凱旋帰国した機械技師2
風車塔に入ると凍えそうになりかけてた体がじんわりと温まった。羊毛の肩掛けをしているラステルの唇も少し青くなっていた。大橋を歩く速度が少しのんびり過ぎたかもしれない。
既に入り口には人が溢れかえって熱気と湿気で居心地悪かった。頼まれてもないのに勤め人達はラステルと客人を恭しく拭いて、身支度を整えた。当たり前だがパズーは放置された。
こういう温かさは崖の国の誇りだ。ペジテ大工房は警戒が先に立ち何処に行っても嫌な視線を浴び距離を置かれた。文化の違い、そしてペジテ大工房は大国だからというのもあるだろう。あと今とは状況が正反対。パズーは不安な戦と共に現れたドメキア人そっくりな外国人。仕方ないといえば仕方ない。
「びしょ濡れね。私に傘を傾けてくれていたから肩が冷たかったでしょう?」
ラステルがパズーを甲斐甲斐しく拭いてくれた。群衆が驚愕して息を飲んだのが爽快。ラステルの言葉や挙動がパズーの賞賛に変わるのは楽しい。しかもラステルの本心による評価だというのがまた嬉しい。情けないところを沢山見せたのに、ラステルはそれには目を瞑って良いところを皆に披露してくれる。
「ラステルの為に濡れるなんて光栄だよ。セリムなんて全身びしょ濡れも辞さないさ」
「まさか!それにそんなの私が許さないわ」
冗談だったがセリムなら本当にやるかもしれないと、最後に見たセリムの絶望した横顔が脳裏によぎった。アシタカの世話を押し付けた挙句、テトは蟲森に置き去りだから仕返しのつもりだった。やり過ぎたかもしれないから後で謝ろう。
急に静かになった。何だろうと見渡すと全員ラステルを凝視している。
「ラステル。皆が君の挨拶を待ってる。あと紹介」
パズーがラステルの耳元で囁くとしげしげと観察された。若い男達、とくにパズーの顔見知りは信じられないという表情をしていた。
「突然の来訪に歓迎ありがとうございます。崖の国の王子セリム様の妻の誉れを得られて幸せ者のラステルです。収穫祭ではご迷惑をおかけしました」
反応が無いのでラステルが不安そうにパズーを見上げた。大橋の中通路から先回りした従者が勤め人達に伝達済みだろう。雨の中を歩きたいというのはダンの要望。替えの上着や靴に水気を拭く布と用意周到なのもその為だ。パズーはもう少し話せとラステルの腰をとんとんと叩いた。
「ペジテ大工房から親愛を示しに参りました。崖の国の王子セリム様を連れて行ってしまい申し訳ありません。こちらは護衛のアンリとダンです。大橋を散策させていただいて大変喜んでおりました。ありがとうございます」
心底済まなそうにラステルがぺこりと頭を下げた。この瞬間部屋中が爆発した。
「ラステル様!よくまたいらしてくださいました!」
「早くて驚きました!さすがセリム様!」
「ラステル様温かい飲み物を用意してあります」
わあーっと人がラステルに詰め寄ったのでパズーは立ちはだかった。ラステルが押しつぶされそうだ。セリムとラステルの名前の大合唱。収穫祭で何をしたんだ?揉みくちゃにされてラステルから遠ざかってしまった。ラステルとアンリ長官とダンの三人が合同休憩室がある二階へと連れ去られていく。追いかけようとした時に肩に腕を回されて体重をかけられた。
「ようお帰りパズー!セリムの奴はどうした?」
ポックルがこの野郎と眉間に拳を当てた。
「重いよ!セリムならクイ様の大説教中」
腕を払ってからパズーはポックルの胸を肘で小突いた。
「へえ。駆け落ちしたの怒られてるんだ」
ざっくりとした説明しか受けてないのでポックルから収穫祭の話を聞き出そう。絶対に見ていたはずだ。ペジテ大工房へ行く理由を「ラステル姫への婿入り」ということにしたっていうのは聞いている。それで今回の戦の礼に和平は勿論だが、ラステルはアシタカの妹という地位を与えられた。
「話してくれないんだけどどんなだったんだ?」
思い出し笑いする愉快そうなポックルが羨ましかった。その頃のパズーはアシタカと交代で延々と飛行機を操縦していた。寝るのもトイレも全部空。挙句ティダを誘い出せと命令されパラシュートで異国の地に落下。ティダには足を捻られ爆発にも巻き込まれた。思い出すと酷いなアシタカの奴。パズーに謝礼がない!
