崖の国の新しい妃と三人の姉3

 椅子に座らせられて左右の肩をドーラとケチャに抑えられたラステルはパズー来ないでと祈り続けた。なのに呆気なくセリムがパズーを連れてきた。


「ひぃぃぃぃぃっ!何だよこれ!こんなの聞いてないぞセリム!」


 セリムは微笑んでいるのに恐ろしい雰囲気だから、パズーなら会った瞬間に気がつきそうなのにどうしたというのだ。


「ラステルの正装が可愛いから見に行こうだなんて騙したな!へえ、寝間着だとまた違うね」


 呑気な発言にセリムがパズーを睨みつけた。そんな理由でのこのこ怒りをたたえるセリムについてくるとはパズーの思考回路が分からない。


「パズー。全部聞いたわ。とても素晴らしい働きだったと」


 甘くて優しい声のケチャにパズーが和かに笑って胸を張った。


「クワトロも褒めていた」


 ドーラも続いた。ラステルがパズーを凝視して首を小さく横に振っているのに全然気がつかない。褒め称えられて心底嬉しいのだろう。確かにパズーは大賞賛されるべき男だ。


「それでね、ラステルの怪我のことを聞きたいのよ。ね?」


 ここでパズーの顔にドワッと汗が出て頬が引きつって痙攣けいれんした。ラステルと目が合ったがもう遅い。パズーにピタリとセリムがくっついている。


「まず足ね」


 クイが腕を組んでパズーの横に立つと背が高いパズーを見上げた。セリムが口を開こうとしたがクイに睨みつけられて唇を結んでしまった。


「靴を履いてなくて雪原を少し歩いたんです。その、あちこちに金属片とかあって……」


 ごにょごにょとパズーが言い淀んだ。セリムが目を丸めている。そりゃあそうだ、話をしていない。意識がないときの怪我だろうと言っていたのが仇となった。


「パズーは抱えてくれたんです!私が自分で歩くと聞かなかっただけです!パズーは無理やり運んでくれました!」


 シュナ姫と話す少しの間の話だ。寒さで感覚が無くなっていて気がつかなかった。ティダに足が腐ると指摘されたが多分この怪我のことも案じてくれたのだろう。後は広くしてもらった戦闘機の操縦席もトゲトゲしてたから多分それもだ。


「ではパズー、背中の大きな青痣は?」


 パズーが唇をギュッと噛んだ。クイが目を大きくした。


「ごたついてぶつかったんです。な?ラステル」


 ラステルは大きく首を横に振った。その台詞はもう突破されている。


「あー、正確に言うと身を乗り出して落ちそうなラステルを危ないって諌めたつもりが馬鹿力でやり過ぎた、です」


 ふーんとクイが目を細めてパズーを見つめた。


「誰かしら?女に対してやり過ぎるその間抜けな方は?」


 パズーがラステルを見つめてきたのでうんうんと首を縦に振った。


「間抜けではありません。ティダ皇子という命の恩人です。僕とラステルの大恩人です。ラステルが忠告を聞かずに暴れたんです」


 またクイがふーんとパズーを見上げた。


「黙りなさい!それなら何故ラステルも貴方も嘘をついたの!」


 巨大なクイの怒声にパズーが悲鳴を上げた。


「あいつラステルが嫌いだから!いや、だったから!兜の上からだけど頭を何度も叩くし、白旗代わりに服を剥ぎ取って、背中をわざと小突いて、大狼をけしかけて、あれは痛快だったな。ラステルが気に入られてて悔しそうだった……。そうじゃなくて、あとなんだ?罵りまくった!」


 言い終わってからパズーが「ヤバイ」と小さく呟いた。セリムが即座にパズーの胸ぐらを掴んだ。


「やめて!パズーは全部庇ってくれたわ!心底怖いのに代わりに蹴られても庇ってくれたわ!」


「何で僕にその話をしなかった?パズー?」


 セリムがパズーを下から睨みつけた。


「こうなるからだよ!怖いんだよお前!ラステルのことになると目の色変えやがって!でも触るのも嫌な女の命を二度も助けて、僕も助けて、いなくなったラステルを探して、足の怪我を見かねて担ぎ上げた。だから相殺!しかも僕は全部庇ったのになんで怒られるんだよ!」


