大雨の中で決意表明

 荒れ狂う海を傘をさして眺めていると、これから先の行く末に不安を覚える。セリムが眺める海上のとぐろを巻く黒い風の道、それはラステルが作った蟲の渦と同じだ。雨風は破壊だけでなく恵みをもたらし命を育む。一見世界破滅の啓示に見えた蟲の渦は憎しみに抗う美しさを秘めていた。


 大自然と同じで決して消えない感情という名の猛威。上手く付き合い、折り合いをつけて視点を変えていくしかない。


「セリム何ぼーっとしてるんだよ!もう十分だろ!」


 寒い辛いとパズーが箱一杯の珊瑚と貝殻を指差した。三つ子と約束したから浜辺へ行くと言ったらパズーがついてきた。ラステルも猛追しようとしたが大鷲凧オルゴーは二人乗りだと突っぱねた。それからクイに渡して城塔に閉じ込めた。このまま出立してしまいたい。


「あのさあ」


 珍しくパズーが腰に手を当ててセリムの眼前に仁王立ちした。


「どうせこのまま嵐に紛れて出発しようとか考えてるんだろ」


「見透かされてるって訳だ。敵わないよパズーには」


 パズーがセリムを蹴り上げようとしたので避けた。ティダの蹴り方に似ていた。


「てんで鍛えてなかったお前なんかじゃ僕には一発も当てられないよ」


 セリムは悔しそうなパズーを見据えた。


「……。セリムはいつも僕をいい奴だとか何だかんだ持ち上げてきた。おかげで酷い侮辱を受け続けてきた。何度も離れようとしたのに付きまといやがって」


 パズーは度々セリムを睨むが今回は種類が違いそうだった。本気だ。そして有難いことに畏敬を感じる。


「そんなに嫌だったのに気がつかなかったのはすまない。僕は君に好かれていると勘違いしていたのか?違うと思ってるけど」


「その顔!その目!卑怯な奴だよお前は。自分は絶対愛されて当然みたいな顔してる。自信満々の崖より高い鼻をした天狗男」


 そんなことはない。帰国してから木っ端微塵に砕かれた自尊心。最後の一撃、それも一番大きな弾丸はパズーだった。だから苛立ちが湧いた。怒ったら負け、それが大敗だと分かっていても腹が立つ。怒りを抑制できないとバラバラの自尊心が粉々の砂になってしまう。自分にそう言い聞かせた。


「王子で優しくて、強くて、誰からも好かれて、努力家でさ。パズーなんかが後ろをつきまとってみっともない。なのにセリム、お前は僕を持ち上げ続けた。どれ程惨めだったか分かるか?」


 セリムの怒りは萎んでいった。そんな文句パズーは一度も言わなかった。突風が頬を殴った。


 やんわりとパズーがセリムを拒否した事はある。数回ではない。もっと多い。でも信じなかった。


 に構うなと言われたことがあった。


 理由が分からなくて何だかんだ一緒に居てくれるから甘えていた。


「すま……」


「謝るな!何も悪くない。セリムは僕より先に僕の誇りを見つけてくれただけだ。長年いじけてたのはセリム、お前のことを信じなかったからだ。それから僕はセリムを過信しすぎてた」


 セリムはクイとの会話を思い出した。"セリムが認めてくれるのが信じられない。しかしセリムが言うなら間違いないだろう"それがパズーやラステルの考え方らしい。納得はしてもちっとも理解出来ない。何だそれ、セリムはそんな崇高な人間ではない。


「僕はそんな大層な人間じゃないよ。パズーもいつも文句を言ってただろう?」


「言ったさ。それでも信頼が強過ぎた。でも今回のあの訳の分からないぐしゃぐしゃな戦で身に染みた」


 横殴りの雨風がさらに激しくなった。雷も近そうだ。帰るなら早い方が良いが今はその時ではない。


「僕が情け無い男だって?僕を庇護するなんて屈辱は予想外だった。横を並んで飛ぶんだと思っていたのに」


「そうじゃない!屈辱って何だよ!だからセリムは大馬鹿野郎なんだ!」


 暗くて光の刺さない砂の上、雨雲の下、それなのにパズーが光って見えた。遠くに雷が落ちただけだ。それがパズーに対する賛辞のように感じる。


「その目だよ!本当に厄介な奴だな!おかげで家族にお前の世話役をするって口走っちまった。テトを迎えに行こうかと迷ってたのに!ラステルといい夫婦揃って僕にそんな目を送るなよ!」


 クイと話をしていなかったら今よりもっとパズーを理解出来なかっただろう。「そんな事は無い。パズーがそういう偉大な男だったからだ」と言い返していたに違いない。下手すると笑い飛ばしてた。愚かな過去の自分に寒気がする。


「これが僕さ。気をつけたいけれどそういう風に育てられた。人を見る目を養いこの国の誰よりも偉大で誇り高くあれ。それが崖の国レストニア王族。いくら貧乏小国っていっても泥団子を投げつけられて追放されたくないんだ。人より、本人よりも相手の素晴らしい所を見つけられるのは僕の特技だ」


