研究塔での再会1 幼馴染

 帰国祝いの宴で酔い潰れて朝になっていたからまだ頭が痛い。しかし久々の再会。だらしない姿を見せる訳にはいかないとパズーは背筋を伸ばして深呼吸を繰り返した。研究塔の仮眠室。話し合いをするセリム達と離れてテトと二人きり。二週間程度振りだが随分長く離れていた気がする。


「あー、元気?」


 テトを椅子に座らせて、パズーは簡易ベッドに腰掛けた。相変わらずのそばかす顔はつやつやとしていて見た目は元気そうだ。


「何よそれ。もっと他に言うことない訳?」


 足を組んで椅子に踏ん反り返るテトは全くもって可愛げがない。この二日間ラステルの愛嬌たっぷりな姿を見ていたせいで余計にそう感じた。それから脳裏にティダが過った。やはり似ている気がしてならない。


「あるよ。あり過ぎて何から話していいか分からない」


「そう。何かしら?」


 冷めた空色の瞳に早速心が砕けそうだ。いつもならば「ラステルを見習って可愛げとか学べよ」と軽口を叩く。それをグッと飲み込んだ。パズーが変わらなければテトも変化しない。まずは自分から踏み出す、それをラファエ、そして何よりラステルから学んだのだ。セリムのような器の大きな男ではなく、か弱くて怯えながらも踏み出すことが出来る女がいる。だから軟弱男のパズーにだって出来るはずなのだ。


「セリムの奴、昔から危なっかしかっただろう?そこにラステルが増えた。二人ともの大親友だからついて行って見張ることにした。特にラステル。あいつは健気過ぎてセリムだけじゃ手に負えない。二人が帰るまで俺は崖の国へは帰らない」


 途端にテトが動揺しだした。まだ踏ん反り返っているが足を組むのをやめた。目が戸惑いに揺れている。


「何があったの?」


「沢山だ。全部話したら朝になる。一つだけ。テトがラステルを受け入れたから巡り巡って俺が成長した。ラステルの奴、始終お前の話をしている。初めての友達だってさ。"テトに恥じない女でいる"って一国を救ったんだ」


 何のことだかさっぱり分からないという戸惑っているテト。そのテトの前に移動して片膝ついた。それからテトの左手を取った。女なのにささくれだらけでマメのある無骨な大きな手。働き者の彼女をよく表している手だ。


「去年の収穫祭で言えなかったから今年こそって思ってた。でも言えなくて良かった。待ってなくていいし、他の男を見たっていい。セリム以外にも追いつきたい、見届けたい背中を見つけたんだ」


 ポケットから出した自作の髪飾りをテトの左掌に乗せて無理やり握らせた。案の定テトの表情が怒りに変わった。


「何様のつもり⁈なんで私がパズーを待つと思っているのよ!こんないい女が約束のない男を待つ訳無いじゃない!」


 髪飾りを投げつけられると思ったがテトは両方の拳を握りしめて立ち上がってパズーを見下ろした。


「私は忙しいの!ラステルの代わりに羊を管理してラステルの代役として唄子もこなさないとならない!それから崖の国とホルフル蟲森の民が友好的に交流出来るようにするのよ!ラファエの世話だってある!幼馴染がちょっと出掛けていることなんて忘るわよ!そんなこと考える時間なんてないわ!」


 テトの顔は泣きそうだった。しかし眉毛を釣り上げてパズーを睨んでいる。要は行ってこい、心配するなということだ。全くもって可愛げがない。パズーは苦笑しながらテトの拳をそっと手に取った。


「テトに会わせろって言う崖の国の男が束になっても敵わない男がいるんだ。セリムがギリギリってとこ。ジーク様やユパ様は別な。二人が会った時にテトがこっちを見るような男になるよ。誰かのものになってても掻っ攫う。家族や仲間を蔑ろにするのは万死に値する。そういう男」


 テトが涙を流しながら笑いはじめた。


「ようやく気づいたのね。パズーはやれる男よ。半端に帰ってきたら引っ叩いてあげる。もちろん私は待っていないから」


 握りしめていた拳を開くとテトは可憐に微笑んだ。こんな素直な笑顔はいつ以来だろう。テトが髪飾りを髪につけてくれた。パズーはテトと手を繋いで引っ張った。それからベッドに腰を下ろして隣を示した。テトは素直にパズーの隣に腰掛けた。


「タリア川ほとりの村ってどんなだった?忙し過ぎてラステルから全然聞けてないんだ。多分今後もそうなる。教えてよ」


 自然と笑みが零れた。多分、余程の男が現れない限りテトは待っていてくれるだろう。一度気に入れば滅多なことがない限り手離さない。そういう女だ。


「それがね、凄いのよ!地下って言うから崖の国みたいなのを想像していたのよ。暗くて湿っているってね。でも全然違った。毒のない硬い木の根で覆われた地下空洞があるの」


 まるで新発見をしたセリムのようにテトの目が輝いた。


「地下空洞?ラステルは小さい村だって言ってた」


「そうね。五百人もいないわ。でもパズーが思っているより広いわ。木の根に大きな川が流れているの。それがタリア川。静かに流れる青々とした川でとても澄んでいるの。そのせいか空気も清々しい。あまり湿気が無いのが不思議なの。それで木の根の隙間に蟻の巣みたいに道や家というか部屋?が作られている。想像出来る?」


