子離れ母と愛され王子の苦難
セリムは正座して延々とクイの説教に耳を傾けた。どれもこれも耳が痛い。
「ラステルは僕の身に余る妻です。今回は離れてしまったから危険に晒した。二度と側から離れずに必ず守り通してみせます。僕の
セリムがグッと胸を張ってクイを見上げるとクイは頭が痛いというように額に手を当てた。
「私が悪かったわ。もう少し聡い子かと思っていたけれど、そうですよね。貴方の思考ではラステルを汲み取れないのはまあ当然よね」
大きくため息をつかれてセリムは動揺した。クイがセリムの腕を引いたので立ち上がった。椅子に誘導されたので素直に従った。クイも向かいに椅子を移動させて腰を下ろした。
「姉上、僕がまだまだ未熟者なのは理解しています。叱責も至極当然。しかしラステルがいれば僕は大きく成長出来ます。とても尊い女性です」
般若のようにセリムを罵っていたクイがもう一度「悪かったわ」と告げた。心配そうな眼差しとクイの指摘でセリムはまた落ち込んだ。叱りつけられるよりもこたえた。
「ええ、僕は情けないことに全然支えられていない……」
セリムの手をクイが握って首を横に振った。
「セリム、貴方は良くやったわ。胸を張りなさい。父上や兄上がきっと褒め称えたでしょう。男の仕事と思って任せましたが伝えるべきだった。セリム、この国の誰よりも偉大になってそして良く生きて帰ってきたわ。大切な人をよく守りましたね」
泣きそうなのを堪えるように、溢れそうな涙を零さずにクイが微笑んだ。セリムは感嘆よりも茫然とした。では何故こんなに怒られ罵られたのだ?セリム自身、正当な批難だと思っていた。
「貴方の大怪我は大丈夫なのかしら?元気そうだけど」
「ええ姉上。ペジテ大工房の秘術であっという間に治してもらいました。まだ少し痛みというか痒みますがラステルの怪我の残存よりも全然大したことありません」
嘘をついても心配させるだけだというのは身にしみたのでセリムは服をめくって腹の傷を見せた。もう
「二人とも恐ろしい場所で良く踏ん張りました。パズーもね。パズーがいて良かったわねセリム」
その通りだと首を縦に振るとクイは逆に横に首を振った。
「助けてもらったという意味ではありませんよ。多分貴方が気づかないところでラステルを支えたのはパズーよ」
そんな事はセリムも知っている。ラステルがパズーをとても信頼しているのはその為だろう。
「困った子ね。ラステルはセリムの事を良く理解しているのに貴方ったら」
クイが頬に手を当ててまた溜息をついた。セリムはラステルを誰よりも理解していると自負している。誰よりも彼女の近くにいて秘密を分かち合った。今度は精神的に攻撃されるのか?指摘が間違いなら遠慮なく突っぱねる。
「ラステルはパズーと同じよ」
何の話だ?セリムは思わす首を傾げて癖っ毛を掻いた。
「セリム、あなたは自分が思っているより立派な男に育ちました。私達家族はとても誇らしいわ」
「ありがとうございます姉上。しかし……」
「聞いてなさいセリム。まだまだ未熟だと精進し前を見据えているけれど貴方は自信に溢れているわ。自分の道は自分で切り開き、迷いながらも進む。人よりも早く」
何の話をされるのだろうとセリムは素直に口を閉ざした。改めて言葉にされて自分と向き合うとクイの言う通りだと感じた。空色の瞳から涙は引っ込んでいた。
「でもラステルはそうではないわ。パズーと同じであんまり自分に自信がない。そして良かったわねセリム。二人とも貴方のことが大好きなのよ。だから頑張り過ぎる。嘘もつく」
自信が無い?そんな事はない。二人共威風堂々と事を成した。セリムが不甲斐ないばかりに上手く助けてやれなかったのが悔やまれる。
「セリム、本当に気づいてないのね。呆れた。パズーの事もずっと心配だったけどあれも崖の国の男。根が根だから大成すると思っていましたし、実際今回奮い立った。おそらく自分で足りないものを気づいて自信もついた」