 あれっ?とパズーが首を傾げた。


「君が奮い立ちようやく芽を出したのと同じで、僕も蹴飛ばされて視界が広がったのさ。過去のパズーへの仕打ち、悪いと思わないから謝らない。だってやっぱり僕は正しかった!お前は僕に相応しい友だっただろう!」


 眉間に皺を寄せてパズーが唇を噛んだ。


「そうだ!だけど間違ってる。アシタカはちょっと気がついた。セリムとティダ、お前達は間違えだらけの大馬鹿野郎だ。ラステルは別の変な馬鹿野郎」


 いつもなら目をつむって叫ぶだろうに、パズーはセリムを見据えたまま吠えた。パズーはセリムに何を指摘したいのだろう。


「今度は分からないみたいだな」


 再び雷が落ちた。いつもなら悲鳴を上げるパズーがピクリとも反応しなかった。


「ああ。是非教えてくれ」


 両足を開いて踏ん張るように立っていたパズーの体から力が抜けた。


「全然練習にならないじゃないか。本当に素直だよな、お前は」


「練習?」


 余計に混乱した。


「いつか高慢ちきな大狼の横っ面を叩いてやろうと思ったんだよ。その地位をくれるっていうから飛び切り強いビンタを用意するんだ」


 そういえばティダがそんな事を言っていた。


--お前はこれから俺についてこい。俺を叩ける地位をやろう


 セリムにティダは計りかねるがアシタカを叩いて目を覚まさせた男を側に置いて絶対に自分は叩かせない。俺はそんな男ではない。パズーを認め、ついでにアシタカを下に位置づけて自分を頂点に置いた。そういう事な気がする。


「過信でなくて本当に力がある男でも一度に沢山は守れない。手から溢れる。セリム、お前が誰よりも偉大になろうが成長しようが一人で頑張ろうとする道がそもそも間違いだ」


 パズーがニッと笑って自分を示した。


「今までは無自覚だったみたいだからこれからは自覚しろ。セリム、お前は一人でも多くの人を鼓舞して導くんだ。それがお前が行く道だ。レストニア王族はその為に厳しく育てられたんだ。お前が欲しいものはセリム、お前が作るんだ。守るんじゃない、皆で手を取り合って築き上げる。足りないところは誰かが補わないとダメなんだよ。一人や二人じゃ全然間に合わない」


 目から鱗だった。言われてみれば当たり前なのにそんな考えは全くなかった。雨が遠ざかっている気配がする。波も段々穏やかになっていた。


「それでさ、セリムが言っても自分なんかって奴は多いだろうから代わりに僕がぶっとばす。王子じゃない、田舎の貧乏小国の貧弱で弱虫男。僕に出来たのにお前には出来ないのか?ってね。ティダなんてその典型だ。僕はあいつを手懐けられる自信があるよ。だってお前と似てる。僕はセリムに大親友って呼ばれる男だ」


 やっぱりお前は凄い奴じゃないか。セリムのその気持ちを見透かすようにパズーが吐きそうな真似をした。


「それだよその目。この人誑ひとたらし。無自覚なのが怖いよ。同じ国で半分くらいは一緒に過ごしたのに何なんだよ王族って。そう思ってたけどアシタカを知ったから分かる。お前が変なんだ。セリム・レストニア。そしてその家族、我らが崖の国の民の気高い大鷲オルゴー一家。さすが誇りの名を持つ一族だよ」


 笑わずにはいられなかった。また変だと言われた。そしてパズーがアシタカを過小評価するとは思ってなかった。セリム以上にアシタカと過ごして何を見たのだろうか。セリムが知るアシタカ像とは随分違う。


「言っておくけどアシタカはアシタカで変だからな。セリムに雰囲気は似てるし目指すものも同じだけど、アシタカは僕に近い人種。アシタカは生まれ持って背負わされたものが大きすぎるんだ。セリムは小さい国だったから違いが出ただけ。お前はどっちかというとティダ」


 目線が変わるとこうも人の評価は変わるのかと好奇心が湧いてきた。自国だと付き合いも長くあえて確認したりしない。あいつはこういう奴という雰囲気が大体出来上がっている。噂も時に捻じ曲げられて伝わる。閉鎖的だから起こる弊害。パズーへの不当な評価もその一つかもしれない。


「何当たり前の事で感心してるんだよ。お前は人の良いところばっかり見つけるから正当評価が出来ないの。おまけにお前はそんな奴じゃないって変えちまう」


 こんなに褒められるとは思っていなかったのでセリムは苦笑した。


「違うからな!褒めてるんじゃない。気をつけろって事だ。セリムの欠点でもあるんだぜ。分かんないのかな?意外に鈍感っていうか馬鹿だよな」


「何で貶されるんだよ。そんな正反対の事言われても分からないよ。大体何で僕がティダと同じなんだ。僕はあんなに激しい男じゃない。それに何なんだよ!ラステルをぞんざいに扱いやがって」


