王の間での家族会議2

 セリムが語ったのは信じられない話しかなかった。雪降る大地で起こった戦。そこで何をしていたか。そしてラステルという娘の異形。一番驚いたのは臆病なパズーの勇姿についてだった。


「あの……私……」


 セリムがラステルの肩を抱いて発言を止めた。


「話した通りラステルは蟲の家族です。蟲と心繋ぎ怒りや憎しみに同調させられてしまう。しかしラステルは僕のために、僕が愛する人や国の為に祈りました。ラステルを通じて蟲と繋がった今、それがどれほど困難なのか身にしみています。彼女の家族も抗った。可愛くて出来損ないの末の姫と共に蟲の世界から追放される覚悟で」


 人前で披露すれば大嘘と嘲笑われそうなほど途方も無い話だ。蟲に蟲と思われている娘。かつて蟲を滅ぼそうとした大国ペジテ。そして陰謀渦巻く大陸情勢。去った戦など序章戦でしかない。当事者のラステルが何故か度々驚いたような顔をするのも気になった。セリムはラステルに色々と隠していたのだろう。そしてまだ何か秘めている。おそらく口を割らないだろう。


「蟲はラステルが信じた僕を、僕を育てた人を、何よりもラステルをずっと信じ続けたパズーを信頼してくれました。我が国はペジテ大工房、そしてドメキア王国やベルセルグ皇国兵の救世主となりました!」


 セリムが高らかに宣言するとラステルも胸を張った。褒めてやりたいがなんて無鉄砲で危ない橋を渡ってきたのかと叱りつけもしたい。


「ホルフルの蟲達は争いを諌めたばかりでなく、我が国ならば安全だと認めてくれて恐ろしいのに嫌いな人里に僕やラステルに対する礼を告げにきた。来ましたよね兄上」


 セリムは鋭い視線をユパに投げた。事を知らないクイやケチャが驚いていた。


「アスベルに聞いたのか?」


「いえ、家族が。あれは誓いです。ホルフルの民は何があろうとこの先崖の国へ手を出さない。たとえ侵略されても。だから僕は新しい家族と共に何処までも行くつもりです。戦の道具になどなりたくない。思い出した人との楽しく喜びに満ちていた生活を取り戻したい。僕は蟲の民、テルムとして生きるつもりです」


 あいた口が塞がらないとはこの事だ。ペジテ大工房と和平を結び、蟲とまで。蟲の民テルムとは何なのだ?これから何をしようと考えているのだ。


「これからドメキア王国とペジテ大工房の仲立ちをして西を固めます。蟲を使って策略を思案しているベルセルグ皇国とグルド帝国を抑える。両国の根本は何なのか計略が何なのかはこれから調べます。ペジテ大工房にはエルバ連合を守ってもらいます。最悪、この国は家族が守ってくれる。代わりに僕が先陣に立ちます」


 想像通りの発言にユパはため息をついた。帰ってきたと思ったらこれはある意味絶縁宣言だ。


「成長したなセリム。今度は頼ってくれるのか。追放出来んな、こんな凄い事を成してきた息子は」


 ジークの発言とクワトロがユパの肩を叩くのは同時だった。


「ユパ兄よ、エルバの王達を団結させなければならない。出征拒否をして駆け落ちした愚弟とセリムを罵っておいたのが仇になりそうだがどうにかなるだろう」


 クワトロの呑気な発言にユパはホッとした。視点を変えれば新しい何かが見えてくる。柔軟に対応すれば未来は明るいはずだ。こういう所はクワトロとセリムは良く似ている。


義父様おとうさま義兄様おにいさま!」


 ラステルが感激の声を出した。両手を握りしめて祈るようにする姿は清麗で蟲の仲間とは到底思えない。人ではないかもしれない存在。しかしセリムは受け入れている。


「分かりましたよセリム」


 クイが柔らかく告げた。しかし鬼のような形相をしていた。ケチャとドーラも同様だった。


「新たな危険な場所にラステルを連れていくつもりなのね!説得はしたの?していないんでしょう!ラステルにレストニア王家の妻としてそのような振る舞いをさせるなど許しません!戦に妻を連れ歩き危険に晒す夫が何処にいると言うの!」


