ご機嫌な蟲姫への家族の祝い

 激しさが薄れた雨注ぐ大橋。セリムは屋上から上空の大蜂蟲アピスの子達に「帰りなさい」と心の中で叫んだ。シュナの森上空から親たちも叱っている。


〈戻ってきなさい。掟破りだ〉


〈嫌だ嫌だ。海水で毒は洗った。遊ぶんだ!〉


末蟲すえむしと一緒に歌うんだ〉


 嫌だ嫌だの大合唱。幸いにも日が暮れた雨の大橋に人はいない。アピスの子達は吹き荒れる潮風が楽しくて堪らないらしい。


「恥を知りなさい!他者の領域に勝手に踏み込んではならない!」


 屋上から身を乗り出してセリムは大声で叫んだ。


〈巣から出て良いのは許された時と逃げる時だけ〉


〈親がお祝いに来たからアピスの子もついてきた〉


〈セリムが言ったんだ。親は怒っても子に酷いことはしない〉


 親たちが違う違う子には許可していないとセリムに告げてきた。荒れ狂う海へ次々と突進するとアピスの子達。海へ潜っていくが羽は大丈夫なのか?


〈そのような危険を犯すな!子らよ戻ってきなさい!〉


「危ない真似はやめなさい!親に心配をかけてはいけない!」


 言い放ってから自分の胸に矢が刺さった。思いっきり家族に心配をかけているのはセリムだ。


〈祝いの品を巣ではない森に置いた。我らは帰る。子も連れ帰る。掟破りは輪から外し巣から追放するぞ!!子らよ今すぐ戻れ!最終勧告だ!〉


 親たちの低い響きにアピスの子達が次々と海から現れた。脚に魚を抱えている。


〈嘘だ!〉


 今度は嘘だ、親は酷いことをしないの大合唱。頭が痛すぎる。セリムが教えた話を勘違いしているらしい。教え方が悪かったせいだ。


〈セリムが教え方を間違えた。最終勧告をお前からもせよ〉


 親たちが冷ややかにセリムに告げた。


「追放は怒ってする酷いことではない。掟は君たち子を守る為にある。この国はまだ君達が怖い。嫌な目に会う前に帰りなさい。親は君たちを守りたいんだ。従えないなら滅んでも文句は言えない。それが掟やしきたりを破る責任。親の庇護を離れるということだ」


 嘘だ!の合唱が次第に静かになった。ぺちゃぺちゃと魚を大橋に落としてアピスの子達が親に向かう。濡れた羽が上手く動かないのかよたよたしていた。


〈難しい〉


〈セリムの教えは難しい〉


〈こないだは良くて今度はダメだって〉


〈今までみたいに親に従おう〉


〈世話役だけずるいけど仕方ない。繋がってるから大丈夫〉


〈ご機嫌な姫と遊びたかった〉


 今度は難しいの大合唱だった。それからセリムはやっぱりへんてこりんと歌いはじめた。ふよふよ楽しそうに親元へ帰っていく。


「明日なるだけ早く出発する!巣で会おう!」


 叫ぶ必要はないがセリムは手を大きく振って不満たっぷりのアピスの子を見送った。


〈人の王子よあまり勝手に教えるでない。子らはすぐ惑う。教えるなら正しく導け〉


 親たちはセリムを批難してアピスの子を迎えいれた。それからシュナの森の上からドドリア砂漠の方角へと去っていった。


「あー、セリム?何だこれは。お前は本当に蟲と話すのだな」


 アスベルが驚愕の目で大橋を見つめた。隣のクワトロも固まっている。アスベルはセリムがクイ達に叱責されている間にユパから話を聞いたらしいが何処まで聞いたのか知らない。おそらく全部だ。ユパはアスベルを本当は側近にしたいから秘密を共有して重圧を与えているのをセリムは知っている。


「僕とラステルが帰国した祝いだと。あの魚。それからシュナの森に何か置いていったみたいです」


 魚は子が勝手に行った結果だ。この暴走を何て説明しよう。


「ようセリム。立派な口振りだったがあのおチビちゃん達は何を言っていたんだ?」


 アピスの子に発砲したって文句は言えない状況なのにクワトロは楽しそうにセリムの肩に腕を回した。


「子ども達はラステルと僕と遊びたいと。それから魚は祝いだと。人の領域だと親が怒っていました。だから僕も叱りました。子達は以前僕が教えた事を勘違いしたみたいです。僕も親に教え方が未熟だと叱られました」