心配だった?パズーは昔から気の良い奴で自信もあった。クイが知らないだけだ。いつも一緒にいたセリムは良く知っている。
「その顔。セリム、貴方は人の良い所を見つけるのが得意ね。それもとても嬉しいわ。でもね、本人よりも先に見つけてしまうから相手が気圧されて気負うのよ」
告げられた言葉を噛み砕いてまとめてみる。セリムが話す前にクイが続けた。
「王の間、セリムの隣でラステルはずっと申し訳なさそうな怯えた顔をしていましたよ」
セリムは絶句した。そんな記憶は無い。
「後夜祭でもそうだった。緊張していて分からなかった?」
舞台から王族と民に祈るようにラステルは震える声で懺悔をした。
--崖の国の民よ。我が傲慢を、独占欲をお許しください
光苔に照らされた
「緊張していたのではなく怯えて?僕はそんなに頼りないですか⁈」
思わず語気が強くなった。
「逆ですよ。皆の大事な王子様。家族。優しくて立派な人。その隣にいるのが自分みたいな化物娘」
「姉上と言えどそのようなっ」
「私ではありません!ラステルですよ!本人がそう思い込んでいるのよ!」
立ち上がったセリムをクイがキツく睨みつけた。セリムは大人しく椅子に腰を下ろした。何故ラステルはそんなに頑ななのだろう。
「果報者ねセリム。彼女それでも貴方の側に居たいのよ。自信はないし自分を恐れている。でも多分貴方のことを好きで大事にするという気持ちだけは自信に溢れているのよ。セリムが褒めてくれる自分の良いところを疑いながら、受け入れられなくても奮い立つ。貴方のために誰よりも立派な者であろうとよ」
セリムのラステルへの気持ちとはまた違う。時折ラステルが儚げで消えてしまいそうなのはこのせいだ。クイがほろりと泣いた。姉であり母、クワトロがドーラを正妻にすると紹介した時不満気で中々打ち解けなかった。自分よりも弟を大切にし愛さないと認めないと言わんばかりに。そのクイをラステルはあっという間に認めさせたということだ。
ドーラも早々に認められていたが気が強すぎるドーラが反抗したから中々打ち解け無かったのを思い出した。
「ありがとうございます姉上。僕はそこまで思い至りませんでした。これからはラステルのそういう性格も良く良く考えます」
何故かまたクイが大きく息を吐いた。
「またそんな惚けた嬉しそうな顔をして。無理ですよセリムには。むしろ貴方が一番傷つけます」
心臓を抉られるような言葉だった。
「セリムはそこまでの男じゃないとも話しましたけどダメねあれ。貴方と同じで盲目。新婚で浮かれてて全然ダメ。セリムのような心が広すぎる男だから受け入れてもらえたって顔に描いてありましたよ。本人も言ってましたしね」
クイが何を伝えたいのか徐々に理解してきた。
「本当は違うのに。昔から妙なものが好きでしたからねセリムは。可愛い上に貴方の大好きな謎が詰まってて、未知の生き物と心通わす。セリムが夢中になった理由は今日の話を聞いて良く分かりましたよ。私達がセリムは大したことないし、他の者だってラステルを受け入れるって教えてあげたいけれど時間が全然足りない。頑固娘よあの子。セリムはつれて行ってしまうんでしょう?ラステルも、あの強情者は夜逃げしてでもついて行くわね」
「僕がきちんと話します。そんなに卑下しなくてもラステルは……」
涙を拭いたクイがまたセリムを睨みつけた。
「貴方のその性格とラステルの貴方への信頼と評価では無理です!おまけにこれからセリムが進む道先々で益々励みますよあの娘は!セリム、貴方が大人しくこの国にいると言っても無駄です。それは本心ではないさあ行こうと我先に貴方の道を照らすでしょう。そうすれば誰よりもセリムが褒めてくれますからね!無自覚なのがまた厄介なのよ!あんな健気な娘を見送るの本当は嫌よ私。せめてもう少し肩の力を抜かせてからにしたいのに」
