帰国祝いの宴

 複雑にまとめあげた髪に飾られた揺れる銀細工の髪飾り。深い緑色の民族衣装に包まれたラステル。何と華やかで愛らしく艶やかで綺麗で美しく大輪の花のよう……


「おいセリム。顔を締めろ」


 パズーに背中を叩かれてセリムは我に返った。パズーが自分の背中越しにセリムを注意してもラステルは気がついていない。挨拶にきた衛兵隊長に可憐な笑顔を投げている。


 現れる男、現れる男、皆がラステルに目を奪われるのが面白くない。惚れた贔屓目にも今のラステルはそれ程までに輝いている。


 はっきりいってこれは最早仕事だ。祝いの宴と言っても新年の式典と同様だった。大橋の中通路、城塔側に設けられた高台席。その前に現れた各区画長、各職長そして衛兵隊長と延々と挨拶の口上が述べられる。その間セリムはぼんやりとラステルの横顔を眺めてしまっていた。悪いと分かっていてもつい見とれてしまう。


 もう少し待てば民が喜び、歌い、踊る。収穫祭から新年の式典まで何もない予定だったところにこの祝い。思いがけない貢ぎ物もあったらしく存分に楽しんでもらえると良い。冬は長く厳しく過酷だ。次の祭宴がまた励む糧となる。しかしセリム達は飾られるだけ。これは仕事でしかない。


「こんなに沢山の人が住んでいたのね。みんなセリムの帰国を喜んでる。凄いわ」


 ラステルがセリムに微笑みかけると退屈で苦痛な現状も楽しく感じられた。これなら毎日式典でも良い。着飾ったラステルを堂々と眺めていられる。見透かしたパズーがまたセリムの背中を叩いた。


「忙しい中皆御苦労!突如国を飛び出した愚息が誇りを抱えて見事立派な男となって帰国した!セリム、参れ」


 高台中央でユパが叫んだ。セリムはラステルに腕を差し出した。ラステルが腕に手を添えると前へと出る。パズーがその隣に並んだ。クワトロの衣装がパズーにはあまり似合っていないのだがラステルは褒め称えていた。パズーは紫色のターバンの下で真っ青な顔をしている。


「皆の者!勝手な行動により動揺させたことを謝罪しよう。そして我が国へ新たな誇りを連れて戻った!名はラステル!収穫祭の後夜祭で誓いを立てた通り我が妻だ!」


 静まり返る中通路。光苔に照らされているが薄暗い。


「西の大国、大陸覇王と名高いペジテ大工房の姫君ラステル。我が息子が惚れ抜いてさらって来たのは皆の記憶も新しいだろう」


 ユパの言葉に国民の失笑が響き渡った。


「エルバ連合は北のグルド帝国に睨まれておる!国を背負っていく予定だったセリムが駆け落ち。惚けたかと憤っていた。しかし自らの望みを叶えた上で大国の庇護を連れてきた!」


 今度は期待と歓喜を抑制しようとする騒めきが巻き起こった。ユパがセリムとラステルに目配せした。セリムよりも先にラステルがユパの隣に駆け出して膝をついた。打ち合わせと違う。ラステルがゆっくりと大きく話しはじめた。


「激動が幕を開け各国がぶつかるでしょう。我が祖国、そして西全体で既に静かな戦が始まりました。国同士の争いの前哨を諌め、手を取ろうと立ち上がったのは崖の国の誇り高きセリム王子、そして機械技師パズーです。本日はそのお礼を申しに来ました」


 セリムは焦りを隠しながらラステルの隣へゆっくりと向かった。パズーがそわそわとついてくる。


「争わないように、血が流れないように、それが我が兄ペジテ大工房の至宝アシタカの祈りです。それにはセリム王子とパズー様が必要です。崖の国の民よ。我等の傲慢を、独占欲をお許しください」


 両手を握りしめて懺悔のようにこうべを垂れるラステルの姿は収穫祭と同じだった。違うのはラステルがセリムを見上げて微笑んでゆっくりと立ち上がったこと。泣いてはいない。セリムは力強くラステルの肩を抱いた。それから耳元で囁いた。


「勝手な真似をするお転婆奥様。後半は任せてくれるね」


 強張った表情でラステルが小さく頷いた。震えている。全部自分からではなくラステルの役割も割り振っておけば良かった。偽りの身分にセリムを再び崖の国から奪う。そしてパズーも連れていく。その罪悪感に押しつぶされそうだったのだろう。実際にはセリムが勝手に飛び出しラステルとパズーがついてきてくれるだけなのに。


