吹いた。


「可愛げがねえ。女なら愛嬌を覚えな。至宝に惚れたんなら指南してやろう。あの青二才はチョロい。但し俺は誓いは破らんからな。それが大狼の矜持」


 ティダはシュナの髪を撫でた。今までの演技ではなく子供をあやすように。思いっきり振り払われた。無表情だが心なしか動揺しているように見える。些細な違いもシュナなら見逃さない。ティダの変化はきちんと伝わっただろう。毒蛇から生まれた毒のない不死の蛇ヴォロスは賢く強い女だ。


「戯言ばかり。さっさと岩窟に返してやる。醜い姫に拒否されたという大恥の熨斗のしを付けてな」


「そりゃあ楽しみだ!俺が誓いを立てたのはドメキア国のシュナだ。誓うものを早く消し飛ばしてくれよ。ふははははは!楽しみだ!」


 シュナが大きくため息をついた。それからティダを突き飛ばした。ふいに初めて真心込めた笑顔を見せた。思わず見惚れるほど美しい。全ての女はこうあるべきだ。醜さなど笑顔で吹き飛ぶ。


「そこまで計算尽くか。どこが犬皇子!無礼な振る舞いは水に流してやる。道が分かれるまでは共に駆け抜けよう」


 まだ疑心の光を揺らしているのにシュナが右手を出した。短い期間で変わったものだ。ティダが握手しようとした瞬間、折角の新たな誓いを邪魔するように背後に気配がした。ティダは回し蹴りした。


「俺の後ろに立つなセリム」


 さらっと身をかわして微笑んでいるセリムは複雑そうな表情を浮かべていた。帆船に目を輝かせそうなのに目もくれない。これはラステルへの扱いがバレたなとピンときた。王狼ヴィトニルがティダの背後に来たので体に軽くもたれた。


「納得出来ない理由で俺に頭を下げさせた蟲を操る化物娘。俺はお前の女が大嫌いだった。しかし多少早とちりだった」


 さっさと手の内を晒して逃げるが勝ち。どう出るかと思ったらセリムは苦笑するだけだった。後方からパズーとラステルが駆け寄ってきてセリムの腕をガッシリと掴んだ。ラステルの頭の上に羽破れ大蜂蟲アピスがまるで冠のように鎮座している。眠いのか薄く灰色の三つ目だから余計にそう見えた。


「殴ったりしないよ。無意味だ」


 セリムがラステルとパズーに苦笑いを投げた後にジッとティダを見据えた。


「ラステル。無礼は詫びよう。しかし発言は撤回しない。まだお前の事をろくに知らん。罵倒も賞賛もどちらも本音だ」


 ティダはセリムを無視して背筋を伸ばすとラステルに向き合った。全身から殆どセリムの匂い。蟲臭さがしないのでマシかとティダは薄く笑った。


「私、沢山助けてもらったわ。それがお詫びなんでしょう?」


 セリムとは違ってラステルはあっけらかんとしていた。パズーがそわそわとセリムとティダの様子を見ている。


「いや。あれは俺の生き方だ。背中への八つ当たりに対して何か与えようではないか。欲しいものはあるか?」


 ラステルがくすくすと笑い出した。それから頬を紅潮して照れたようにはにかんだ。


「いえ。欲深な私がさらにと望むものは貴方では与えられない」


 ラステルがセリムを見上げた。気まずそうに、しかし嬉しそうにセリムが微笑む。二人共、幸福にどっぷりと浸かってきたのが伝わってくる。かつて酔いしれた幸せが溢れそうでティダは蓋をした。もう縁のない世界だ。


「俺の気が済まない。そこで護衛を連れてきた。スコール!」


 名を呼ぶと岩陰から月狼スコールが飛び出してセリムへと襲いかかった。どうなるかなとティダは王狼ヴィトニルにもたれかかった。避けるでも逃げるでもなくセリムは月狼スコールへ向かって大きく腕を広げて地を蹴った。頭蓋骨を噛み砕こうとする月狼スコールの顎をかいくぐり、セリムは月狼スコールに抱きついた。その勢いでゴロゴロと砂浜に転がる。


 上に抱きつかれるように乗られて茫然と砂浜に横たわる月狼スコール。見下ろすセリムは爛々らんらんと目を輝かせていた。


「僕は崖の国のセリムだ!なんと猛々しい脚力に剛気な牙!それに間近で見ると太陽よりも輝いている瞳!君が護衛なら妻の身は安心だろう!それにしてもフカフカだ。突風とはとても良い名前だと思うよスコール」


 セリムに抱きつかれて頬を寄せられた月狼スコールが二本の尾をどちらもダラリと砂浜に横たえた。完全降参、完膚なきまでの敗北。


「スコール!俺がお前に囲えと指示したのはその男の身内。どういうことか分かるな?」


 即座に月狼スコールが三度吠えた。セリムが不思議そうに首を傾げて月狼スコールの毛並みを撫でた。それからまた頬を寄せた。セリムは余程大狼を気に入っているらしい。


「ど、ど、ど、どういう?ティダお前、何か試したのか⁈おいセリム!危な……くないか。困ってるだろうそのスコールって奴!自重しろよ!」


 セリムに詰め寄ろうとしたパズーの腹をすくうように持ち上げて月狼スコールの鼻先へと投げた。パズーの対応は正しかったと言わんばかりに月狼スコールは大きく鼻息を吐いた。ティダはラステルを横抱きにしてパズーの上に置いた。ラステルの頭上の羽破り大蜂蟲アピス月狼スコールに赤い三つ目で威嚇している。