 へえ、とクワトロが目を丸めた後に口髭を撫でた。


「親にもなってないのに子育てか。大変だな。まあ他にもお前をたしなめる奴が出来て良かったな」


 あまりにクワトロがあっけらかんとしているからセリムは驚いて瞬きを繰り返した。クワトロの腕がセリムの首を絞め、こめかみに拳をグリグリ当てられた。


「海岸に魚は打ち上げられ、空から鼠が降ってきた。鼠なんぞいらんのに。森から狐の群れが兎を放り投げてきて、ボブ山脈の鷹や鷲も似たり寄ったり。何の獣か知らんが木の実が積まれキノコや山菜も山積み。あちこちから貢ぎ物を賜って今年の冬は豊かに越せそうだ。本当に訳が分からんへんちくりんな弟だ!」


 がははとクワトロがセリムをさらにグリグリした。目が合ったパズーが愕然としている。


「やっぱりお前変だよ。俺、目付役とか大丈夫かな」


 "僕をやめる"という謎の宣言からはじまった崖の国第三王子セリムの目付役パズーが嫌そうに呻いた。


「僕は何もしてない!何だよ寄ってたかって変だって!家族に妻に目付けに蟲まで!」


 クワトロを引き剥がすとパズーが爆笑し出した。


「いや変だろ!おかしいよ!」


「大体ホルフルの家族はラステルがご機嫌だから祝いに来たんだ!」


 アスベルが目を点にした。口が滑ったとセリムは慌てたが今度はアスベルが爆笑しだした。


「ホルフルの家族!本当に変な教え子だ!教えと真逆の道を進みおって!」


 アスベルの叫びにヒィヒィ笑いながらパズーがセリムを蹴ろうとした。遅い軌道なのでひらりと避けた。


「口が軽い!気をつけろ!」


「早速目付気取りか!まだ就任宣言終わってないからな!あー、さすがにそろそろ支度しないとならないのに魚を回収しないとな」


 大橋を見下ろしながらセリムはため息をついた。蟲と絆を結んで平穏への第一歩だと思ったら新たな悩みが増えただけだった。世界中でたった一人の蟲の民テルムとしてセリムは相当苦労しそうだ。


「衛兵に頼むからよい。居合わせただろう衛兵に説明をしなさいセリム」


 セリムとパズーの背中を押してクワトロが歩きはじめた。アスベルがセリムの肩を叩いた。手に長銃を握りしめている。発砲しなかったのは数が多かっただけではないはずだ。


「先生に聞いて欲しい祈りがあります。宴の席でもこれだけは民に話をする予定でしたが僕は先生にまず伝えたい」


 セリムは足を止めてアスベルと向かい合った。気を利かせたクワトロがパズーを掴んで去っていった。


「祈り?何を見つけてきた?」


 茶色い瞳の奥に眠る絶望は何年経っても消えていない。彼が定期的に旅に出ていたのは大切な者を抱えればまた同じ苦しみを味わうと恐れているからだろう。いつも背中を追いかけていたアスベルもクイ同様随分小さくなった。しかし学ぶことはまだ沢山ある。


 セリムは蟲の女王アモレの若草の祈りの言葉を口にした。


***


 しとしとと降り注ぐ雨に濡れながらアスベルはセリムの目を見つめ続けてくれた。知識を与え、身を守る術を叩き込んでくれた先生。深くなった皺に雨が溜まる。


「そうか。本当に人と変わらんのだな蟲も」


 苦悶に顔を歪ませてアスベルは俯いた。


「先生……」


「セリム険しいぞ。これ程知能が高く群れを形成する種族との共生。今までは互いに拒絶し合って均衡を保っていたのだろう。それをお前が破壊した」


 顔を見上げたアスベルの顔には憎悪や絶望ではなく心配が滲んでいた。それがとても嬉しかった。アスベルはこれから変わる。人生はもう折り返しているが再び新たな芽が生まれた。きっとそうだ。


「僕は破壊神、悪魔と罵られるかもしれません」


 誰にも言えなかった不安をセリムは口にした。ジークは何も言わなくても抱きしめて汲み取ってくれた。アスベルにも言えると思っていた。


「そうだな。しかしこの国だけは受け入れるだろう。元々お前が妙だと知っている。そしてそれを誇りに思っている」


 それが恐ろしいというのもアスベルには伝わっているだろう。蟲の国として攻撃されほふられる、セリムはそれが怖くて堪らない。この国にいれば声を上げて身を投げられる。


「侮るな。お前の家族はお前よりも強いぞ。突然シュナの森上空に蟲の群れが現れたのにユパは冷静に観察しておった。クワトロはまるで何か祝福のようだと正解を導いた」


 王の間で耳にした時も驚きだったが改めて聞かされると驚きと共に嬉しかった。


「セリム、お前と蟲の繋がりを知らなくてもだ。変な男は突然変異ではない。この国の王族はそういう一族だ。異大陸から流れつき言葉の分からぬ私を受け入れた。さらには勝手に末息子の世話役を押し付けた」