「覇王ペジテ大工房のアシタカ大技師名代が近々大陸中の国の代表を集める予定だ!我が国からはユパ王が招かれる!侵略行為の牽制だけでなく停止、そして文化交流に交易!新たな時代が幕を開けるだろう。私は妻と目付パズーと共にアシタカ大技師名代に力添えする為に西へ帰る!崖の民の誇りが世界へ轟くだろう!変わらず恥じぬ民でいて欲しい!」


 セリムはラステルと共に少しズレてユパの隣にパズーが立てるようにした。


「直動的で勇足のセリムを諌め、ラステル姫の命を救い、西のドメキア王国とペジテ大工房の架け橋となった我が国の誇りパズーを本日よりセリムの目付とする!」


 ユパに高らかに宣言されてパズーは青ざめた顔を引き締めた。ラステルが「パズー頑張って」と小さく囁くと少し血色が良くなる。ユパがパズーの背中を押した。


「正直無理です!ここにいる殆どが何でパズーが?と思ってます!」


 震える声で叫んだパズーがユパから離れて一歩進んだ。失笑が巻き起こっているがパズーが後ろ手を組んで胸を張った。手が震えている。


「でも俺は成した!荒れ狂う大嵐の中ラステル姫を助け出し、恐ろしい大狼の前に立ち塞がった!セリム王子が、ラステル姫がお前がいないと困ると言うので励みます!偉大で誇り高いこの国の男達に追い抜かれないようにします!その背中をセリム王子に見せていきます」


 してやられたとセリムは心の中で舌打ちしかけた。このままではパズーは完全にセリムのお守り係。


「私を助けてくれた貴方はとても勇敢で格好良かったです。これからは友としてではなく目付役として夫婦共々お世話になります」


 満面の笑みでラステルが告げた。パズーへの追い風。それを合図に中通路が祝いで爆発しそうになったのでセリムは大声で叫んだ。


「崖の国レストニア前王ジークの息子にして現王の弟セリム・レストニア!その目付パズーよ誓いを立てよ!死が心臓を貫こうとも真心を捧げると風の神に誓え!病める時も困難に襲われても我が隣から離れずに常に横に並び、共に歩むと!」


 セリムは堂々と背筋を伸ばしてパズーに右手を差し出した。セリムはパズーの後ろではなく隣だ。庇護下でも守られるべき対象でもなく真横。民が固唾を飲んで見守っているのが伝わってくる。喜ぶかと思っていたラステルが苦笑していた。


「このように自信に満ち溢れているので何処までも苦難へと進んでしまいます。止める者が必要です。心臓に剣を突きつけられても真心を忘れず、憎しみで殺すよりも許して刺される王子セリム。叶わぬ理想に他者を巻き込めない孤高の男。皆の為に死なぬように止めねばならない。忠告は出来ますが脆弱ゆえ強く逞しくなるまで俺の命を守って下さいセリム王子」


  パズーがセリムと握手を交わした。中通路中に笑いが沸き起こった。それから割れんばかりの拍手。セリムの完敗だ。大恥かかされた。しかしパズーはきちんとセリムも立てた。ラステルがパズーへキラキラする尊敬の眼差しを向けているのが腹立たしい。


「振り上げられた拳に必要なのは屈強な肉体だけではない!逃げる足や助けを求める口!投げられた石に対抗するのは堅固な盾だけではない!包み込む網がある!崖の国の民よ誇りは様々だ!肝に命じ激動の時代を共に生きよう!必ずや今の平穏を与え続けるとレストニア王族は風の神に誓う!」


 ユパがセリムとパズーの間に入って二人の肩を抱いた。


「帰国の祝いに駆けつけてくれた勤労な民よ。僅かな時間であるがぜいに酔いしれてくれ!明日への活力となろう!」


 拍手が益々大きくなっていった。ユパが手を離して席へと戻るのでセリム達も続いた。大量の汗をかいて吐きそうになっているパズー。ラステルが甲斐甲斐しくパズーの汗を拭きはじめた。目と目で通じ合うように互いを労っている。


 はっきり言って面白くない。


「ラステル。公の場で夫を立てないのは崖の国の女ではありませんよ」


 クイがラステルの手からパズーを奪った。ラステルが申し訳なさそうにセリムを見上げ、クイがセリムを睨んだ。


「目付を世話する妻を褒めて手伝わないのも崖の国の男ではありませんよ」


「僕が国柄を教えそびれていただけです。それからラステルの手際が良すぎて僕が遅すぎただけです。ラステル、姉上がパズーを世話してくれる。席で皆の挨拶を受けよう」


 セリムはラステルに手を差し出した。ラステルがビクビクしながらクイとセリムを見比べている。


「まあ、先程の豪胆さは何処へ消えてしまったのかしら。セリムと似合いなのにシャキッとしなさい。文化の違いは徐々に覚えてもらいますが貴方も反論くらいなさい。言わないと分かりませんからね」