「恥を知りなさい!戦場で妻に庇われて命を落とす愚かな兵になるつもりなのセリム!」


「断固拒否して置いていきなさい!このような勇気ある娘を連れて行ってはなりません!自らで命を守り自身は自分で鼓舞しなさい!」


 これか、後でまとめて叱られるとセリムが言ったのは。ラステルが目を白黒させて三人の義姉を眺めている。


「嫌です!離れて何かあったら困ります!僕は僕の力で妻を守ります!側から離れるつもりは毛頭ありません!庇われたら庇い返します!」


 黙って聞いているかと思ったセリムは意外にも吠えた。顔に断固拒否と描いてある。


「あの……足手まといになるから行くなとか……そういう事では無いのでしょうか?」


 ラステルがそろそろと左手を挙げた。喋るときはそうしろと決まっているのだろうか。クイ達がラステルを不思議そうに見た。


「文化が違えば考え方も違う。してラステルは本当にセリムと共に行くつもりなのか?」


 当の本人はどう考えているのかこの場の誰もが気にしている。セリムだけは当然という顔をしていた。


「あっと……あの……」


 ラステルは恐る恐るという様子で口を開いた。


「家を守らず戦へ行く女は崖の国の嫁ではありません」


 セリムが衝撃的だという表情になった。クワトロが笑いを堪えている。クイ達は満足そうに頷いた。芯が強そうだと思ってたので折れた事にユパは驚いた。そして少し残念だった。ラステルが側にいればセリムは身の危険を避け、蔑ろにしがちな自分を守るだろう。多分セリムはそれを理解している。そして絶対に守るんだと強く決意している。


 姉たちに抑えつけられてラステルがこの国に残るとしても、セリムを理解しているという意思を本人に見せてやって欲しかった。そこまでの気概があり、セリムの良き理解者だとまでは望みすぎだったようだ。


「私の家はセリムです。だから崖の国の嫁として家を守ります。何処へ行こうとセリムがいる場所なら戦ではなく家なので安全で大丈夫です」


 堂々と胸を張ってラステルがセリムに微笑みかけた。情けないほど瞳を潤ませてセリムがラステルに見惚れている。それからラステルを抱き締めた。


「離して頂戴!皆さんの前ではしたないわ!」


 盛大に突き飛ばされてセリムがポカンと口を開いた。ラステルが全身真っ赤にして縮こまった。


「ふははははは!何という嫁を迎えたセリム!良くやった!果報者め!」


 ジークが笑い出すと立ち上がったクイ達がラステルの前に並んで見下ろした。


「立ちなさいラステル」


 腕を組んだクイに命じられてラステルがそろそろと立ち上がった。


「私達を尊重して夫を立てた。見事よ!さあ貴方の衣装も仕立てましょう。その服も素敵ですけど我が国の妃として行ってもらいますからね!」


「いつ帰ってきても良いように布や刺繍は用意してあったのよ。私の服を着ていた時におおよその寸法も分かったしね」


「セリムも人が悪い。何でこんな娘を早く会わせてくれなかったのか。全然話す時間が足りないじゃないか」


 クイに抱きしめられ、ケチャに肩を叩かれ、ドーラに髪を撫でられてラステルが連れ去られていった。本人は心底嬉しそうにはにかんでいる。頬に涙が流れるのが見えた。


「後は男の仕事だ。クワトロ!良く言い放った!エルバ連合を男らしくまとめ上げるのを期待しているぞ!」


 ドーラがクワトロにウインクして王の間の扉を閉めた。


「お前も良い嫁を娶ったなクワトロ」


 ジークが愉快そうに笑っている。


「俺は蟲森の民との外交で手一杯ですよ!セリム、イブンという男と明日会う予定だった。丁度良い。そのくらいの時間はあるな?」


 面倒だという表情をしてからクワトロがキリッと顔を引き締めた。パズーの勇気ある行動はクワトロの背中を見て仕事をしていたからかもしれないとユパの口元が綻んだ。飄々としているし厄介事は拒否するが、やる時はやる男だ。


