研究塔での再会2 親娘
研究塔の栽培室。マスクのないヴァルを見るのは半月振りなのにもっと長く離れていた気がする。気を遣ったセリムに二人きりにされたが逆に話し辛い。
「こんなに早く会えるとは思っていなかった。息災で良かった」
少し気まずそうにヴァルが口を開いた。風車で汲み上げた地下水が部屋中に張り巡らされた水路に流れる。その静かな水音と若々しい緑の澄んだ匂い。似たように湿気の多い蟲森の空気が懐かしかった。タリア川を見に行く時間が無いのが寂しくて堪らない。
「私もよお父さん。でもすぐに発つの」
ラステルは
「今度は受け取らんよ」
そっと手で押し返されてラステルは俯いた。前回はラファエやテトを頼みたいということ、セリムと結婚してついて行くこと、そして育ててもらったことに対する感謝。もう要らないと言われたら無理にとは言えない。
手紙というのは一方通行だ。気持ちの押し付け。だからもう押し付けるなと言われれば引くしかない。ラステルは手紙の束を大人しくポーチの中に引っ込めた。
「崖の国へ帰るのか?」
ラステルは顔を上げて首を横に振った。
「やはりまた危険な所へ行くのか。今度は何だ?村へ帰ってきてくれないかラステル。一度は許したが心配で夜も眠れなかった。遺書など残しおって。お前にそんなつもりがなくてもあれは遺書に近かった!セリム君の志は立派だ。だから共にセリム君を待とう。崖の国だって良い。それでは嫌か?」
大きく首を縦に振るとヴァルがラステルの肩を両手で掴んだ。それからそっと離した。
「そうだな。私はずっとお前を受け入れなかった。だからポッと出てきたとはいえラステルを丸ごと受け入れた男と生きる。そう決断されれば文句を言える立場ではない」
寂しそうに微笑んだヴァルを見てラステルは胸が詰まった。
「それが普通なのお父さん。セリムが変なの。とっても変なのよ?私を飛び越えて蟲の家族になった。私は蟲に蟲だと思われてるんだって。でもセリムは人なのに蟲の家族になった。とても変な人でしょう?」
ヴァルが目を丸めてから顔をしかめた。
「それ程までか。最初に会った時も感じたが安心するな。そんな男ならば決して……」
お前を拒絶しないだろうと言葉が続くような気がした。ヴァルはラステルを育ててくれた。生きていけるように仕事も教えてくれた。確かに普段はそこそこ仲良く過ごしても時折とても突き放された。蟲に心惹かれ、心奪われる奇怪な娘。嫌だっただろう。村人に嫌なことをされてたかもしれない。でも絶対にラステルを捨てたりしなかった。それどころか必ず味方をしてくれた。
「違うわお父さん。セリムの家族も変なのよ?でもお父さんと同じことを言ってくれたわ。一緒に待とうって。危ないからダメだって。お父さんと同じよ。それで叱られたわ。うんと怖かったの」
緊張しながらヴァルの手を取った。酷く冷たくて汗ばんでいる。きっとヴァルの気持ちを読み間違えていないはずだ。得体が知れないし不気味と感じながらも、きちんと愛情持って育ててくれたと信じたい。
「親不孝者でごめんなさい。私ね、死ぬところだったの」
ヴァルの目が点になった。ラステルはグッと胸を張った。
「蟲ではなくて人としてよ。だから後悔なんてなかった。だってセリムの妻だもの。私、セリムがいたらそうやって生きていけるわ!だから側にいたいの!それに離れていたら力になれないわ!」
言い切ってから嬉しくて自然と笑みが零れた。一緒にペジテ大工房へ行かなかったら、怒り狂う蟲と共にホルフル蟲森を去って二度と戻らなかった筈だ。こうして親の愛情に気がつくこともなかった。