 クイがにっこりと微笑んでパズーと共に城塔方面の高台下へ降りた。クイなら手際よくパズーを介抱してくれるだろう。緊張が解けて具合が悪くなっただけだからすぐに戻ってくるはずだ。ラステルがセリムの腕にしがみついた。


「姉上達に叱られたのがそんなに怖かったのかい?」


「グルド兵と変な泥人形みたいなのよりも遥かに怖かったわ!でも愛情タップリだからとても嬉しいの。今の聞いた?クイ義姉様おねえさまもセリムと同じで変ね」


 とんでもないものと比較されているなと空いた口が塞がらなかった。一度ラステルの頭の中を覗いてみたい。


「セリム、トトリ師匠にはお会い出来るのかしら?」


「探しに行くか。はっきり言って高台に飾られるのはつまらないんだ。怒られるし揉みくちゃにされるけど平気?」


 若草色の瞳をぐるりと回してラステルがもちろんと笑顔の花を咲かせた。


「セリムがいれば千人力だもの」


 パズーは百人力。セリムは千人力。粉々の砂にまですり潰さた自尊心が戻ってくる気がした。


「よし行こう。クイ姉上がいないうちだ」


 セリムはラステルを横抱きにした。ユパが目ざとく気づいたので駆け出した。


「急にご機嫌ねセリム」


 ラステルがセリムの首に手を回した。


「そりゃあこれから君を国中の男に見せびらかすんだ。収穫祭とは違って今度は妻としてね」


 階段を使わずに高台の端から飛び降りた。ラステルがセリムの首に回す腕に力を込めた。人が集まるかと思ったら左右に人が避けて道となる。


「また人の道よセリム。今度はとても平和ね」


 有難いことに拍手と歓声も巻き起こった。


「落ち着いたら祝言の式典も挙げる。その時は中通路だけではなく国中君を抱えて歩くんだ。大自然にまで君を見せびらかす」


 恥ずかしいわとはにかんだラステルが腕の力を抜いた。それからセリムの胸にもたれかかった。セリムが歩き、ラステルが手を振る。セリムとラステルの名が呼ばれて祝福されるがもみくちゃにされなくて助かった。


「巡り巡る。土に還り木になって家になろう」


 ラステルが幸せそうにうっとりしながら歌を口ずさみはじめた。ラステルはこんな調べにするのかと耳を傾ける。蟲の女王アモレの祈りの言葉を民に伝えそびれていた。これで少しは伝えることが出来るかもしれない。セリムがラステルに声を掛けたら止めてしまいそうなのでそのままにして歩き続ける。


「風が届けてくるくる巡る。実になって食べられよう」


 次第に歓声が小さくなっているのにラステルは夢中で小さく歌っている。目を閉じてセリムに身を任せて微笑んでいる。機嫌が良いとは思っていたが完全に浮かれきっているようだ。それがセリムの腕の中というのが大変満足。


 命は巡る


 想いも巡る


 貴方が笑えば私も笑い誰かも笑う


 幸せで胸がいっぱいな時間


 大切な想いの結晶


 許すために思い出す


 奥の方で演奏と踊りがはじまっているので人の道は狭くなり、煩くなっていく。セリムはラステルの小さな歌を聞きたくて足を進めるのをやめていた。セリムが知る祈りの言葉と少し違う。しかし込められた想いは同じ。ラステルが気がついて目を開き顔を真っ赤にした。


「すごぶるご機嫌だねラステル。僕も心底幸せで嬉しくて堪らないよ」


 セリムは真っ赤なラステルを下ろした。それから手を繋いだ。


「ありがとう。私もとっても幸福だわ。つい歌ってしまうくらい……」


 恥ずかしそうにラステルが俯いた。それから上目遣いでセリムを見上げた。不安そうにでも喜びに満ちた若草色の瑞々しい瞳。セリムの大好きな色。もしもまた唐紅の激情に飲まれて失われたら今度は叫ぶのではなく歌を捧げよう。きっとラステルの胸の奥へと響いて届く。