 言われてみればおかしな話だ。怪我して動けないから、末息子が気に入って離れないからと二人きりにさせる王族。そんな国他にあるのだろうか。


「安心しました。みんな僕を変だ変だと言うので。家族もみんな変ですね」


「おかげで楽しい人生だ。心配事ばかり増える。パズーの決意と熱望に感化されたのかついに私もユパに捕まった」


 つまりアスベルはついにユパの側近となる。意外なところでパズーが作った功績。あとで教えてやろう。


「僕不在のこの国をよろしくお願いします」


「出征はクワトロ王子代理で私が行く予定だ。その前に是非励んでくれよ」


 ポンとセリムの肩を叩くとアスベルは少し背伸びしてセリムの髪を撫で回した。


「少しだけ安心しました。クワトロ兄さんならともかく先生なら死ななそうです。死神剣士でしたっけ?先生が旅してる不在時に旅人から先生の噂を聞きましたよ」


「ふはは!お前にも教えるだけ教えたさ。セリムは破壊神ではなく死神と呼ばれるかもな」


 セリムはアスベルの肩を抱いて歩き出した。


「アシタカにくれてやります。弟弟子って言ってたのに随分年上でしたね。全然知らなかった」


「入門順だ。あれは自信がないのに虚勢を張ってでも突き進むから共に悩んでやれよ。時に止めてやれ。お前よりも理想が高くて妥協が中々出来ん。立場が立場で諭してくれる者も少ないようだ」


 階段を下りていたセリムは足を止めた。


「どうしたセリム?」


「まだまだ未熟だと思って身を引き締めようと思いました。この国の為に和平を結べる道を見つけてきたぞとおごり昂ぶっていたので良かったです」


 パズーが評したアシタカ像、アスベルが心配するアシタカの欠点。きっと今頃アシタカは自由に生きろと言われながらもヌーフに諭されて導かれている。セリムの前では大人しかった姉達や三つ子達にも。


「何年経っても素直だな。数多い長所の中でも良いところだ。大切にしなさい」


「はい先生」


 セリムはアスベルの横に並んでまた階段を下りはじめた。


「しかしお前が親や師匠になる日が来るとはな。歳を取る筈だ」


「まだ本当の子はいませんよ。それまで……」


 今の今まで思い至らなかったがラステルはセリムと子を成せるのだろうか。初めて抱く時も似たような不安を覚えた。


「なるようにしかならない。大事にしてあげなさい」


 見透かすようにアスベルに腰を強めに叩かれた。ヌーフに相談してみよう。見に行かなかった地下深い古代遺跡に何か助けが見つかるかもしれない。その前にラステルとも相談しよう。


「してますよもう既に。これからも死ぬまでずっと大事にします。むしろ逃げられないようにしないと。アスベル先生、クワトロ兄さんみたいにぺしゃんこにされたくないです」


 大事な相談を思い出した。


「ぺしゃんこ?あの娘さんはそんなに豪胆なのか?ユパから聞いた限りでは中々健気なようだが」


 クイ達がラステルを見抜いたのは女の勘と経験か。


「姉上達がすっかり気に入ってくれました。しかしラステルがドーラ義姉ねえさんのようになりそうで恐ろしいです」


 表では必ずクワトロを立てているが裏ではぺちゃんこに尻に敷いている。ゾゾゾゾゾっとセリムに寒気がした。


「ふはは!そんなことが怖いのか。面白い男だな」


「当たり前です!あのような情けない男にはなりたくありません。妻に誰よりも尊敬され立派な男となりたいです」


 笑い声で長い髭を揺らすアスベルがまたセリムの腰を叩いた。


「期待して信じているから指摘するのだ。あと惚けた顔ばかりしているお前には無理だ。惚れるが負け。クワトロは上手く妃達を操っておるぞ」


「やはり僕は未熟です。先生の教えがさっぱり理解出来ません。惚れさせて勝ちならもう勝っているはずなのに全然ダメです」


 ラステルは何をおいてもセリムが好きだ。それは間違いない。


「セリム、お前は時々賢い頭脳をどこかへ失くしてしまうな。ははははは。励みなさい」


 謎の言葉を残してアスベルは地下階段へ消えていった。衛兵に説明しないとならない、また悩みが増えたと思いながらセリムの顔は自然と綻んだ。

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