 パズーは首を横に振った。全然思い浮かばない。


「ちっとも。地下なのにタリア川ほとりの村って何だか分からなかったけど本当にそうなんだ」


 自慢げにテトが頷いた。


「崖の国で私だけが知ってる。鼻高々だわ。私、ラステルの部屋を使わせてもらっているの。あの子絵が得意なのよ。だから描いてもらうといいわ。忙しくても楽しいことはないといけないもの」


 研究塔内にセリムがまだ使っていないスケッチブックがあるはずだ。それを拝借しよう。


「歌だけじゃなくて絵も。昨日も踊っていたし芸術肌なのか。知らなかった」


「そうよ踊りも上手いわ。ラステルが崖の国に来た時に収穫祭でローラの鼻を明かしたのは爽快だった」


 踊り子ローラといえばセリムのことを好きな若い女を中心に集める反テト派。いつの間にかテトが統率していた若き畜産家の女達と水面下でバチバチと火花を散らす両派閥。思わずパズーはおののき、それから呻いた。


「何したんだよお前達。崖の国でのラステル人気って収穫祭で何をしたのがきっかけ?」


 大人しそうな顔をしているのに破天荒なお転婆娘。テトとラステルが嫌味を言うローラに楯突くのが容易に想像出来る。


「そんなに人気なの?」


「帰国祝いに宴が開かれたんだ。皆がセリムよりラステル、ラステル、ラステル。セリムはおまけ」

 

 テトが大声で笑い出した。


「ローラと踊りで対決したのよ。私の為にね。それでローラをへし折ってくれた。そこにデレデレのセリムが現れたのよ。それよそれ。もう大騒ぎ。後夜祭でもセリムはずっとラステルに首ったけ。そして急に求婚してラステルと誓い合った。幸せそうに大広間から出て行ったのよ。皆の弟セリムに世界一幸福だって顔と鼻の下が伸びた顔をさせる女。そんなのセリムに惚れてる女以外は好きになるに決まってるじゃない!」


 ケラケラ笑いながらもテトはパズーの手を離さなかった。パズーも離さない。


「昨日の宴でセリムの奴みんなからボコボコにされて酒をかけられたんだ。いつも通り率先したのはポックルな。セリム、珍しく酒を飲んで酔っ払ってた。去年さ、収穫祭の王族の誓いの返礼に俺達が海へ突き落としただろう?早く結婚しろってさ。約束通り結婚したのに何て扱いだって大笑いしながら始終ラステルにくっついて回ってた。無視されて凹んでやんの。それでラステルが寄ってきたらだらしないとしか言いようがない顔」


「へえ、ラステルはセリムを無視して何してたの?」


 パズーは肩を竦めた。


「女達と踊って歌ってた。テトが仲が良い奴が多かったけど女の勘なのか?後は俺に食って掛かってた。着飾っていて酔っ払ってたからラステルは物凄く可愛かったんだ。それでちょっと見惚れただけで"テトに言いつけるわ!浮気者ね!かじられるわよ!"ってぶたれて抓られた。目が本気で怖いし、凄い痛かった。お前のこと大好きだよあいつ」


 ラステルは大親友になったパズーのことも相当好きだがそれは黙っておこう。帰ってきてラステルがテトと再び交流したらパズーはあっという間に大親友の座から蹴落とされる。それが楽しみだ。


「何それ。私達まだ知り合ったばかりなのに。とても嬉しいわね」


 はにかんだテトは可愛らしかった。女同士の友情ではいつも素直だ。何故男に対してこれが出来ない。いや出来なくて良かった。パズーが奮い立つ前にテトが誰かに奪われていた。


「テト、ラステルは少し変わってる」


 伝えるか迷ったがまたラステルが怯えながら健気に自己の異質さを話すよりも、パズーが代わりに話をしてあげたかった。いつかラステルがテトに話をした時にテトがすんなりと受け入れてくれたらラステルは大泣きしながら大喜びするだろう。


「蟲に蟲と思われているんだっけ。まあセリムの妻になる女だものね。そのくらいで丁度良いのかも」


 予想外にテトはあっけらかんとしていた。


「まあそうらしいんだけど……あのさ……」


「タリア川ほとりの村内でラステルがどんな扱いだったか何と無く分かったの。それなのに唄子として、村を守る仕事を一生懸命していたみたい。そもそも仲間を祝福する化物って化物じゃないわよね?蟲って見た目は怖い大きな昆虫だけど動物みたいなものよ。動物に好かれる人に悪い人はいない」