「どうしたパズー?」
「いや何でもない。それより収穫祭で何があったんだ?」
体を震わせて笑うポックルの背中を叩いた。
「後夜祭で突然永遠の誓いを立てた。女を連れ歩いてぞっこんデレデレだから皆予想はしてたけど急すぎて呆然としたよ。せいぜい王族揃って婚約紹介かと思ったのに。ラステル姫は泣いて謝罪してるのにセリムは惚けてたぜ。罵声を無視してラステル姫を抱き上げて颯爽と去っていった。まさに駆け落ち。聞けば出征拒否でユパ王とジーク古王は大激怒だっていうじゃないか。まあ後ろ盾連れてくるっていうセリムの提案は無謀だけど一理ある」
予定より早くペジテ大工房へ現れた二人。結果としてそれがペジテ大工房や沢山の兵を救った。下手すると大陸中の人間も。セリムが死んだと勘違いして蟲が激怒したと聞いたが、それがなくても蟲は大暴れだっただろう。ペジテ大工房のドームから現れた兵器も使われたかもしれない。西が焦土になれば遠かれ東もグシャグシャになる。二人に虫の知らせでもあったのだろうか。セリムに詳しく聞いてみよう。やっと余裕が出来た。
「いつも自分勝手な奴だからな」
適当な相槌を打った。それから二階に続く階段の人垣を押しのけながら進んだ。ポックルが手伝いながら話を続けた。
「出会いはまだ知らないけどセリムの奴惚れ込んでお姫様を
セリムの奴やるなとポックルの言葉の端々から伝わってくる。実際その通りだ。あの恐ろしく悲惨な出来事を崖の国は全く知らない。この平和はセリムとラステルが守った。守られたことすら知らない幸福。きっとその為に二人と王族は一芝居打ったのだろう。
「大変だったんだぞ。あの我儘王子は」
セリムならポックルに多少話をするだろう。いかにラステルが素晴らしいかを伝えるために。パズーはその時までは黙っておこうと思った。ポックルと一緒にセリムを
苦労して階段を登りきっても合同休憩室に入るのは一苦労だった。中はガランとしていた。さすがに衛兵が民衆を諌めたのだろう。
「良かったパズー!あらセリムのお友達のポックルさん。またお会いできて嬉しいわ」
湯気の出るマグカップをテーブルに置いてラステルがとととっと駆け寄ってきた。花を咲せたみたいに笑って小さく手を振る仕草にポックルが鼻の下を伸ばした。セリムと同じでラステルの容姿がドストライクなのだろう。
「ラステルさん!いやラステル様。覚えていてくれて大半光栄です」
大袈裟なくらい優雅に頭を下げてからポックルがラステルの手を取って甲に唇を寄せた。クワトロは風車塔の勤め人の手本である。女たらしと後ろ指刺されるという副作用もあるが概ね役に立つ。ラステルが勢いよく手を引っ込めた。ポックルがポカンとした。
「あらごめんなさい。恥ずかしくてこの国の礼節にまだ慣れないの。お兄様にも許さなかったから次回までに頑張りますね!」
頬を赤らめてラステルが胸の前で拳をグッと握った。またポックルがだらしない顔になった。
「元々可愛いけど前よりも可愛いな。彼女のお姉さんがとてつもない美人で隠れてたけどこうして一人だとよく分かる。セリム狡いぜ」
ポックルがパズーに耳打ちしてからラステルにニコニコと笑みを投げた。ラステルは不安そうにしていた顔を綻ばせた。ラステルは強情だしお転婆で少し思慮が足りないなど欠点もあるが、勇気があって素直で優しいし何より可愛い。なのに何故か物凄く自分を下にみている。多分今も無礼だったから嫌われたかもと怯えてたんだろう。大胆で好き勝手振る舞ったかと思えばビクビク怯える変な娘。
--怖くないの?多分、化物よ私
