激動への出発と蟲の見送り
いつからクワトロは栽培室に居たのだろう?話に夢中でまるで気がつかなかった。
「可愛い妹よ、勝手にだが楽しい話を聞かせてもらったよ。ちなみに姉はあと二人いる。私の側室だ。色々しきたりがあって城塔には住めない半家族。しかし姉には違いない。それからラステル、レストニア王族は君を認めたがその縁者までは受け入れん。それもしきたりだ」
優しそうに微笑んでいるのにクワトロの目つきは鋭かった。時折セリムが見せる厳しさに似ている。
「クワトロお兄様……」
飄々として軽口の多いクワトロの意外な一面にラステルは言葉が出てこなかった。ヴァルは家族ではないと突きつけられて心底悲しい。しかしクワトロは理由もなく酷い事を言わない。酷い事ではなく大切なことなんだろう。
「我らが新しい娘にして妹ラステルのお父上殿。申し訳ありませんでした。積もる話が沢山あり、少しでも長く共に過ごしたかったでしょうに我等が浮かれたばかりに時間を奪ってしまった」
クワトロがゆっくりとヴァルとラステルに近寄ってきた。上品で優雅な歩き方に堂々とした態度。今日初対面のヴァルに対して警戒を滲ませ探っているようなのに嫌な視線ではない。セリムがまだまだ兄達には敵わないと言う理由はきっとこれだ。
「いえ。こちらこそご挨拶もせず」
「挨拶!我が愚弟こそ嫁の父親に了承も得ないで結婚などという非礼。本人も父上殿に詫びたようですが兄としてもう一度謝罪します。申し訳ありませんでした」
クワトロが深々と頭を下げた。ヴァルは戸惑っているようでクワトロに駆け寄って「頭を上げて下さい」と声を掛けた。
「セリムは基本の礼節もなっていない若輩です。しかし国を背負い、己の欲望を満たすのに必要な知恵や力は授けたつもりです。見た目は軟弱ですが国一番の強者です。その点はご安心ください」
クワトロがヴァルに右手を差し出した。
「家族総出と国民により誰よりも優しくあれと教えたつもりです。どうやらやり過ぎたようで娘さんを危険に晒すことはお許し下さい。我等は本人達の気持ちを尊重すると決めました」
ヴァルが迷いなくクワトロの右手を両手で握り締めた。
「娘には出来すぎた伴侶にその家族。そして地位。受け入れていただいただけでなく早速教育してもらったと聞きました。至らない娘ですが末永くよろしくお願いします」
深く頭を下げた後にヴァルはクワトロの手を離した。それからラステルの背中を押した。振り返ったヴァルの表情はやはり寂しそうだった。クワトロがラステルの肩を抱いた。
「親離れしてしまった子を信頼して見守る身は辛い。共に語り合い慰め合いましょう。我等には時間がたっぷりとある。酒を好まれれば嬉しい。私は
セリムそっくりな微笑みだった。違うのはクワトロはそこに茶目っ気のあるウインクを加えたこと。ヴァルが大きく目を見開いた。ラステルは思わずクワトロに飛びついた。やはりセリムの兄だ。三人の義姉達と同じで本人を見定めてくれるつもりだ。
「ありがとうございますクワトロお兄様!お父さんはお酒が好きよ。私がタリア川の水とメルル樹脂で漬けたロロモ酒を是非飲んで下さい!」
クワトロに体を離された。少し照れたように笑ってくれた。それからラステルの額にキスしてきた。
「セリムは嫉妬深いから秘密だ。今の単語は何一つ分からないからまずはそこからだ。楽しみにしています」
クワトロはヴァルの肩を叩くと颯爽と外套を翻して栽培室から出て行った。その背にヴァルが大声で礼を述べた。ラステルももう一度「ありがとうございます」と頭を下げた。ラステルは顔を上げてヴァルを見つめた。
やっぱり寂しそうだった。
「お前とセリム君の子が生まれたら元気一杯で何処かへ飛び出してしまうだろうな。ラステル、その時に今の私の気持ちが分かる。語り合う日を楽しみにしているよ。子が生まれなくても甥っ子や姪っ子がいる。だからその日は絶対に来る」
ラステルは大きく頷いてからヴァルにそっと抱きついた。それから一度ポーチにしまった手紙を押し付けた。
「全然遺書じゃないわ!大好きだって書いてるの。何度も読んでね」
ヴァルが泣きだした。今度はヴァルがキツくラステルを抱きしめてくれた。セリムとは違う温もりと安心。セリムが迎えに来るまでラステルはヴァルにずっと抱きしめてもらった。
***
イブンとセリム、そして恐らくクワトロが何の話をしていたのかラステルは知らない。そのまま研究塔を後にする。セリムは時折物凄く口が固いから時が来るまで教えてくれないだろう。信じて待つしかない。
まだ話し合いを続けるイブンとクワトロ、そしてラステルが独り占めしていたヴァル、そしてテトに軽く別れを告げた。
テトとパズーは目と目で通じ合っているようなので、きっと良い話が出来たのだろう。ラファエに会えなかったのと、ホルフル蟲森へ行く時間が無かったのが惜しまれる。
去り際テトがラステルに耳打ちした。
「パズーを宜しく。代わりに見張っててね。それからティダって人に伝言。絶対取り返すから首を洗って待ってなさい。ラステル、貴方の村は任されたから元気で帰って来なさいよ。次は二人揃って崖の国の宴を楽しみましょう」
眩い笑顔のテトにラステルは見惚れた。しかしティダに伝言とはどういうことなのだろう?