セリムを睨みながらクイがポロポロと泣き始めた。悲しいだけではなく嬉しい。弟をそこまで想ってくれて嬉しいという気持ちが伝わってくる。それから悔しさ。弟で息子のセリムを奪っていったのが悔しいと言わんばかりに唇を噛んでいる。ドーラを台所へ入れることを認めた時にケチャとセリムの前でこの顔をした。あまり飲めないお酒を飲んで酔っ払ってドーラの文句を言いまくったが、酔い潰れた時にはずっと褒めていた。セリムも胸が詰まった。
「良いですかセリム!こんなに真心込めて好いてくれる娘など滅多にいませんよ!貴方の見てくれや肩書きなど目もくれず、というか概念が無かっただけでしょうけれど。とにかく妙ちくりんで我慢知らず、そんな貴方の壮大過ぎる夢に付き合ってくれる娘は他にいません!ラステルに会えたこと惚れたことを風の神に感謝なさい!」
これではセリムに出来ることは何一つない。セリムではラステルを支えてやらないという事だ。一方セリムは何というくらい幸福な男なのか。
「姉上、困ります。僕が誰よりもラステルを支え幸せにするんです!」
「話していて分かりましたがセリム、貴方は鈍感です。おまけにそんな器用な真似は出来ません。変に繕うと大きな溝となります」
ぐうの音も出なかった。指摘されて頭では理解出来ても未だに飲み込めない。一国を救い、称えられ、何故そんなに怯えるのだ。むしろセリムがラステルの夫ということに不満を持って良いくらいなのに。
「悩みなさい。人を頼りなさい。貴方もラステルもまだまだ子供です。抱え込む必要はありませんからね。正解かは知りませんが私からは三つよセリム」
あまりにも情けなくてセリムは背筋を伸ばせなかったが無理やり背中を真っ直ぐにした。これ以上みっともないのは御免だ。
「はい姉上。ありがたいお言葉どうか不詳の愚息に教えてください」
愚弟と迷ったが愚息にした。セリムを命懸けで産んでこの世に送り出してくれた偉大な母親には悪いが、セリムの母親と言われるとクイを置いて他にはいない。亡くした子の代わりに年の離れた異母弟を赤子の時から育ててくれた。父親よりも厳しくて疎ましかったけれどもこの世で一番目セリムを大切にしているのはクイだ。いやラステルがその座を奪ってしまったらしいけれど。家族が口々に果報者と言う理由がよく分かった。
「余所見をしない!男の浮気も側室も甲斐性ですが貴方はダメよセリム!崖の国の新しい誇りに逃げられては困ります。あの娘は男達だけでなく女達の手本になります」
「当たり前です。元よりそんな気はありません」
セリムはクイの手を握りしめた。もう涙は引いていた。昂然とした態度でセリムを見据える。
「過保護にせず人と交流させなさい。安全な場所ならば貴方の目の届かない場所でですよ。万人に好かれる者はいませんし、万人に嫌われる者もいません。落ち込んでいれば励まし、嬉しそうなら話を聞いてやりなさい。それで充分です」
それは意識しないと難しいなと心に刻んだ。危なっかしくて心配して先回りするのは良くないとは分かっている。これは大変難しいことだ。
「見てないところで心を奪われたりしませんよ。多分ね。セリムにはそれだけの価値がありラステルは一途よ。本当にまあ立派に育ってあんな娘を連れてきてくれて嬉しいわ」
そう言いながらクイはまた悔しそうに唇を噛んだ。裏でドーラやケチャにラステルの文句を言うだろう。
「また姉上達にイジメられても僕は絶対にラステルの味方ですからね」
泣いてしまいそうだったのでセリムは軽口を叩いた。
「まあなんて親不孝者なのかしら。私ごときに屈するようでは貴方と諸外国の方と渡り合えません。精進しなさいとラステルに伝えなさい」
クスリと笑うとクイがセリムの手を握り返した。