「歌って踊って騒ごう。収穫祭の続きだ。トトリ師匠もどこかにいるよ。風詠を全員紹介したい。さあ進もう」


 ラステルがセリムの手を力強く握り返した。先にラステルが歩き出した。


「セリム……私もお母さんになれるかしら……」


 振り返って儚げで切なそうに呟いたラステル。微笑んでいるが酷く怯えた寂しい目。帰国してクイに叱責されなかったらずっと気がつかなかっただろう。セリムは笑みだけ浮かべてジッと次の言葉を待った。ラステルの怯えが徐々に消えて決意の炎が灯る。


「私もセリムにお似合いで強欲だからいくらあっても満足出来ないの。苦労をかけると思うわ」


 今度は親愛の色だけを滲ませて大輪の花が咲いたように、はちきれんばかりの笑顔を見せてくれた。セリムは強く手を握り返してラステルの隣に並んだ。


「ああ勿論だラステル!君に似て愛嬌のある男の子でも歌が上手い女の子でも、僕に似て風が好きな男の子でも聡明な女の子でも。全員でも倍でも構わないさ」


 ラステルが目を大きく開いて歯を見せた。


「そんなに沢山は望みすぎよ!でも楽しみね」


「鮮やかな未来が僕らを待ってる」


 何度壁にぶつかろうとも、再び蟲愛づる姫の瞳が深紅に染まり王が蟲を遣わそうとも抱き締めに行く。セリムとラステルが進むと押し寄せる人にもみくちゃにされた。


 いつの間にかパズーがアンリ長官とダンを連れ出していた。音楽に合わせて軽やかに踊るラステルがアンリ長官の手を引いて女達の輪に入った。セリムは腕相撲を挑んでくる男達をのし、さあ飲めと差し出される酒が多すぎてダンとパズーへ分けた。ポックルやアルマ達同世代の男達がセリムを取り囲んで次々と文句を言う。肩を抱かれ、殴られ、胸を押され、背中に人が乗った。酒を飲まされ続け揉みくちゃにされぐしゃぐしゃだ。

 

「ずっと隠していやがったなあんな姫を!」


 ポックルがセリムに酒をかけるとパズーがラステルをつかまえて抱き上げた。セリムが怒ろうとすると友人達に羽交い締めにされて酒をかけられた。


 調子に乗ったアルマがアンリ長官を抱き上げて鉄拳を食らい鼻血を出した。酔っ払ったダンがアンリ長官の頭の上から酒をかけて説教が始まる。パズーがセリムにしたり顔を向けた。ラステルを抱いたままくるくると回る。


「どうしましょう!やきもち焼きの大鷲にパズーが丸齧まるかじりされてしまうわ!きゃあ怖い!逃げてパズー!」


 楽しそうなラステルがパズーにしがみついた。誰かが酒を飲ませたのか、かなり酔っ払っている。ラステルが酒を口にしたのを見るのは初めてだ。大はしゃぎしてご機嫌のラステルをポックルが鼻の下を伸ばして眺めている。他の男達が自分もとラステルに手を伸ばしたのでセリムは蹴飛ばした。女達も自分を見ろと男達の手を引く。ラステルはパズーじゃないと嫌と言わんばかりに伸ばされた手を次々と払った。


 抱きつかれているパズーが一番締まりが無い顔をしている。


「まあ何て顔をしているの!テトに言いつけるわ!浮気者ね!かじられるわよ!」


 いきなり怒り出したラステルがバシンとパズーの頬をぶった。それから再び「かじられるわよ!」と今度はパズーの頬を抓りだした。


「痛い痛いっ!何だよかじられるって!痛いって!痛いよラステル!」


 パズーがラステルを離すとラステルはしれっとアンリ長官と踊り出した。アンリ長官に手を引かれたパズーがすぐに機嫌を直す。ラステルが今度はダンと踊り、そしてセリムへと駆け寄ってきた。


「ご機嫌だねお姫様」


 セリムはラステルの足を抱えて高々と持ち上げた。セリムの肩に手を置いてラステルが愉快そうに笑った。


「とても楽しいわ!こんなの初めてよ!」


 ラステルが大きく手を広げて歌いはじめた。歓喜と幸福を込めてそれが次へと届けと高らかに歌う。大嵐の台風の目で凪いだこの時間を愛おしみ、負けるものかと決意を秘めた祈りの歌。


--テルムは若草の祈りを捧げよ。


 蟲の民テルムセリムが捧げる祈りはラステルへの愛。それが巡り巡る。忘れられずに待っていた健気な家族へと巡っていくまで捧げ続ける。険しい崖で自然の猛威にさらされながらもあらゆる命と共に生きる家族へ巡るようにと祈り続ける。


 セリムとラステルは程なく自室へ去って酔いに任せて抱きしめ合ったが、帰国祝いの宴は朝まで続いた。

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