多分あの言葉が全てだ。故郷の村でそういう扱いを受けて育ち、ラステルも自分を化物と認識している。少しずつ変わっていくといい。セリムと一緒に、崖の国と共に。
「ラステル、セリムに言いつけていいよ。お友達が私をやらしい目で見てましたってね」
パズーの軽口にラステルが垂れ目がちな大きな目を釣り上げた。
「まあ!それはパズーよ!もう一回変なところ触ったらセリムに言いつけるからね!」
体を守るように腕で自分を抱くとラステルがべーっとパズーに舌を見せた。
「あれは不可抗力だろう⁈」
「あはは!分かってるわよ!言ってみただけ。セリムったら変なことで怒るから内緒ね。一緒にお茶を飲みましょう。クワトロ
茶目っ気たっぷりに笑うとラステルは背を向けて席へと戻っていった。
「どこ触ったんだよお前」
嫉妬の火を灯したポックルに睨まれた。
「ラステル結構巨乳。尻も良い」
ラステルが聞いてたら引っ叩かれそうだ。セリムは怒り狂って火を噴く。絶対に秘密にしよう。怖すぎる。
「何だって⁉︎俺もペジテ大工房に行けば良かった!パズーお前なんで許されてるんだよ!内緒ねって可愛いなあ……。ズルイ!ズルイ、ズルイ、ズルイ!セリムの野郎にあんな嫁!俺も欲しい!」
ポックルが地団駄を踏んだ。人生で一番苦労した、というか死にかけた。成り行きでペジテ大工房に連れていかれたけれど、ポックルだったらどうだろう。同じ事をしただろうか?他の誰かなら?多分崖の国の誰でも同じだった。
「僕は運が良いんだ。大災難だったから風の神様からのご褒美さ」
自然と鼻歌が出た。この先またセリムとラステルについて行ったら恐ろしい目に合うだろう。しかしパズーは行く。テトには悪いが二人を放っておくと止める奴がいない。それとティダの野望を知りたい。あの大嘘ばかりついて口から出まかせだらけなのに、極太の自己信念に従う行動はブレない男の背中を見届けたい。そしたらパズーは臆病者を卒業してテトを堂々と迎えに行ける筈だ。
「ご機嫌ねパズー。帰ってこられて嬉しい?」
ラステルの隣の席に座るとアンリ長官とダンが崖の国の茶とお菓子を見つめていた。
「緑茶でしたっけ?あの苦いの。僕はバルフィってお菓子は気に入りました」
ダンが紅茶をグイッと飲んだ。それからクッキーを摘んだ。
「紅茶だ。不思議な匂いだけと」
「私はこの匂いは好きだな」
アンリ長官がポックルへ微笑んだ。ラファエの事を思い出したのだ。異国というかもはや異世界から来訪して見知らぬ飲み物に緊張しながらも口をつけてくれた。今みたいに上手く話が出来れば良かった。また会えるだろうか。テトのお陰できっと汚名返上する機会が出来るだろう。
ポックルがちゃっかりラステルの向かい側に腰を下ろした。パズーの紅茶は無かった。ラステルが飲みかけで悪いけど寒かったでしょう?と差し出してくれた。
「ありがとうラステル。大親友に国を案内出来るのが一番嬉しいんだ」
そこまで言っていいのかと胸がドキドキした。
「私のこと?それならとても嬉しいわ」
若草の瞳を潤ませてラステルははにかんだ。蟲と同じ目の色が真っ赤に変わるのをパズーは何度も見た。赤い目はきっと蟲の仲間の時。でもこの瑞々しい若葉色の瞳の時だろうが蟲色だろうがラステルはラステルだ。気持ちは多分伝わっただろう。
崖の国の誰でもない、パズーじゃないとラステルを受け入れなかった。そう信じよう。二人がペジテへ呼ばれたのが運命ならば、パズーだったのもきっとそうだ。そうやって自信を一つ一つ、つけていく。
「俺も案内しますよ!」
「実はね、少し寒くて疲れてしまったの。アンリ長官とダンをクワトロ
