崖の国の新しい妃と三人の姉2

 こんなに怖いのは初めてだ。グルド兵に連れて行かれた時も心底怖くて堪らなかったが味方だと思った人の突然の豹変の方が衝撃的で予想外な分恐ろしい。


「こんなに傷だらけなのに許す訳無いでしょう?」


 ラステルはクイから目線を逸らしてケチャとドーラを交互に見た。二人はそんなに反対じゃなさそうな様子だがクイを顎で示してからラステルに向かって首を大きく横に振った。


「お、王の間では許してくださいました」


 毅然きぜんとした態度を取ろうと思ったが声が震えた。


「その体を見る前までです!何ですか狼が間違えて蹴ったとは⁈そもそも狼は人を蹴るのではなく噛みつくのよ!この嘘つき娘!」


 助けてくれないようだがラステルは再びドーラとケチャを見つめた。クイの迫力に気圧されてクイを直視出来ない。


「無駄ですよ!レストニア王族の女で一番偉いのは私です!さあ、きちんとこちらを見なさいラステル!」


 ひいっっとラステルは立ち上がった。今の自分はパズーに似ているなとラステルは少し落ち着いた。そうだ、パズーを見習おう。蟲の群れにラステルを迎えに来てくれて、怖いのにラステルの為にティダに食ってかかってくれたパズー。臆病なのに勇気を出せる男。


「嘘ではありません!大狼兵士という屈強な戦士に間違いで蹴られのです。戦闘機の操縦席が狭くてぶつかっただけです。私とパズーの命の恩人でとても優しい方です。言葉足らずでした、すみません……」


 威勢良く話し始めたがクイの威圧感が強すぎて段々と語尾が小さくなっていった。


「誰ですか?その大狼兵士というのは」


「あの、ティダ皇子です。セリムが話した……」


 ふーんとクイが意味深に頷いた。


戦闘機に乗っていたのよ!」


 まるで雷みたいだ。あと蟲森の爆発する苔。嘘つき娘と罵られたからこれ以上嘘をつきたくない。でも何処まで話すのが正解なのかラステルには判断出来ない。セリムにもう少し口を堅くと注意されたばかりだ。


「む、蟲が私が危ないからと連れて行って……」


 覚えていないがパズーがそう言っていた。クイの目がそれで?と促している。


「パズーが迎えに来てくれました。自分達がいるから大丈夫だって」


 そうだっけ?ラステルの記憶が無いから分からない。パズーがそう言っていた。セリムもだ。アシタカもそう言っていたから本当の筈だ。


「そんな話は聞いてませんよ!それで戦闘機⁈セリムは何をしていたのよ!」


 また爆発苔だとラステルは身を縮めた。怖い、怖すぎる。セリムそっくりで温和だと思っていたのに王の間でも思ったが全然違う。


「セリムは大怪我をしていて。代わりにパズーが……。誰かに、多分グルド兵?に撃たれてパズーの飛行機が墜落して……」


 そうだ。ちっとも平気じゃない。また同じことがあるかもしれない。今回は運が良かっただけだ。たまたまティダが気がついて助けてくれただけ。それに思い至ってラステルはぞわぞわと身の毛がよだった。あの時蟲はラステルを助けてくれなかった。蟲よりも人を選んだから?あそこに集まっていた蟲はホルフルの家族では無かった?


「それで?」


 クイが少し軟化していた。どうしてだろう?


「パズーを掴んで一緒に落下して。それで助けて貰ったんです。高いところから落ちて戦闘機で助けてもらいました。二人乗りで狭いからティダ皇子が操縦席を広くしてくれて足元に入れてくれました。それで膝がぶつかりました!」


 我ながら上手く説明した。初めに話した事と矛盾してない。


「何を嬉しそうな顔をしているのですか!セリムが大怪我をしていた?一体どこまで身を粉にして頑張ってきたのよ二人とも!」


「平和を祈って無事でしただなんてよくもそんな大嘘ついたわね!」


 ケチャが加わり爆弾丸苔が二つに増えた。セリムが器用に危険だった事や死にかけたのをなるべく話さなかった。ラステルもそれが正しいと思っていた。ケチャの怒った顔はセリムがペジテ大工房の壁画を見た時の嫌悪を想起させたので嫌だ。目を背けるとドーラが挑発的にラステルを見下ろしていた。こっちもクイとは違う恐ろしさ。逃げ場がない。


「全部白状しろ!」


 ドーラの一言で部屋が歪むかと思った。三人に囲まれて睨みつけられてラステルは知っていることと自覚している事は洗いざらい吐いた。


***


 ラステルはいつの間にか床に腰を下ろして膝を抱えていた。グルド兵から逃げてセリムと大蜂蟲アピスの子が助けてくれたのを話終えると三人を順番に見た。三人共もう怒っていなかった。いや怒っているのだが種類が違う気がする。つり上がっていた眉毛は下がりブスッとしていた。三人とも美人なのに台無しだ。


「なんて恐ろしい目にあっていたの?」


 悲しそうなクイの声にラステルは顔を上げた。


「でも無事でした。ピンピンしてます!」


 本当のことなのにキッとクイに睨まれた。


ですって⁈」


 クイの今日一番の怒りにラステルは首をすくめた。こんなに怒って悲しませるならテコでも口を割るんじゃなかった。


「呆れた。顔に描いてあるわよラステル。話さない方が良かったってね。全然分かってないわね!」


 ケチャも今日の中で一番大きな怒声を上げた。終わった話でここまで怒られても困る。ラステルはだんだんと腹が立ってきた。そりゃあ悪かったけれどセリムは家族に余計な心配をかけたくなかっただけだ。そしてラステルも同じだと考えてくれた。実際同じだ。白状してから気がつくという大間抜けだけれども。