「その顔だ。俺にはそんな顔をさせてやることが出来なかった。すまなかったなラステル」
そっと手を離された。それからヴァルはラステルから目を逸らして俯いた。それを見て、ああそうかと気がついた。勇気を出してもう一度ヴァルの手を握った。手を引っ張って目と目を合わせる。戸惑いで揺れる父親の瞳。すぐ顔を背けられた。
「私ね、セリムのお姉様達に"セリムは愛情深くて人の気持ちを考えられる娘しか好きになりません!"って怒られたの。それから"素直な良い子"って褒めてもらったの。"誉れ高い娘"だって!」
どんな言葉ならば伝わるのだろう。人も蟲みたいに心が繋がればいいのに。ヴァルが益々悲しそうな顔になってしまった。
「セリムって変なの!そうしたら家族も同じだったわ!私のこと凄く気に入ってくれているの。それで気がついたわ。私が褒められたのはお父さんが褒められたのと同じだって。とても嬉しかった!私の手本は家族で、蟲とお父さんよ。お父さんが育ててくれた。お父さんの娘だから私は認めてもらえたの。嘘つき娘って罵られたけどそれもお父さん似かもしれない」
今度は伝わるだろうか?もっと頭が良ければ的確な台詞が浮かぶのに。ラステルは強くヴァルの手を握りしめた。本当は寂しくて嫌でラステルを止めたいけどそうはしない。ラステルの為にヴァルは嘘をついている。きっとそうだ。
嫌われているかもと思っていた時よりも苦しくて涙が溢れてきた。
「親不孝で我儘でごめんなさい。恩返しもしていないのに……」
途端にヴァルがラステルを抱きしめてくれた。滅多なことがないとされない分嬉しかった。それから申し訳無かった。この愛情深い父親を一人置いていくのだ。しかも二度目。
「ラステル、そんな顔をするな。さっきみたいな顔をしてくれて健やかでいてくれればそれだけで十分だ」
そんな顔にさっきみたいな顔とは何だろう?どうしてだかヴァルが苦笑いした。何を告げたら心配いらないと伝えられるのだろうか。
「私は元気一杯よ!針術もあるし別の護衛の術も学んでいるの。それからね、一度も負けたことがないって強い人がいて大親友と一緒に弟子入りするの」
拳を握って突き出してみせた。腰の入ったパンチが出来るようになってきている筈だ。その時、栽培室の扉が開いてセリムが現れた。目が合って驚かれた。
「また練習していたのかい?ラステル」
セリムは一瞬ヴァルをすまなそうに見てから、ラステルに苦い茶を飲んだかのように笑いかけた。
「もちろんよ!唄子は1日にしてならず。お父さんの教えよ。反復練習は大切なの」
セリムはまたラステルに微笑んだが、ヴァルには再びすまなそうな眼差しを向けた。ヴァルがラステルの肩を抱いた。握られる右肩は痛いくらい強かった。
「セリム君、娘はいつも大人しく静かだった。仕事以外で蟲森へ出るなという言いつけ以外は守ったし私の世話も良くしてくれた」
見上げたヴァルはやはり寂しそうだった。セリムは真摯な表情で黙って聞いている。
「しかし蟲森へ勝手に散策に行ったのを迎えに行けば蟲に話しかけ続け、歌ったり踊ったりしていた。仕事の時も大胆なことが度々あった。
「お父さん違……」
セリムがラステルに視線を合わせて小さく首を振った。それでラステルは黙った。単に村ではお父さんの娘として恥ずかしくないように振る舞っただけだ。居心地悪い思いはしていたが別にそれで大人しかった訳ではない。何故それを伝えるなとセリムはラステルを諌めたのだろう?
