束の間の休息2
セリムがラステルを触るたびに自分が宝物に変わったようだと錯覚する。
いつもは。
「セリム?」
いつもよりもラステルの頬を包む手に力がこもっている。塞がれる唇も今までよりも力強い。
「ラステル……」
甘えるようなくすぐったい声に頭がくらくらする。優しい声なのに少し乱暴な手つき。大橋を散策していて次第に強くなった雨のようにどんどんセリムは激しくなっていく。ふざけた通りに首筋を
「セリム、あのね……」
眉毛を下げているのに唸りそうな凶暴さと熱視線に声が止まった。拗ねたと本人も認めたがこんな一面もあるのか。変なところでヤキモチを焼く人だと思っていだがこんな風に発露するとは考えてもみなかった。
「何?」
ラステルを尊重して止まってくれたが我慢の限界だという顔付きだった。この目にもラステルは弱い。とても大事に想われて求められているというのが気恥ずかしくても嬉しくて堪らない。
「着替えるのよ。
思い出してラステルは恥ずかしさが爆発した。そうだ、服を剥がされて肌着で採寸されたときにセリムにつけられた跡を見られた。途端にセリムから逃げ出したくなった。
「そう、なら見えないところを
覆いかぶさったセリムは悪戯っ子みたいな笑顔だった。視線だけが男の鋭い眼光。見えないところってどこのこと?何を言い出したのだ。ふざけて使っただけなのに今のセリムなら本当にラステルを
「もう一度見せて」
体を起こされて、回されてあっという間に上半身の服も肌着も脱がされた。セリムの温かい指がそっと背中をなぞるのでゾワゾワする。
「平気よ。大したことないわ。それより明るいから……」
後ろから抱きつかれて胸を隠していた手をどかされた。
「ラステルの傷、全部見るからいい。僕のせいだ」
身をよじっても明るくて嫌だと突っぱねてもセリムは止まらなかった。
「違うわ。危ないって言われたのに……私っ!……あのね……聞かなかっただけよ。背中も……足も……」
いつの間にか仰向けになっていた。あまりにも勢いよく激しく触られてキスされるので喋る隙もない。
「次は側にいる。嫌だと言っても。だからあの大狼に近寄るなよ」
噛みつかれるようにキスされた。どうしよう、骨まで食べられてしまいそうだ。パズーに続いて今度はティダに嫉妬しているのだろうか。見当違いすぎるセリムのヤキモチがさっぱり理解出来ない。ラステルと関わった男全員にヤキモチを焼きそうだ。ラステルを嫌いぞんざいに扱う者まで全員。変過ぎる。
「ティダ皇子って私のこと大嫌いよ……」
こんなに明るいところで嫌だと頼んでもセリムはするする残りの服を脱がしていく。
「そうかな?明るいままでいい。全部見る」
こんな我儘言いだすなんて変だ。大事に大事にされているのはそれはもう驚くぐらい身にしみているが今は逆だ。手つきも仕草もキスも優しいのにトゲトゲしている。逃さないという気迫に体がゾワリとする。それが嫌ではないという自分にも驚く。
「ねえお願い……」
明るさで顔も見れないくらい恥ずかしくて顔を背けた。でも突き飛ばしたりはしなかった。嘆願を無視されても許してしまうのはラステルがセリムに弱いからだ。目にも声にも手にも、強くラステルを好きだというような態度に目眩がする。嬉しくて仕方ない自分もセリム同様変だ。
幸せで胸がいっぱいな時間
大切な想いの結晶
儚くて綺麗な祈りが胸に灯った。切ないくらい美しくてキラキラとした想い。まるで誓いを立てた日にセリムと眺めた流星の空を想起させるような祈りの光。
この時をずっと待っていた
想いが巡ってくるまで待ってた
ずっと待ってた
忘れられなくて祈りと願いだけを受け継いできた
ラステルはセリムを見つめた。タリア川を思い出す優しい青色なのに若草が揺れている。この色は親愛の証。ラステルの瞳がセリムに映っている。
「ラステル?」
想いが巡ってくるまで待ってた
また歌ってくれるのだ
また祈りが響いてきた。セリムは気がつかないのだろうか。家族の祝いと喜び、そしてラステルの歓喜と幸福。どうしたら伝わるのだろうか。
「沢山抱きしめて。お願い……」
巡り巡る