「そもそもセリムだな。私が連れてきますクイ姉上」


 ドーラは笑みを浮かべているのに冷え冷えとしていて恐ろしさしかない。セリムも説教されるのかと思ったが助け舟だ。見透かされたのかクイに細目で見下ろされた。さっきまでとは別の種類の恐ろしさをたたえている。それが何かははっきりと言葉にならないが、何か違う。


 トントンと扉を叩く音がした。


「ちょうど良く来たかもね。どうぞ」


 クイの「どうぞ」はとても優しい響きだった。開いた扉からセリムの顔が現れた。それからラステルと目が合った。


「姉上方、何をしているのです!」


 ズカズカと部屋に入ってくるとセリムが吠えた。ラステルを立ち上がらせて後ろから抱きしめてくれた。振り向いて見上げるとペジテ大工房の壁画を見て全身から怒りを発していた時よりも激昂している。姉達の前で抱きしめられて恥ずかしいとかみっともないよりも、セリムが怖くてラステルは固まった。


「仲良くしてくれるのかと思っていたのに何ですかこれは!釈明は聞きますが事によってはラステルに二度と近寄らせないからな!」


 大きくはないのに低くて唸るような声。ここまで怒っているセリムを見たら妙に冷静になった。クイそっくりだ。セリムはラステルが思っている以上にラステルが大事かもしれない。それがものすごく嬉しい。


「何をしているはこっちの台詞です!セリム!こんな怪我ばかりさせて黙っていたわね!しかも貴方、大怪我したそうね!」


 クイがセリムの腕からラステルを引き剥がして寝巻きをめくった。裾の長いワンピースをたくし上げられたからみっともない下着姿で背中と足をセリムに突きつけられた。ラステルはバッとクイの手を寝間着から離させた。セリムが赤い顔でラステルの目を見た瞬間にドーラが一歩前に出た。


「何で話したなんて顔をするんじゃない!それにその間抜けな顔は何だ!」


 セリムの顔が青ざめた。それからラステルを見てすまなそうに眉毛を下げた。


「一通り聞いたけど、セリムに質問よ」


 腕を組んだクイがセリムの前に進み出た。ラステルはセリムの隣に移動して腕に抱きついた。怒ったセリムは怖いが三人の義姉の方が怖すぎる。一瞬クイはラステルに微笑んでくれた。しかしすぐにセリムを睨みつけた。


「はい姉上」


 セリムがラステルの手を離させて肩を抱いてくれた。もう怒っていない。むしろ怯えているように感じる。


「ラステルの背中の大痣は何?」


 ついさっきラステルが自分の口から話をしたばかりだ。


「操縦席が狭くてぶつかったと」


 そうだ。セリムが心配するからと詳しく話さなかった。終わった事だしセリムはラステルに関してはちょっと過保護だ。ティダに食ってかかって大喧嘩になっては困る。戦場を駆け抜けてグルド兵の飛行機に挑んでも無傷だった敗北知らずの大狼兵士。戦闘機の金属を引き千切って、飛行機を怪力で引っ張った。セリムとは仲良くいてもらわないと困る。ラステルはセリムに向かって顔を横に振った。


「やっぱりね。ラステル!もう一度話しなさい!」


 ドーラとケチャがセリムの腕を引き剥がしてクイがラステルの腕を引っ張った。ぐるりと三人に背後を囲まれてセリムに向かい合わさせられた。セリムの青い瞳までがラステルに言えと告げている。怖い。


 崖の国の鼻が高々で自信に溢れているのは王族の男達を裏でぺしゃんこにして更に気高くあれと言う彼女達がいるからだ。そうに違いない。こんなのラステルに務まるのだろうか。セリムはあっという間にクイ達の掌で踊らされている。


「嘘や隠し事は無しだ。僕等は誰より通じ合わないとと言っただろう?ラステル」


 前半は脅迫めいていたが後半はいつもの優しいセリムだ。クイがセリムを更に睨みつけた。


「空を落下して戦闘機でティダ皇子に助けてもらった話をしたでしょう?二人乗りで狭いからティダ皇子が操縦席を広くしてくれて足元に入れてくれたの。それで膝がぶつかりました」


「ラステル!狼が蹴飛ばしたって言ったわよね⁈話しなさい!」


 つい口が滑った。そのたった一言をクイは拾い上げて覚えている。そしてラステルの心の中を見透かしている。セリムが眉間に皺を寄せた。


「……でした」


 ボソボソっと口にしたら全員に睨みつけられた。こんなの弱いものイジメだ。酷い。


「ラステル?」


 セリムが苛々している。これが一番堪える。


「ティダ皇子を怒らないでくれる?」


 ラステルの懇願にセリムは首を縦に振らなかった。ラステルは口を貝のように閉ざすことにした。これ以上話すものか。ややこしくなるし大勢で寄ってたかって酷いから話さない。この場を乗り切ればセリムはラステルを問い詰めるなんて出来ない。ラステルは断固拒否とその場にうずくまって丸まった。


「セリム、パズーを呼んできなさい!」


 しまった!パズーはペラペラ喋る。絶対に。クイが叫ぶよりもセリムは早かった。追いかけようとしたがラステルは三人の姉に羽交い締めにされた。

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