「厳しくして村に置いておきたかった。お転婆で遠くへ行ってしまう。ほれみろ、出てってしまった。可愛い娘のこんな物騒な姿など見たくない。見たくなかった!死ぬところだった⁈ふざけるな!しかしこんな幸せそうな姿も見たことがない。だから許そう。村で
そう言いながらヴァルはラステルの肩をポンポンと叩いてくれた。やはり悲しそうだった。ラステルが嘘つき娘なのはこの嘘つき父親のせいだ。そっくりだと思う。
「僕は謝罪はしません。全力で守りました。これからもです。ラステル、村の外で近くには何か目印になるようなものはあるかな?」
セリムの問いかけで頭の中に浮かんだのは密集して生えるコゲラだった。触ると次々と葉が閉じるセリムのお気に入りの植物。
「コゲラが沢山集まっているところがあるわ。それがどうかした?」
ヴァルも不思議そうにしている。
「コゲラ!あれは楽しいな。丁度良い。ヴァルさん、その村の近くのコゲラの葉が閉じていたらラステルは元気だと思ってください。聞いたかもしれませんが僕は……」
そういうことかとラステルはセリムの意図が理解した。
「あのねお父さん。セリムは蟲の民になったのよ!ホルフルのガンと繋がっているの。いつどこにいても気持ちが通じるのよ!だから私達が元気かお父さんに届けられるわ!だから全然心配しないで!」
何でこんな簡単なことを思いつかなかったのだろう。なのにセリムは考えてくれていた。ラステルの父親の気持ちを汲んできちんと考えて提案してくれた。セリムとヴァルが顔を見合わせて苦笑していた。
「セリム君、こんな娘だがよろしく頼む。ラステル、人の話は遮るな」
ヴァルの手が肩から離れて頭を撫でられた。
「必ず守ります」
セリムは堂々と胸を張っていたが顔付きは強張っていた。
「もう時間かい?」
セリムが首を横に振った。
「今の話をしにきただけです。もう少しイブンと話をしますので」
多分イブンやクワトロと話が終わって村のことでヴァルに相談に来たのだ。ついでにラステルを心配して様子を見にきてくれた。ヴァルもそれを察しているようでラステルから離れてセリムへと進み出た。セリムがニコリと笑って背を向けたのでヴァルの足が止まった。セリムはそのまま栽培室から出て扉を閉めた。親娘の時間を長くしてくれるつもりのようだ。
「あんな良い男にいつ何処で知り合った?」
ヴァルはセリムを追わずにラステルに向き合った。とても優しい笑顔をしてくれている。セリムに後で教えてあげよう。家族に叱られたことでまだ落ち込んでいるようだからヴァルが褒めたと知れば元気が出るはずだ。
「あのね、セリムは何年も前から蟲森に来ていたのよ。怪我したソーサを助けるのを見たの。それが初めてよ。もしかしたら蟲が嫌いじゃない村人で友達になれると思ったの。でも勇気が出なくていつも眺めてた。セリムは蟲森を散策してふって消えちゃってたから遠くの村の人だと思ってた」
ずっと聞いて欲しかった。
「そうか。蟲を助けるなんて蟲森の民でもしない。それで?」
「隠れて見ていたのよ。何年も見つからなかったのに春頃にセリムに見つかったの。だから意を決して話をした。それで知ったのよ、外の世界の人だって」
出会ってから何をしていたんだと穏やかに問われて嬉しかった。セリムのことを知ろうとしてくれている。ラステルは夢中で話した。セリムの研究を手伝っていたこと。一緒に絵を描き、植物を集め、時々蟲を集めて紹介した。話していて思い至った。
「セリム、一度も私を崖の国へ呼ばなかった。村に来たいとも言わなかった。自分が王子だって話もしなかったわ」
ずっと顔も知らなかった。防護眼鏡越しのタリア川の結晶のような優しい目元、転びそうになると支えてくれる逞しくも優しい腕。何にでも興味を持つ無邪気で少年みたいな姿。それがラステルの知るセリムの全てだった。それで充分だと思っていた。今はもっと深くセリムの事が分かる。そしてもっと知りたいと感じている。
「ラファエ様に聞いた。セリム君はラファエ様に提案されて二人を崖の国へ招いたと。ラファエ様、しいてはグリーク様が何か腹に抱えていると知りながら」
感心してくれるかと思ったらヴァルは悔しそうだった。何故だろう?
「そうよ。セリムはきっと外へ出たい蟲森の民へ何かしたかった。しようとしている。逆に招かれていないから村には踏み込まない。蟲森へ来ていたのも、選んだ仕事も、これから行く場所も、全部誰かの為よ。セリムは誰よりも沢山の物事を知りたいのに自分の為だけだと何処へも行かないの。そういう人よ」
だからセリムの行く道には苦難ばかり待ち受けているだろう。ヴァルはそれを悟ったのだ。悔しいのではなくラステルをセリムと共には行かせたくないだろう。いや、セリムの家族と同じでヴァルもまたセリムを心配してくれている。そんな気がする。
「お父さん。私そんなセリムの妻になれたから誰よりも幸せになれるわ。帰国しただけで崖の国中が大騒ぎだったのよ。人だけじゃなくて海に山に空の生き物、蟲までおかえりって祝いに来たらしいの。お父さんが増えてお兄さんが二人、お姉さんが三人。一人はお母さんも兼ねているの。甥っ子も姪っ子もいる。私達大家族よ。お父さんと私の二人だったのに私達大家族よお父さん!」
話に夢中で気がつかなかったがヴァルはラステルをもう見ていなかった。視線を追うと出入り口の所にクワトロが立っていた。
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