「ス、スコールさん。セリムの妻のラステルです。護衛してもらえるなんて光栄だわ」


 ラステルがぺこりと頭を下げた。途端に羽破り大蜂蟲アピスはさあっと青い瞳になって大人しくなった。これも正しい。


「例の小群だ。よろしく頼むスコール」


 ティダに対して月狼スコールが三度強く吠えた。ティダの背中を王狼ヴィトニルが鼻先で押した。それからセリムを見つめたのでセリムの腕を掴んで立ち上がらせた。


「小群とは何だ?この大狼は少し若いのだな。熟視ヴィトニルよりも随分小さい。しかし尾は二本だ。成長すると無くなったりはしないよな?大狼は……」


 煩い黙れと言わんばかりに王狼ヴィトニルがセリムへ三度吠えた。セリムが察して口を閉ざすと王狼ヴィトニルが大きく口を開けた。成人男性だとしても上半身など一度で楽々噛み千切れる大きな口腔内にセリムは何故か頭を入れた。


「鮫の歯に似ているな。やはり肉食か。これ程の体を維持するのには何をどのくらい食べるのか。予備の歯があるのも鮫と同じだな。小群ということは大きい群もあるのか⁈」


 興味深そうに王狼ヴィトニルの口の中を観察し終えたセリムが頭を出してティダに問いかけた。何て面倒な好奇心。そしてそれを満たす力と器の壮大さ。本当にどうやって育ったのだろうか。


「尾は個体差。最大九尾。故郷に一頭だけだ。ウールヴという大狼、お前に会いたがるだろうな。このスコールは若輩。これからラステル、パズー、羽破れアピスを囲いリーダーとして世話をする。初だから不手際もあるだろうが俺と王狼ヴィトニルが背負い導く。それが群の成し方だ」


 セリムの海色の瞳がますます輝いた。


「大狼の群れに⁈ラステル、パズー聞いたか⁈何と誉れ高い!ん?僕は入れないのか?」


 大変不満だとセリムが月狼スコールを見ると月狼スコールが大きく首を振った。セリムは酷く落胆したようで一気に死んだ目になった。月狼スコールがラステルとパズーの体に尾を沿わせると羨望と嫉妬に目を燃やしはじめた。


 可哀想な月狼スコール、セリムからの懇願の視線に恐れをなして目を逸らした。背負いきれないものからの圧力。可哀想だがこれも試練とティダは手助けしなかった。王狼ヴィトニルが尾でティダの背中を軽く押した。分かってると目で訴え返す。


「いじめてやるなセリム。スコールではお前を囲えない。若輩だからな」


 セリムが不思議そうに首を捻った。もう一度王狼ヴィトニルが大きく口を開けた。


「殺人狼に頭を突っ込むなんざお前くらいだ。本当に妙なやつだな。腕を出せセリム。そうすればお前の欲しいものが手に入るぞ」


 セリムが思いっきり顔をしかめた。


「変だ妙だと僕はそんなにおかしいのか。何もしていないのに何て評価だ」


 ぶつぶつ不満を呟きながらセリムが腕を王狼ヴィトニルの口に突っ込んだ。そんな指示など出していないのに正解を見抜いている。こんな人間大陸中を見渡してもいないだろう。二日間の帰国で何かあったのか呟く不満は自らの未熟さ、そして変という評価への不満だった。これは丁度よく自尊心がすり減っているなとティダはほくそ笑んだ。


 王狼ヴィトニルが勢いよく口を閉ざした。


「セリム!」


 パズーが悲鳴を上げた。しかし動かない。ラステルは口を手で抑えて震えながら立ち尽くしている。羽破れアピスは呑気そうに体を揺らしていた。まだ与えられた小群に不満げだった月狼スコールがようやく納得した顔付きになった。


「やはり歯が引っ込むのか!辿れば子孫は海なのか?調べる方法があるといいのだが。しかし少し血が出たか?痒いな!あはは!」


 心配されている当の本人は実にのんびりとしていた。完全にティダと王狼ヴィトニルを信頼しきっているのが伝わってくる。殺気くらい読んでいるのだろう。無意識かはまだ底が見えなくて判断つかない。


「こいつの名は古きは熟視。そして今は王。王の大狼ヴィトニル、覚えておけセリム」


 ティダはあまりに愉快で腹を抱えて笑った。月狼スコールの瞳があっという間にティダや王狼ヴィトニルへ向ける眼差しと同じになっている。セリムはこれで大狼三頭から尊敬を集めた。ティダでさえ何年もかかったというのに。


〈セリム、お前は帝狼ていろうフェンリスと王狼ヴィトニルの大群。フェンリスの名は人の言葉では口にするな。俺はティダとは呼ばんがな。お前はこれよりリーダー直下だ。若輩へ共に背を見せよ。お前にはその価値がある〉


 心を開いて告げた王狼ヴィトニルに対してセリムは無表情で固まっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る