「パズーはテトの為に頑張っているからとても格好良いのよ!何度も助けてもらったわ。私とセリムが頼りないから助けてくれるの。村の近くのコゲラの群生。葉っぱが閉じていたら私達は元気一杯よ。お父さんが知ってる。確認してね」
ラステルはおずおずとテトを抱きしめようとした。テトがわしゃわしゃとラステルの髪を撫でグリ回してから強く抱きしめてくれた。セリムが少し不機嫌そうだった。この人はテトにまでヤキモチを焼くのだろうか?本当に変な人だ。
「パズーが飛行船まで歩いている間に家族に挨拶しに行こうラステル。閉ざそうとしているのに物凄く煩い。巣の殆ど外まできたから遊べってさ」
パズーがセリムの背中を蹴ろうとして避けられた。
「三人飛行ぐらいしてみせろよ。エンジンを使った
パズーの発言にセリムは何か悩んだようだった。消毒室で脱いだ防護服を着ながらずっと上の空だった。途中で物凄く嫌そうな顔をした。
「よしやってみるか。行こう」
全員の準備が終わるとセリムがラステルとパズーの手を引いて走り出した。屋上に停めてある
「ラステル、このパズーもテトに言いつけていいからな」
ゴーグルの向こうの猫のような目が憎々しげにパズーを睨んだ。しかしとてもワクワクとした煌めく瞳だ。
「あら、大親友の名誉のために秘密にしておくわ。これはセリムの新たな挑戦だもの」
ラステルの発言にセリムは無邪気な笑い声をたてた。
「エンジン全開!」
一気に上空に舞い上がった
「もっと揺れるかと思ったけど全然だな」
ゴウゴウと風が過ぎていくが揺れもせずに進む乗り心地の良さにパズーがポソリと呟いた。
「見送りに来てくれたのね」
空にガン、
「ひいいいい!小蟲君はあんな大きくなるのかよ!前も見たけどやっぱりデカすぎ!」
パズーのゴーグルの向こうで目が
「そしたらラステルの兄弟ではなくて親になる。また別の兄弟が世話役になるさ」
エンジンを切って優雅にひらめく
「私ってそれで
「さあ?心が通じても思考回路はさっぱりだ。人とは大きく違う。ラステル、やはり君は蟲に蟲と思われているだけで人だ。彼等と全然違う」
わらわらと
「気流を邪魔される。ほら、遊んでやる。早く風を捕まえられるようになりなさい。うんと世界が広がってより楽しくなる。鮮やかな未来だ」
セリムが揺れる機体を片手で操縦しながら次々と
「俺も一匹くらいイケるかな?ラステル、代わりに一匹捕まえて。手が離せない」
ラステルは一番近い
「よーく見るから待ってて」
目を細めたパズーが空のあちこちを探った。
「今すぐあっち!一気に投げろラステル!」
パズーが指をさして叫んだのでラステルは従った。
「まあ大変!」
「いいいっ!やっちまった!」
「いや良くやったパズー。下から突風が吹く!よしみんなあそこに集まれ!」
セリムに従って次々と
黄色い産毛の
「花火みたいだな」
「花火?綺麗ね」
「二人の祝言の宴で見れるよ。とても綺麗なんだ」
ラステルとパズーは目を合わせて微笑み合った。大人しいなと二人してセリムを見上げた。セリムは愛おしそうな目で
「うへー。下のなんか大昆虫パレードだな。怖過ぎて近寄りたくない」
パズーが首を伸ばして下を見てからすぐ顔を引っ込めた。ラステルは脇柄を掴んで少し身を乗り出した。
ホルフル蟲森と砂漠の境には鉛色の集塊。親愛の色である生き生きとした大小様々な緑色。ガン、いや
どんどん解説していたら途中なのにパズーがラステルを引っ張って元の位置に戻した。それから慌てて手を柄に戻した。
「やっぱりラステルってへんちくりんだよ!あんなの皆が家族なのかよ!セリムなんてもっと変だ!蟲森で育ったならまだ理解出来るけど崖の国で育ってなんでこんな風に育つんだよ!」
言われたセリムはのんびりと「羨ましいだろう」と告げるだけで眼前の光景から目を離さない。
「僕やラステルの家族は
セリムがラステルに顔を向けた。それからパズーへ視線を移動させてからグッと前を見据えた。
「エンジン全開!台風の目は終わりだが大嵐の先には必ず晴天がある!二人共、決して僕から離れずに諦めるなよ!僕等には多くの家族がついている!未来は鮮やかだ!」
「もちろんよ!」
「当たり前だ!」
ラステルとパズーは同時に元気よく返事をした。
風を切り裂くようで嫌だと言っていたが、セリムの飛行は風に乗り押し流されるように穏やかだった。
たった二日間の穏やかで幸せな時間に別れを告げて大海原へと漕ぎ出す。困難が待ち受けていると胸騒ぎがするが、ちっとも怖くない。
崖の国の風詠セリムは風の神に守られた
そうやって巡り巡る。
優しさには優しさが返ってくる。
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