「イブンと?」


「研究塔でラファエさんと何度か文を交わした。テトはすごぶる元気らしい。パズーに伝えてやってくれ」


 セリムが床にへたり込んだ。


「そうか。兄さん……ありがとうございます……」


 優劣をつけてペジテ大工房を選んだこと、敵視されている異文化に親友の想い人を置いて行ったことを気にしていたのだろう。信頼したとはいえ見えぬ場所で何があるかなど分からない。


「ラステルのお義父様からも手紙が何通も書かれていたよ。ラステルの事は洗いざらい書いてあった。お前と会ったこともな。にわかには信じられなかったがお前の口からも同じ話が出た。衝撃的事実が更に増えたけどな。可愛いラステルなら至極当然だが、蟲と家族になって喜ぶとはお前は変態だな」


 クワトロが楽しいと言わんばかりに腹を抱えて笑い出した。ジークがセリムを手招きした。セリムが素直に近寄って椅子にかけてジークの手を握った。


「父上、僕は……」


「セリム、大きな誇りを見つけたな。それでこそ我が息子。異形で生き辛い娘であろう。苦難を乗り越え二人で幸せになりなさい。背負いすぎずにいつでも頼るが良い」


 セリムがポロポロと泣き出した。ジークがセリムを抱きしめた。ユパは癖っ毛を撫でてクワトロが背中をとんとんと叩いた。


 話していない秘密を胸にしまっているだろうセリムは黙ってジッとしていた。


「俺の後ろをちょこちょこしていたのに大きくなったな」


 ユパはセリムの頭を叩いた。


「いやいや、ユパ兄よりも俺の方がよく面倒をみていた」


 カラッと笑うとクワトロがセリムの背中を強く叩いた。


「もう背中は超えてしまいましたけどね!あとは父上だけです!」


 セリムが悪戯っぽく歯を見せて泣き笑いした。


「そうだ、ラステルの家族を連れてきました。彼女の世話役。僕はその世話役」


 バタバタと王の間を飛び出して、暫くするとセリムが腕に大きな蜜蜂を抱えて戻ってきた。三つ目の蟲。大蜂蟲アピスと言っていたのはこの蟲だ。クワトロがユパの後ろに隠れた。


「ホルフルの民大蜂蟲アピスよ先日は綺麗なお礼をありがとう。セリムの父ジークだ。これはユパ。この国の王。これはクワトロ。二人ともセリムの兄だ」


 セリムがそっと蟲を離した。黄色い瞳が徐々に青に変わっていく。


「へえ」


 セリムがニコニコと微笑んだ。


「何だセリム?」


 ジークが問いかけるとセリムが宙で羽ばたいてその場に静止している蟲を撫でた。


「流れ星を見ながら誓った愛の日。だから流れ星に見立てたって。あれは毒消しらしい。作れない子蟲の為の予備を分けてあげたって」


 セリムの頭に止まると蟲は左右に揺れながらギギギギギと鳴きはじめた。不気味だがセリムに懐く蟲一匹、そして楽しそうに揺れる様子。ユパはそっと近寄った。


「沢山ないから狩りにこないでだってさ。食べたら死ぬものも贈ってくるから大事にしまっておいてくれ兄上。成分を調べてみたいけど蟲森を脅かすことに繋がるかもしれないからあまり踏み込みたくない」


 興味があれば何でも調べたがるセリムの言葉とは思えなかった。何かそう考えさせる出来事があったのだろう。クワトロも驚いている。蟲がジークの方へと飛んでいった。身動ぎ一つせずにジークは蟲が布団の上に止まるのを眺めていた。


「お前の母リシャは命を好み動物に好かれたんだよ。息子が動物どころか蟲まで仲良くなったとは鼻高々だろう。どれ、触ったら噛み付くかな」


 ジークが手をそっと出すと蟲が黄色い目でジークの胸に突撃した。何度か頭突きを繰り返した。ジークが苦笑して両手を挙げている。


「失礼だな!偉い子は家族に手を出さない!当然だ!あははっ!子どもに叱られてるよ父上!やめろアピ!侮辱した訳じゃない!父上は病気なんだ、労ってやってくれ」


 蟲が頭突きを止めてジークの頭の上に移動した。それからペチペチと前脚でジークの頭を叩き始めた。


「お前に聞こえている蟲の声とやら、サッパリ分からん」


「蟲は草食だ。噛むのは悪い奴と食べ物だけ。覚えて人の王子の父だってさ」


 屈託無く笑うセリムは幼い頃のままだった。語らなかった悲劇や苦悩があっただろうにこんな風に笑えるセリムをユパは心の中で褒め讃えた。良くやった。よく帰ってきた。


 無事に生きて帰ってきて良かった。


〈セリムは家族が大好き〉


 子どものような声がしてユパは周囲を見回した。カイの声ではない。


「セリム叔父さん、僕も触っても良いですか?」


 クワトロにしがみついていたカイが蟲をジッと見据えている。


「本人に聞いてみろ。挨拶もな」


 頭を撫でられたカイがクワトロから離れて布団の上の蟲に向き合った。


「カイ・レストニアです。よろしくお願いしますホルフルの民の……」


 言葉に詰まったカイにセリムが耳打ちした。


「アピスの子君」


 カイが両手を出した。カイの手は震えている。蟲はゆっくりよたよたと飛んで触覚でカイの手に触れた。疲れたのか羽を動かす動作は緩慢で蟲はまた布団の上に降りた。よく見れば沢山生えている羽が一枚破けている。


「カイ。この子は人に撃たれた。親戚を殺された。それをちっとも忘れられない。だけど僕を信じてくれているから君を信じた。それがどれだけ怖くて堪らないか。今のお前と同じだったんだよ。さすがクワトロ兄さんの息子だ。偉いな」


 セリムがカイの肩を抱いた。クワトロが泣き出してカイの髪を撫で回して嫌がられた。


「セリム叔父さん、この子喋ったよ!」


 セリムが驚いていた。クワトロなんて目が溢れそうなくらい大きく瞼を上げている。


「セリムは家族が大好き。セリムが好きな蟲の家族はセリムの人の家族まで好きになるよう頑張る。好きなもののすきなものまで大切に。大事な掟だって。僕もそれを今日から目標にします」


 カイが胸を張って満面の笑みを浮かべるとセリムがまた目を潤ませた。それから目を灰色にしてコテンと布団に転がった蟲を抱き上げた。


「カイを人の王だって。僕なんて王子に格下げされたのに……。カイ、命を差別せず尊重する者。敬意を込めた名称だ。兄さん達カイに負けてますよ。僕にもね。でもこれで崖の国は安泰だ!誇り高い後継者がより偉大な者に育つだろう!」


 セリムがクワトロに羽交い締めにされた。


「それは父上の台詞だ!俺のことは何だって?」


「バムバムの匂いに似てるからバムバムだって!セリムのおバカな友達でバムバム。パズーのあだ名だよ!良かったな兄さん!疲れて安心して寝ちゃったから訂正できないな」


「起こせ!兄は素晴らしいと賞賛しろ!お前はこの子に俺の良いところを教えてないんだろ!」


「アピが一番気に入っている人間はパズーだよ!良かったじゃないかバムバム!」

 

 ユパはジークと顔を見合わせて笑った。新しい時代が幕を開けようとしている。自分達の国から。それを大事に育てていかなければならないとユパは身を引き締めねばとセリムとクワトロをひとまず引き剥がして喧嘩をやめろと叱りつけた。

 

 エルバ連合は元々自然と共存を掲げた国の集まり。西よりやって来た余所者の崖の国レストニア以外ならば何かしら蟲の伝承があるかもしれない。セリムとラステル、可愛い末の夫婦の為に少し調べてみるか。


 ユパは解散を言い渡してジークと話合いを重ねた。

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