張り切ったポックルが萎れた。ラステルがパズーの腕を引いて耳元に唇を寄せた。
「私がいるとアンリさんもダンさんも羽を伸ばせないでしょう?それに沢山人が集まるしクワトロ
任されたとパズーはラステルの背中を軽く撫でた。
「僕と衛兵たちはここでラステルをもてなそう。クワトロ様と風車塔の風学者ポックルが来賓案内。良かったなポックル。ラステルはクワトロ様に自国のお客様を任せたいほど親愛を寄せている。お前はその隣を任された」
張り付いたような笑顔で頷いたポックルの足がテーブルの下でパズーの脛を蹴った。痛かったので睨むとポックルはとぼけた顔をした。
「可愛い妹よ聞こえたぞ!寂しいが誉だ!さあポックル行くぞ」
クワトロが入り口からこちらへスキップ混じりで向かってきた。それからアンリ長官とダンに会釈した。立ち上がった二人がラステルとパズーに敬礼する。ダンは物凄くウキウキしていた。衛兵が素知らぬ顔をしているポックルの首根っこを掴んで立たせた。ポックルはパズーを睨んだがラステルに微笑まれてデレデレと頷いくとクワトロの隣へ移動した。
今の態度は絶対後で叱責される。クワトロはなんだかんだ崖の国の第ニ王子。礼儀知らずには怒声が飛ぶ。
すぐに離れるのかと思ったらクワトロはパズーを見下ろした。それからパズーの髪をワシワシと撫で回した。
「ドーラから聞いたぞパズー。夜の祝いの宴でお前の席はラステルの隣だ。セリムの反対側。俺の服を着せてやるからな」
いうやいなやクワトロは背を向けて颯爽とアンリ長官とダンを連れて行った。
「聞いたラステル?」
「当たり前じゃない!そうじゃないなら嫌よ私。そんな国のお妃様」
衛兵達がどよめいたがラステルはパズーしか見ていない。セリムの金魚の糞扱い。本当は逆なのにといつも不満だったけれどやっと伝わりそうだ。セリムがパズーにくっついて回ってたってやっと証明される。
「父さんや母さん、それに爺ちゃんが卒倒するよ。崖の国の男として足りなすぎる臆病者がやっとってね!鼻高々だ!ありがとうラステル!」
ラステルがキョトンと目を丸めた。それから不思議そうに顔を傾けた。
「私、何もしていないわ。パズーが……」
言うか迷ったがパズーは立ち上がってラステルに右手を差し出した。
「僕は君が真実を語った時の、とても恐ろしかっただろう瞬間の怯えた顔を忘れない。あの勇気が僕に力をくれたんだ。これからもよろしく」
ぶわっと泣き出したラステルが立ち上がってパズーの手を両手で握りしめた。
「ついでに訂正」
目元の涙を左手でぬぐいながらラステルがパズーを見上げた。まだ握手していた右手が離れそうになったので強く掴んだ。不安そうな表情にパズーはありったけの尊敬を込めて笑顔を向けた。
「セリムが居なくても、テトの友達じゃなくてもラステルは僕が信じる人だ。誰かが何か言ったら僕がぶっ飛ばしてやる。大狼にだって嚙みつけるんだから任せてくれ」
あの日、他の人を理由にしてしかラステルを受け入れる言葉を言えなかった。しかも本心では拒絶していた。ラステルはそれを全部受け止めて、大粒の涙を流しながらも可憐に笑ってくれた。あの日の態度を謝罪するよりも真心からの言葉の方が相応しい筈だ。
「ありがとうパズー。私貴方のこと大好きだわ」
案の定ラステルはとても嬉しそうにしてくれた。予想外だったのはラステルがパズーに抱きついたこと。そしてよろめいて
嫉妬で怒り狂うかと思ったがセリムは覇気が全くない何とも情け無い顔で固まっただけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます