崖の国の新しい妃と三人の姉1

 ラステルは鏡の前でジッと立たされていた。肌着姿な上に足には傷跡があるし、虫刺されとは言い訳できない赤い跡が胸元にもある。恥ずかしくて隠れたくて堪らなかった。


「あらあら、綺麗な足がなんてこと……」


 クイがラステルの足を見て眉根を寄せた。病気で亡くなったセリムの母親リシャの代わりにセリムを育てた姉。癖のないサラサラとした金色の髪に垂れ目だからパッと見はセリムと似ていない。しかし良く良く見れば口元や鼻、あと何より笑い方が良く似ている。


「平気です。もうすぐ完治します。ちょっと素足で歩いてしまっただけです」


 ドーラに肩を掴まれて体をぐるりと回された。肌着が捲られて鏡に背中の青痣が映る。時間が経って少し黄色く変色してきていた。


「これは?まさかセリムに殴られたなんてないな?一応、念の為に確認だ」


 ドーラに凄まれてラステルは身を縮めた。クワトロの正妻ドーラ。元衛兵で恐妻と聞いていた。ラファエのように整った顔立ちで、大きな瞳に長い睫毛。そして派手に巻かれた金色の髪。崖の国の娘ローラは彼女を真似ているのだろうと感じた。


 ローラはどこか下品だったがドーラはとても上品だ。メイクの仕方、香水の量?しかし声が低めで迫力があるし背も高く肩幅もあるので優雅よりも気高いというのが似合う。崖の国の妃の肩書きがとても似合う。脳裏にヴィトニルとティダが過った。多分彼らはドーラを好むだろう。ティダと言えば背中の痣は彼にに膝で小突かれたせいだ。おそらくワザと強く膝で蹴られた。


「まさか!セリムは絶対にそんなことしません。……狼が間違って蹴りました!」


 嘘が思いつかなくてラステルは変なことを口走った。


「狼?一体何があったの?」


 採寸をメモしていたケチャが顔を上げた。セリムと同じお母さんから産まれたお姉さん。細い癖っ毛で自然な巻き髪にややつり上り気味の大きな目。クイやドーラは空色の瞳だがケチャはセリムと同じ深い青、タリア川の結晶の色をしている。鼻の形はセリムと違ってクイと同じだ。父親ジークの鼻。


「えっと、高いところから落ちて助けてもらったんですけど……バタバタしてたから間違えて蹴られて。セリムとはぐれていた時です」


 概ね間違っていない。ティダはわざとラステルを膝で小突いただろうがここまで大痣になるとは考えてなかった筈だ。多分。


「さっぱり分からないわ。心配かけるからって話さないなら逆よ。ますますこの国にいて欲しいわ」


 クイが大きくため息をついてラステルの採寸の手を止めた。


「本当に行くのか?セリムが心配なのは分かるが……」


 ラステルはドーラの言葉を遮った。


「行きます!病める時も困難に襲われても離れないと誓いました。健やかな時なんて当たり前ですもの!私は絶対に何があってもセリムの側にいます!二人で生きるのならば死ぬのも二人でです!」


 三人の義姉が顔を見合わせて苦笑した。思わず宣言してしまったがどうしよう、崖の国の嫁には相応しくないと叱られる。叱責で済まないかもしれない。


「あらあらそんなに弟を慕ってくれているの。嬉しいわ」


 クイがセリムとそっくりな優しい微笑みを浮かべた。


「嫁はいらないなんて言ってたセリムを捕まえただけあるわね」


 くすくすと笑うケチャがラステルに一旦着てなさいと寝間着を渡してくれた。


「嫁はいらない?」


 セリムがそんな考えだったなんでラステルは全く知らなかった。


「女が子を産むのは命がけ。そこに蟲森遊びで毒を体に増やしている。未知を欲して旅にも出てみたい。自分を風詠として縛っていたがほら見ろ、飛び出した。そんな自分が家族を持つなんて考えられなかったんだろう」


 ドーラがラステルのまとめ上げていた髪を解いてくれた。


「知らなかったです。ならどうして……」


 蟲森で生身でうろつくラステルならば子を産んでも死なないと思ったのだろうか。それともセリムにくっついて回りそうなお転婆だったから?そう言えばセリムはラステルの何がどう好きなのだろう。


「昔から生き物が好きな子だったからね」


 クイがラステルの頬を撫でた。母親がいたらこんな風に接して貰えるのだろうか?ヴァルが育てると決めたラステルをヴァルの妻も共に育ててくれていたという。物心がつく前に病死してしまったエレナもラステルの頬を優しく撫でてくれていたかもしれない。懐かしい雰囲気だった。


「単純に惚れただけだろう。理由なんてない。そんなものだ。家族を持たないという信念や理性をラステルが破壊しただけだろう。まあ中々こんな娘はいないからな」


 ドーラがラステルの肩に手を回して歯を見せて目を細めて笑った。その美しさにラステルは見惚れた。


「こういう娘が好みだったのね。中身はテトが近いのかしら?見た目は、いないわね」


 ケチャがラステルの肩を軽く叩いた。運良くごく普通の顔立ちだと思っていたのにそうでもないらしい。セリムに褒められすぎて勘違いしていたとラステルは思い上がりを恥じた。


「こんな娘、私でも欲しいさ!」


 ドーラの言葉にラステルは首を傾げた。セリムは安心しろと言っていたが、こんなに気に入られるとは予想外で戸惑いしかない。元々批難覚悟で洗いざらい化物だと話すつもりだった。セリムは偉人だと言ってくれたしセリムの家族、邪険にはされないと思っていた。しかし家族の輪に入れて貰える、褒めてもらえるなんてことは想像もしてなかった。ラステルはまた泣きそうになったのでグッと奥歯を噛み締めた。


「初めて会った時は可愛い娘に熱を上げてと思ったのよ」


「それは私の事ですね姉上!」


 あははと豪快に笑うとドーラはかなり年上そうなクイを肘で突っついた。


「クイ姉ったらブツブツ文句を言ってましたものね。優秀な衛兵だけど粗暴ものが妃だなんてって。クワトロ兄であれならセリムの嫁なんて誰が来ても気に食わないかと思ってたわよ」


 ケチャがクイの腕を指で突っついた。


「セリムのあんな顔見たことなかったもの。絶対にこの娘を幸せにするんだって格好良かったわ。でも貴方申し訳なさそうに泣いていたでしょう?」


 クイがラステルを椅子に座らせた。それからクイはラステルの両手を握って立膝になるとラステルを見上げた。


「問い詰めて父上から聞いたわ。蟲森で暮らす娘。不思議な体。何故セリムと共にペジテへ行くのか。後夜祭で"我が異形"と言ったわね。それで何となく貴方がどんな娘なのか分かったわ」


 クイの目はとても辛そうだった。やっぱり大切な息子みたいな弟にはラステルのような得体の知れない女では相応しくないという事なのだろうか?でもクイはきっとそんな女性ではない。では何を伝えたいのだろう?


「さっきの王の間でもセリムの隣でずっと怯えた顔をしていたわよ」


 そりゃあそうだ。セリムの家族に罵られる覚悟があったのだ。崖の国の人たちに大嘘ついてセリムを誑かした女ということになっている。いくら優しいセリムの家族だって怒るだろう。しかも突然収穫祭に現れたにも関わらず親切にしてもらったのに砂をかけた。挨拶もしないで勝手に結婚した。そこに人じゃないかもしれません、蟲の家族です。またセリムを連れて行きますなんて。


「あの、ごめんなさい私。色々と謝っていませんでした。セリムに話を押し付けて、こんなに優しくして貰っているのに中々言い出せなくて……」


 クイが強くラステルの手を握り締めた。


「何を謝るの?」


 何を?


「皆さんに大嘘をついてセリムを連れて行ってしまいました」


「そうね。嘘は良くないわ。でもこの国の人の為にでしょう?お陰で民は駆け落ちしたセリムが王を説得していつか帰ってくるって呑気にしていたのよ。それからセリムは勝手に飛び出した」


 ラステルは小さく頷いた。


「挨拶もせずに勝手に結婚しました」


「それは私もだ。むしろラステルはキチンと王族や民に頼んだ。何よりその件はセリムに責任がある」


 ドーラがラステルの肩に手を乗せた。見上げると柔らかい微笑だった。


「そうよ。礼節を教えそびれた私のせいよ。折角の婚姻をあんな急に簡易にだなんて。謝るのはセリムを育てた私の方よ」


 ラステルはそれは違うと首を横に振った。


「どうせセリムは直前まで悩んでいたのよ。ラステルを幸せにする自信が無くてね。収穫祭で時間はあったのに家族に挨拶もせず急にだもの。ラステルが飛び込んだんじゃない?」


 ケチャの推測にラステルは収穫祭の事を思い出してみた。セリムを脅して全部捨ててついていくと言ったのはラステルだ。ケチャはそれを聞いたのだろうか?


「ラステルが知ってるセリムは背伸びして頼れる男でいようとする見栄っ張りだ」


 ドーラの言葉はピンとこなかった。


「でも私……嘘つきです。セリムはああ言ってくれたけど覚えてません。争わないでと祈ったんじゃなくて人なんて死ねって言っていたかも……。ペジテを救ったのはセリムです。あとパズーも。それからアシタカさんにティダ皇子。私……きっと何もしてません……。むしろセリムの邪魔をしてた……」


 自分が思っているのと反対の事ばかり言われてラステルは混乱してきた。こんなに優し過ぎて変だ。ペジテ大工房でアシタカの家族が優しいのはラステルが救世主セリムの妻でセリムがラステルも偉いことをしたと褒め称えていたからだ。その時から違和感があった。


「私達はセリムを誰よりも人を見る目があるように育てたのよ。父も兄弟達もね。そのセリムが貴方じゃないと嫌だとゴネている。もっと自信を持ちなさい」


 ラステルの手を握るクイの力が益々強くなった。


「セリムの心が広いからです。人の気持ちが分からない変な女。セリムと会って沢山教えてもらいました。やっとちょっと普通に近づけたんです。人もどきに脱皮したって言われたんですよ。頑張ったら……」


 我慢していた涙がポロポロ流れてきてラステルは言葉に詰まった。頑張ったら人になれる。でも蟲が好きだ。家族で大切にしてくれる優しい蟲たち。セリム以外そんなの受け入れてくれない。あんなに変な人はどこにもいない。セリムなら上手く蟲の良いところを伝えてくれる。ラステルが何年経っても出来なかったことをあっという間に成し遂げて追い越して行った。


「もう一度言うわ。そんなに弟を慕ってくれているのが嬉しいわ」


 ラステルはぶんぶんと首を縦に振った。やっと分かった。ラステルがセリムをとても大事だというのを理解してくれているのだ。妙だけどラステルならセリムを大切にしてくれると認めてくれている。だからラステルは認めてもらえる。セリムを誰よりも一番大切にするのはラステルだ。これだけは胸を張れる。


「セリムもね、悪いところも沢山あるのよ」


 ラステルは目を丸めた。今度は何の話だろう?


「結構自分勝手でしょう?相談しないで決めたり、先走ったり」


 さすが家族だ、セリムの事を良く分かっている。ラステルは小さく首を縦に振った。


「夢中になると周りが見えなくなる」


 それもそうだとラステルはまた頷いた。


「割と器用に何でも出来るし王族だからってどこか驕ってる。末っ子だし我が通せるって勘違いしてるところもある」


 クイが次々とセリムを悪く言うのでラステルはムカムカしてきた。


「あら怒った?今の貴方も同じよ?」


 立ち上がったクイがラステルを抱きしめた。


「自信を持ちなさい。貴方が可愛くて立派で勇気があるからセリムはラステルを好きになった。セリムは変ちくりんでも心が綺麗な子じゃないとなびきません。愛情深くて人の気持ちを考えられる娘しか好きになりません。でも別にセリムがそう言うから認めたんじゃないのよ」


 ケチャとドーラがラステルの頭をポンポンと叩いた。


「あんまり自分を卑下していると私達が怒るわよ。セリムなんて気がついたら激怒ね。怒ると手がつけられないのよあの子」


「そうだ怖いぞ。喧嘩する前で良かったな。だいたい私達がそんなに見る目がない女に思えるのか?それが腹立つ」


「ドーラ義姉さんの言う通りよ。自分の目で見て話して決めただけ。セリムが誇らしい妻ですと言ったって信じないわよ。あんな惚けた間抜けな顔をしてる男なんて信用ならないわ」


 ケチャの言葉に絶句した。惚けた間抜けな顔?そんなセリム居ただろうか?だんだん分かってきた。ラステルはちゃんと受け入れられている。蟲もそうだった。仲間じゃないと思って寂しかったがずっと昔から家族だった。ヴァルの事もラステルは誤解していた。自信がないと時に相手に不快感を与えて間違える。そういうことだ。多分そう!


「私、もっと色々教えて貰いたいです。また必ず帰ってきます。絶対に!」


 ラステルからそっと離れたクイがラステルを見つめた。お母さんが生きていたらこんなだったかなとラステルの胸の奥が温かくなった。うっすらと記憶がある。よくラステルを叱ったヴァルも似たような目をする事があった。今生の別れかもという時も、この目をしていた。やっぱりラステルは恩知らずだ。だから会いに行こう。そして堂々と胸を張って自分の事を話そう。きっと喜んでくれる。


「素直な良い子ね。では本題を始めましょう。セリムについて行くなんて許しませんよ!」


 急に眉を釣り上げたクイが仁王立ちして吠えた。ラステルの体は衝撃で固まった。許してくれたのでは無かったのだろうか。

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