ラステルがセリムを愛する気持ちが、セリムがラステルを愛する気持ちが何処かへと続いていく。セリムの家族、セリムの友達、セリムの崖の国の人々へと巡っていく。巡っていっていた。短い時間なのにひしひしと感じた。
セリムを大切にして幸せにすれば今日みたいに皆が笑ってくれる。そうすればラステルも笑う。そうやって巡っていく。
そして返ってくる。
こんな人に出会えて愛されて何て幸せなのだろう。ラステルはセリムに抱きしめられながら幸福に酔いしれた。
***
金色の巻き毛の女性。綺麗に巻かれた艶やかな髪。闇夜にはもう流星は見当たらない。濃く深い紫の不気味な雲。一粒の星も見えない。
「行かないで」
白衣を着た人物の背中。懇願したのに遠ざかってしまう。
「待って!嫌よ!」
蟲に囲まれて動けない。行かせてもらえない。置いていかれる。
置いていかれた。
あの人は忘れてしまった。
***
目を覚ますとセリムがラステルの髪をすくって指で撫でていた。
「逆ね。私いつもは胸がドキドキして眠れないの」
体が重たくて寝たままセリムを見上げた。もう獰猛な獣はどこかに消えてしまったらしくセリムの微笑みはいつもの優しさで溢れていた。どっちも好きだなとラステルは自然と笑った。
「うとうとしてたみたいだけどあまり時間は経ってないよ」
セリムの指がラステルの頬に触れたのでくすぐったかった。それから顔が近寄ってきた。また熱を帯びたような目をしている。ラステルは力が入らない体を頑張って起こした。
「ダメよセリム。またあんな風にされたら私動けないわ……」
何も着ていないことを思い出して足元でぐしゃぐしゃに丸まってる布団を引っ張りあげた。
「あんな風?どんな?」
セリムがラステルの肩を抱いて耳元で囁いた。揶揄う低い声に悶えそうだ。
「もうっ……意地悪しないで……」
セリムから少し離れて睨んでみた。愉快そうに笑っているだけだった。
「可愛いな。また
意外にもセリムは引き下がった。押したり引いたりラステルが思った時といつも違うのでビックリしてしまう。鼻歌混じりでセリムは隣室に消えていった。拗ねていた、不機嫌そうだったのはもう吹き飛んだようだ。
「変なの……」
男の人って変だ。この謎は誰に聞いたら教えてくれるのだろう。セリムがいないうちにラステルは急いで身支度を整えることにした。服を着てクローゼットの内扉の鏡の前に立った。ボサボサ頭。ケチャが綺麗にしてくれた薄化粧もはげている。
「これを可愛いってセリムって本当に変ね。変な人」
「僕が何だって?」
振り返るとセリムがアピを抱えて立っていた。ブーンとアビがラステルの頭の上に乗った。心なしかセリムが照れ臭そうにしている。
「あら起きたのアピ君」
今度はラステルの胸元にアピが張り付いた。それから前脚でラステルの頬をさわさわと撫でた。今度はハッキリとセリムが頬を赤らめて照れ臭いという顔付きになった。
「セリム?」
「いや、何でもない。髪は僕が
手を引かれた時に扉がノックされた。
「セリム!ラステルはいるかしら?」
ケチャの声だった。セリムがラステルから離れて扉を開けた。セリムが大きく扉を開いたのでケチャと目が合った。一瞬ケチャがアピを見て顔を強張らせたが彼女はアピを無視した。
「あら良かった。そろそろ身支度を始めますよ」
「もう?早くないですか姉上?」
セリムの問いにケチャが大きく首を横に振った。
「女の支度は時間がかかるんですよ。いつものようにお前は勝手にしなさいと言いたいですが城爺孝行もしてあげなさいよ」
手招きされたのでラステルはケチャに駆け寄った。アピがセリムの頭の上に移動した。
「行ってきます!」
「君の艶姿を楽しみにしてるよ」
セリムがにこやかに笑ったのでケチャが愉快そうに肩を揺らした。
ラステルは「もうっ」とセリムを睨んだ。二人きりの時は良いが人前ではもう少し抑えて欲しい。
***
ケチャの部屋ではなくて衣装部屋というところに通された。部屋には三人の城婆がいて一人はミミだった。良く良く考えてみれば初来国の時は一度も城婆には会わなかった。何故なのだろう?