 パズーから聞かされた話を思い出したらムカムカしてきた。一発ぐらい殴ってやりたいが、ティダは黙って受け入れそうだから腹の虫はおさまらないだろう。


「それだよ。信頼してた男の裏の顔!あれだけの男だって八つ当たりするし間違える。ほいほいほいほい信じるなって話。アシタカも女たらしらしい。セリムには無理そうだけど心の片隅に置いておけ」


「八つ当たり?女たらし?」


 肩を竦めてパズーが唇をめくった。


「アシタカのはよく知らない。ティダのは本人から聞いた。何か違うって怒ってたけど。一番の自分をラステルが否定したから傷ついて腹を立てた。お前の鼻が崖ならティダの鼻はメルテ山脈の頂上だな。なんかさ、いっそラステルのこと気に入り過ぎてるんじゃないかって気もしてる」


 思いがけない発言にセリムは「は?」と間抜けな声を出した。


「何か好きな女の子を虐める子供みたいにも見えるんだよ。言ったらぶん殴られるから絶対言わないけど。っていうかセリムは僕にヤキモチを焼くよりティダに気をつけろよ。俺になびかねえ女は居ない。掻っ攫う。あれって虚勢じゃないぜ。ラステルはティダに尻尾振って懐いてる」


 忠告に目眩がしてきた。次にティダとラステルが一緒にいる所を見たら頭がおかしくなるかもしれない。冷静に観察出来るだろうか。


「まあティダの本心は知らないけどね。それにラステルはセリムしか見えてないし余所見もしないよ。セリムの変な所も欠点も何もかも好きみたいだ。むしろ悪い方が好きみたいだ。変な子だよな」


 考えてもいなかった事ばかりで頭痛がしてきた。確かにラステルは蟲なのに受け入れる変なセリムが好きなのは自覚している。欠点や悪い方ってなんだ。すぐ惚けて情けないところか?直動的ですぐに行動して間違えるところ?訳が分からない。この件はラステルに聞くしかないので一旦放棄することにした。話題を変えよう。


「テトを迎えに行かないのか?パズーはとっくにその資格がある。昔からだけどな。自分でやっと気がついたみたいだから、胸を張って行けよ」


 虚を突かれたという驚いた顔をしてから、パズーは照れ臭そうに首を横に振った。


「弱虫な僕に豪胆なテトが居ないと困ると思ってたけど、もう違う。ラステルのように困難だろうが嵐だろうが同じ道を歩んでくれる女が良い。明日、それを伝えるよ。寂しくて辛くて待てないっていうなら他の男と幸せになれば良い。僕とよりも幸福にはなれないって後で気づいて悔しがるだろう。でも遅い。僕は別の誉れ高い女と幸せになってる」


 セリムの親友という立場がずっと重荷だったと言われたが、逆もそうだった。パズーを見習って謙虚になれ、人の表情や仕草を良く見ているから見習え。威張るよりも態度で示せ。そしてセリムは知っている。皆がパズーは自信がないと言うが心の中にやってやる、いつか出来るというみなぎる力が潜んでいたことを。それを自信と呼ぶのだ。近くにいないと分からないだけ。本人が気づいてなかっただけ。


「女心はてんで分からないから何にも言えないや。パズー、ラステルってもう姉上達に気に入られたんだ。クワトロ兄さんみたいにぺしゃんこに潰されそうなんだけど、どう回避するべきだと思う?」


 パズーが身震いした。


「知らないよ!独身に聞くな!それにいい加減帰ろう。なんでこんな雨の中ずっと立ち話しないといけないんだ!」


「お前が話し始めたんだろ⁈」


「セリムが海を眺めて帰らないから!」


 顔を突き合わせて睨み合うとパズーがセリムを蹴ろうとした。サッと避ける。


「さっさと鍛えるんだな」


「はいはい。凡人平民は励みますよー。スタートが遅い分がんばりまーす」


 わざとらしく拗ねる真似をしながらパズーは箱を運んで大鷲凧オルゴーに結びつけた。セリムが集めた分も重ねて縛り付けた。さっさと乗ってエンジンを使って浮上した。


「結局びしょ濡れで風邪引くって怒られるな!」


 好きではないが風に乗らずに風を切って帰ることにした。轟々と風が音を立てて通り過ぎる。


「良いじゃないか可愛い新妻が甲斐甲斐しく世話してくれるぜ。頭から足の先まで拭いてくれそう」


 想像するとワクワクしたがパズーの台詞に嫌な予感がした。レストニア城塔の屋上に舞い降り箱を運んで屋内に入ると階段にラステルが座って待っていた。手にタオルを持っている。ほらなとパズーがセリムの腕を羨ましそうに肘で小突いた。


「遅かったわね!これですぐに拭いてね。早く移動しましょう。風邪をひくわ」


 ラステルは真っ先にセリムの頭にタオルをかけた。それからパズーの頭を拭きはじめた。


 


 唖然としていたパズーがセリムの顔を見てクククっと震えながら笑いを堪えている。


「ほらボサッとしていないで行きましょう。宴の前に体を温めないと!」


 早く早くとラステルに急かされながら階段を下った。その間ずっとパズーは愉快そうに笑っていた。

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