 そうよ!とラステルもドーラとケチャの腕を振り切って立ち上がった。


「話したら怒るじゃない!怒ったじゃない!沢山助けてもらったのよ!ヴィトニルさんだって優しかったわ!大嫌いだからぞんざいに扱われただけよ!命の恩人よ!大恩人よ!嫌よ私セリムがティダ皇子に八つ当たりしてぶっ飛ばされるなんて!」


「あの馬鹿力とお前が大喧嘩したら悲惨なことになるだろ!しかも外交も関係あるのに!それにあいつラステルの良いところをちゃんと認めたよ。もう平気だから忘れろ。聞かなかったことにしろ。絶対食ってかかるなよ!」


 セリムは怒りのやり場を無くしたらしくパズーから手を離して呆然と立ち尽くした。これではセリムは頼りないって言っているのと同じだ。それは違うと言いたかったがクイが先に口を開いた。


「セリム!やっぱりね!僕は僕の力で妻を守ります?庇われたら庇い返します?何も出来ていないじゃない!嘘ばかりつかせてなんて恥ずかしい男なのかしら!パズーは把握しているのに何で貴方は何も知らないの!」


 みるみるセリムが青ざめていく。それからラステルを申し訳無さそうに、切なそうに見つめた。


「セリム……あのね……」


「黙りなさいラステル!貴方はもういいわ!どれだけ素晴らしいかも何を成したかもよーく分かりましたからね!それよりもセリム!こんな誉れ高い娘をこのまま連れていくなんて許しませんよ!」


 セリムの前にクイが仁王立ちした。セリムの方が頭一つも背が高いのに小さく見える。


「パズーは本当に良くやったみたいだな。父上と兄上達に報告しておく。夫の優秀な部下を自慢して回らねば。二人とも疲れていなければ街を散策すると良い。皆会いたがっている」


 パズーが感激してラステルを見つめた。ラステルは拒否、と首を振った。セリムをここに置いていくなんて出来ない。


「私の服を着ましょうね。夜までに城婆達が貴方の採寸で素敵な正装を縫ってくれますから。ペジテの衣装と崖の国の衣装両方披露しないと。帰国の祝いをするのよ」


 ケチャがラステルの肩を抱いた。顔に有無を言わせないと描いてある。


「あー、ラステル?行こう。アンリ長官とダンさんを案内するってのはどうかな?」


 パズーがセリムとクイを交互に見てからラステルに告げた。セリムと目線が合うとセリムは大きく頷いた。物凄く落ち込んだ表情をしている。


「でも、セリ……」


「ラステル。姉上と話し合う。お客様の案内を頼んだよ」


 微笑んだセリムの顔はひきつっていた。


「さあ行きますよラステル」


 ケチャがラステルの背中を押した。パズーがラステルの手首を掴んで歩き出した。


「たまには叱られた方がいいんだ。ペジテに戻ったら誰もいないんだから」


 パズーがラステルに耳打ちした。部屋の外に出るとドーラが扉をそっと閉めた。


「クイ姉上は余程ラステルが気に入ったみたいだな。私なんて一月以上かかったのに」


 ドーラがラステルの頭を撫でた。


「あらドーラ姉上は啖呵を切って宣戦布告したせいですよ。口や態度はともかく数日でクイ姉上に気に入られたのに喧嘩を吹っかけたから」


 ケチャが愉快そうに肩を揺らした。


「ではラステル。褒められたことと叱られたことはよくよく反芻はんすうするように。忘れるなよ。クイ姉上の代わりに祝いの準備を仕切らねば」


 ドーラが肩を回しながら去っていった。


「前に来たから私の部屋は分かりますね?支度して待っているからパズーとゆっくりきなさい」


 ケチャがパズーの腕を叩いてから背中を向けて歩き出した。


「あのさ、何があったの?これ」


 扉の向こうからクイの「恥を知りなさい!」という罵倒が聞こえてきた。セリムが怒られているのを立ち聞きするのは気がひけるのでラステルはパズーの手を引いて歩き出した。聞こえないくらいまで廊下を進んでからパズーの手を離した。何故かパズーはぼんやりしていた。