「初めましてラステルです。今日はよろしくお願いします」
「おやおや今日だけかい?」
カラカラっとミミが笑い声を上げた。
「間違えました!今日からよろしくお願いします!」
今度のミミは満足そうに頷いた。
「ナターシャです。あらあらまあまあ」
「チュナです。ラステル様お召し物が前後ろ逆ですよ」
ラステルは茫然とした。慌てて着たから間違えたのか。こんなの恥ずかしい。
「イジメるとセリムが激怒しますよチュナ。ナターシャくらいにしなさい。おいでラステル」
ケチャがラステルを部屋中央の大きな背もたれのないソファに座らせた。ノックと共に扉が開いて小さな子どもを抱えた婦人が入ってきた。子どもがぐずっている。
「ケチャ様。シャナ様少し熱があるみたいです」
「まあまあ。どれ?本当。アスベル先生に診て貰いましょう」
ケチャが子どもを抱き上げた。二歳くらいだろうか。少し赤らんで弱々しいその子の顔はケチャに良く似ている。だからセリムにも何処と無く似ていた。
「宴で会わせるのを楽しみにしていたのだけど無理そうね。ラステル、私の娘シャナよ。風邪かしら」
ケチャがラステルのところへ戻ってきそうなのでラステルは急いでケチャの側まで行った。
「あらあら。そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。少し前までアスベル先生不在で心配でしたけどきっと健やかに育つわ」
ケチャが愛おしそうにシャナの頭を撫でた。ラステルも労ってあげたかったが
「子どもは苦手?」
ケチャは嫌な顔一つしなかった。
「いえ。あの、幼い子は触るなと言われています」
「そう」
ケチャがラステルにそうっとだがシャナを押し付けた。思わず抱きしめた。小さくて柔らかくて温かい。
「良かったわねシャナ。貴方の叔母よ。綺麗な人ね」
ケチャがとても優しい眼差しでシャナの頬を指でつついた。
「会えて嬉しいわシャナちゃん。私ラステルって言うの。早く元気になってね。いつか一緒に遊びましょう」
思い切ってぎゅっと抱きしめてからシャナをケチャに返した。それからそっとシャナの頭を撫でた。強く押したら潰れてしまいそうな程小さくて柔らかい。
「少し待っててちょうだい。アスベル先生にお願いしてきますから」
「あの私一人でも、城婆様達もいますし身支度……」
「ダメですよ!シャナとは毎日一緒にいられますがラステルとはもう時間が少ないですからね。あと城婆に様はいりません」
ケチャがラステルの肩を掌で押した。それからシャナを連れてきた婦人と去っていった。
「ボサッとしてないでお戻りくださいラステル様!先に始めないと間に合いませんから!」
ナターシャに怒鳴られてラステルはソファへと戻った。まだシャナの柔らかさが腕に残っている。いつも蟲森で抱っこしていた
「どうしました?」
チュナがラステルを覗き込んだ。ミミよりも背が曲がっている。しかし皺だらけの顔は血色が良くて元気そうだ。
「あの、いえ。私もあんな風にお母さんになれるのかなって」
城婆三人が揃って大笑いしだした。
「惚けたセリム様ならすぐかもしれませんよ!国中大騒ぎで大祝いでしょう。楽しみにしてますからね」
バンバンと肩を叩かれてラステルは泣きそうになった。
ラステルもクイやケチャのようにお母さんになって愛情たっぷりに自分の子を育てたい。セリムの子だ。きっとセリムに似た子が産まれる。元気でやんちゃな男の子か、お転婆で危なっかしい女の子。ラステルの新しい宝物になる。セリム以上の宝物かもしれない。
--僕は強欲だからね。いくらあっても満足しない貧乏人。苦労をかけると思うよ
ラステルもセリムに似合いの妻だ。一緒に苦労してもらおう。だってラステルはちっとも苦じゃない。セリムがいれば千人力だ。きっと逆もそうだろう。
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