 テトの三白眼気味の目がパズーを覗き込んだ。得意げで挑発的な笑みを浮かべている。


「テト、お前もうラステルの村で何かしただろう?」


 テトが悪戯っぽくニッと歯を見せて笑った。


「働かざる者食うべからず。普通のことを教えてあげただけよ。ラステルに寄っ掛かっていた唄子の男達とか、ほんの少し怠け者の羊飼いとかね」


 得意げだったのはこれか。


「それだよそれ。なんでそんなに豪胆なんだよ。危ないから自重しろよ」


「女をぶつような奴がいたら吠えるわよ。私には蟲が味方しているってね!まあ、もう村中に知られてるけどね。それに似たように芯が強い、良い女と徒党を組むわ。物静かで柔らかだけど芯が強く裏で男をあしらい転がす。それが蟲森の女みたい。勉強になるし楽しいわ」


 すっかりラステルの掌の上で転がされているセリムなんて典型例だ。ラステルは無意識っぽいがセリムがあそこまで骨抜きにされるなんて夢にも見なかった。そんな女がこの世にいるなんて崖の国の人間は誰も思わなかっただろう。パズーはセリムは一生独身か、政略結婚して相手を大切にしながらも孤独に生きるのではと心配していた。


「やめてくれよ。今より良い女になったら追いつくのがいつになるか分かったもんじゃない。本気でティダが気に入りそうだ。あいつお前みたいな女が絶対に大好きだ。何が目の前で掻っ攫ってやるだ。絶対阻止してやる」


 思わず出た本音にテトが頬を赤らめて怒ったように俯いた。


「ティダ?その人がセリム以外の背中?」


 照れを怒り顔で表現するのはやめて欲しい。この顔でいつも期待も勇気も萎んでいた。今とギリギリだ。


「そう。言うこと成すこと出鱈目デタラメで自信満々の俺様人間」


 テトが目を丸めてパズーを見上げた。


「そんな人が?」


「極太の自己信念があってそれに忠実。無意味な殺生や巻き添えは許せないって敵国に単身乗り込む。なのにたぶん敵は平気でなぶり殺してる。乗り込んだ敵地であっという間に信頼を勝ち取った。嫌いな女をぞんざいに扱っても危険を顧みずに命を助ける。触れたくもない女をだぜ?凄い怪力で気高い大狼が友人。好きなものは矜持だってさ」


 テトが何とも言えない顔をした。確かに会わないとティダの雰囲気は伝わらないだろう。あんな奇天烈人間、セリム以外にいるとは驚きだ。アシタカも変わっているしシュナもそう。ラステルだって可愛いけれどへんちくりんだ。世界は広いからもっと大勢こういう連中が居そうだ。


「女をぞんざいに?許せないわね。矜持があるならそんなこと絶対にしないはずだわ」


 そっちか。ラステルに対する扱いだと言ったらテトはやはり怒り狂いそうだ。今も爆発しそうな雰囲気を醸し出している。


「俺にも分からないよ。訳が分からない。乱暴で傍若無人で筋も通ってないように見える。でも本人には何か物凄い拘りがある。自分が決めた信念が折れるくらいなら死ぬ。逆に押し通すなら何でもする。頭も下げるし平気で嘘もつく。あっさり主張も覆す。そういう奴」


 あれだけ化物、イカれ女とラステルを罵っていたのに記者会見の時にすんなりラステルを褒めた。"最初のあの屈辱、顔も声も虫酸が走る"と言っていて、分かっていても腹が立つらしいのにそれを見事に抑えた。パズーと約束したから二度とラステルへ酷いことをしないだろう。誓いを立てたからには従うのも彼の信念の一つらしい。決めたらあっという間にラステルへの態度を軟化させた。心の中では何を考えているかさっぱりだが、実に涼しい顔をしている。


「つまり私はその人に負けたって訳ね。ティダって人に伝えて。会うのを楽しみにしているって。男のくせに男をタラし込んで覚えてなさい?絶対奪い返すからって伝えなさい。会った時に聞くから絶対に伝えなさいよ!」


 対抗心に燃えるテトの瞳にパズーはクラっときた。言い終わったテトは恥ずかしそうなのにまた眉毛を釣り上げた。


「その顔止めてくれよ。やっぱり蟲森の女達から学んでくれ。セリムみたいに愛嬌たっぷりな女の尻に敷かれる方が良いや」


 パズーはテトの手を強く握りしめた。


「相当ラステルと仲良くなったみたいね。でも残念ね。ラステルは私の味方よ。私の代わりにラステルがパズーを見張ってる。崖の国の恥晒しになったらラステルにぶたれて、抓られて、かじられるから励みなさいよ!」


 言い放ったテトが勢いよくパズーに顔を近づけた。それからそっとキスしてきた。唇が離れるとテトはパズーの胸を両手で強く押して部屋に置き去りにした。


「忙しいから続きは次回ね。余所見したら地の果てまで追いかけてかじって踏み潰すから肝に命じなさい。でも私は待たないから」


 それがテトの捨て台詞だった。なんて女に惚れたんだ。よく呆れないものだとパズーは自分に呆れ返って大笑いした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る