「パズー?」


「あ、いや、何でもない」


 パズーがラステルから目を逸らして視線を彷徨わせているので不思議だった。それから思い至った。寝間着姿というみっともない状態だった。


「みっともない格好でごめんなさい。早く着替えてくるわ」


 勢いよく首を横に振るとパズーが頬を赤らめながら歯を見せて笑った。


「後でセリムをからかってやる。あいつラステルの寝間着姿を見たってだけでヤキモチ妬くぜ。さっきもだったし」


 突然妙なことを言うものだとラステルは首を傾けた。パズーも不思議そうに首を斜めにした。


「そんなことより何があったの?」


 問われてラステルは勢いよく喋った。怖くて怖くて仕方なかったからパズーに共有してもらいたかった。物凄く褒められたこと。それから鬼のような三人の姉に叱責され何故か問い詰められたこと。そしてどうしてだかセリムが呼ばれたこと。


「何故か?そんなの単純じゃないか。ラステルって時々変だよな」


 顔をしかめたパズーにラステルは困惑した。変な女だとは自覚しているが、単純な事も理解出来ないというのは悲しかった。


「ラステルを凄く気に入って心底心配してる。君が頑張り屋で謙虚だから問い詰めたんだろ。セリムが呼ばれたのは君の性格とか色々伝えるつもりなんだろうな。見惚れたり鼻の下を伸ばしてないでちゃんとラステルを見ろってね。僕もラステルはもう少し誰かを、僕とか頼った方がいいと思うしセリムは熱を下げろよって思うよ」


 ニコリと笑ったパズーをラステルはしげしげと眺めた。パズーの台詞は三人の義姉達がラステルに言ってくれた事と矛盾しない。そしてパズーがこんなにラステルのことを考えてくれていたなんて知らなかった。


「ほんとラステルって変だよな。あのティダを手懐けた女が崖の国で好かれない訳ないだろ。特にセリムなんてラステルに捨てられたらそんな男は大恥だって死ぬな」


 あっけらかんとしているパズーが信じられなかった。


「そんな!私そんなんじゃ!」


「人の価値を決めるのは他人だよ。それにしても良かった。ティダと話をしておいて。あいつラステルに粗暴な扱いし過ぎて引っ込みつかなかったみたいだからさ」


 そんなことをしてくれていたのかとラステルはビックリした。パズーのティダに対する評価にも驚きしかない。ティダにそんな素振りあったっけ?


「偽りの庭で話したの?あの人とても悲しそうな顔をしていたけど」


「そうそう。悲しそうなのは別の話。というか僕にも良く分からない。あいつこそ真に変な奴だよ。ラステルなんて百倍普通。なあラステル、ティダって絶対友達いないよな」


 勝ち誇ったようなパズーの顔付きがおかしくてラステルは吹き出した。


「あらヴィトニルさんがいるわ。きっと他の大狼もよ」


「あいつこそ中身は獣。変身とかしたらどうしよう。手がつけられないよ」


 げえっと声を出してパズーがうな垂れた。ふと思った。ティダに人間の友達がいるとして、その一人はパズーだ。無意識なのか自覚してなのかティダの周りをうろつき怖いとか言いながらティダを対等に扱っている。パズーがセリムの親友で、セリムがパズーを好きな理由をラステルは改めて感じた。


「ありがとう。明日テトに会えたらうんっとパズーの功績を伝えないと!それに街を歩きながら皆に言うわ!」


「それを期待していたよラステル!さあ行こう。可愛い女を、それもセリムの女をあいつの代わりに連れて歩けるなんて夢みたいだ」


 わざとらしくパズーがラステルに手を差し出した。ラステルはその手を払った。


「その手はテトにとっておきなさい。絶対喜ぶから」


 あからさまにガッカリしていたパズーが照れ笑いした。

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