「最後に。パズーを引きずってでも連れて行きなさい。引きずらなくても行きそうですが嫌だと言っても連れて行きなさい。ラステルにはそれが一番です。同じ目線で語り、対等に彼女を叱れて、貴方達と共に行っても大丈夫そうなのはパズーです。パズーもより成長するでしょう。テトには悪いですが私は娘の方が可愛いのでしばらく耐えてもらいます」
決めるのはセリムだと言わんばかりにクイはセリムから手を離して拳を握ってセリムの胸をトントンと叩いた。ジークやユパがセリムを鼓舞する仕草の真似だ。クイからされるのは最初で最期だろう。
「良く考えます。勇み足にならぬように思い出します。それからもう少し落ち着いてラステルと向き合います。姉上のご指摘通り僕はずっと浮かれていました」
スッと立ち上がってクイの手を引いて立たせた。それからクイをそっと抱きしめた。背を追い越してから何年経つだろう。小さくなった体に白髪も皺も増えた。
「ラステルは料理の本を貰ったととても喜んでずっと読んでいました。厳しくて構いませんのでこれからもご指導お願いします。イジメは許しませんからね」
真剣過ぎると涙が溢れて男らしくないとぶたれそうなのでまた軽口で誤魔化してしまった。
「こういうところはクワトロに似たわね。夜は帰国祝いの宴です。それまでラステルとゆっくりしてきなさい」
クイがセリムの胸を押して体の向きを変えさせた。それから背中を強く押してくれた。男は背中で語らなければならない。クイが期待する息子、彼女に相応しい息子にはまだまだ遠い。セリムは胸を張って堂々と部屋を出た。
***
大橋の中通路を赤鹿で駆け抜けて、風車塔に着くとラステル達が二階の合同休憩室にいると教えられた。人垣はセリムが通ると道を開けてくれるので歩きやすかった。帰国の歓迎にセリムは手を振り、握手を交わし有難いなと心を温めた。
合同休憩室の入り口前でクワトロとポックルがアンリ長官とダンを連れて行くのに遭遇した。クワトロが口を開く前にポックルがセリムの肩に手を回して腹を軽く殴った。傷が痛んでセリムは少し呻いたがポックルは気がつかなかった。
「おかえりセリム!後で話聞かせろよ!後夜祭の宣誓への俺たちからの返事も受け取らせるからな」
去年、とっとと結婚して崖の国の人気者を止めろと意味不明な抗議の末に海に投げ込まれた事を思い出した。とてつもなく寒かった。自然と顔が歪んだ。
「お前達の望み通り結婚したから今年こそ捧げ物を貰うからな!」
ポックルを軽く突き放そうとした時、クワトロがポックルの首根っこを掴んでセリムから引き剥がした。
「礼節がなっておらんセリム。お客様の前だぞ」
ユパの声真似をしてクワトロがウインクした。しかし目は笑っておらず怖かった。
「取り乱してすみません。我が妻とパズーはどうしました?」
「護衛は十分とのご厚意で自由時間を頂きました。クワトロ王子様とセリム様の友人が我等を案内をして下さるそうです」
ダンが縋るような目をセリムに向けた。
「兄上ありがとうございます。よろしくお願いします」
断る理由など無い。ダンがあからさまに嬉しいと微笑みアンリ長官がそれを見て軽くダンの足を蹴飛ばした。
「折角愛くるしい妹と散策予定だったのにパズーに取られてしまった。しかし代わりに西の百合と……蛇?さあ参りましょうアンリ殿、ダン殿」
華麗に外套を翻してクワトロがアンリ長官の肩に手を回した。アンリ長官の顔が一瞬引きつったが受け入れて歩き出した。蛇呼ばわりのダンは気にしていない様子だった。ポックルもついていった。
合同休憩室へ踏み入れると衛兵数人が立っていてパズーがラステルを抱きしていた。
ドス黒い感情が渦を巻いてパズーを殴り飛ばしてしまいたかったが何か理由がある
と抑えた。注意されたばかりなのにこのくらいのことで激しく動揺したのが情けなくて、しかし嫉妬も嵐のようでセリムはしばらく足を動かせなかった。
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