大技師一族と蟲の民3

 

 この破壊神!悪魔!


 神が鉄鎚てっついを下す!


 化物は滅びよ!


***


 全ては巡る


 憎しみの炎は決して消えぬ


 命を創り弄び滅びの道具にしたイカロスの系譜を汲む者達よ


 それでも悔い改める猶予をやろう


 我らを生み自由を与えたたった一人に免じて


 全ては巡り巡って返ってくる


***


 今度はかなり深く眠っていたのか。セリムが目を覚ますと体がかなり重たかった。身じろぎして物理的な重さだと思ったらアピがセリムの胸にしがみついていた。布団は床に落ちていた。


「ははっ重いはずだ」


 セリムはアピの産毛にそっと手を添えた。


〈姫はどこだ⁈世話役なのに寝てた!〉


 灰色の瞳をパチリと黄色に変えて、勢いよく飛び立ったアピが扉にぶつかってズルズルと床まで落ちた。


「おいで。寝起きでまだ上手く飛べないんだろう。世話役の世話役が連れてってやる」


 立ち上がってアピの側まで行くとセリムはアピを抱き上げた。銃弾で破れた羽に心が痛む。


〈このまま抱っこ〉


「もちろんだとも。起きてすぐに役目を果たそうとする働き者。なあアピ、イカロスとは何か知ってるか?」


 セリムは扉を開いて廊下へと踏み出した。


〈知らないよ!……溶けちゃうのに太陽に近寄って墜落したお馬鹿だって〉


 ふるふる体を揺すった後にアピが告げた。何かの忠告が伝承として残っているのだろう。太陽を盗み独り占めしようとして近づきすぎて陽の光に目を焼かれた男、そんな神話をいつだか誰かに聞いたなと思い出した。


「教えてもらったのか。理想や尊いものを求めるのはとても勇気がいることだ。アピ、この世の全ては表裏一体。それから悪い言葉は自らに返ってくる。それを忘れるな」


〈もうお馬鹿って言わない〉


 素直で良い子だ。しかし少し心配になった。


「僕を信じろと言ったけどいつでも僕が正しい訳ではないからな。自分でもしっかりと考えるんだよ」


〈知ってるよ!姫は隠さないとなのにセリムは繁殖期だからって連れ回してる!〉


「ちょっと待て!どんな誤解だそれは!君達は時々素っ頓狂な事を言いだすな!」


 思わず大きな声が出た。クスクスと女性の笑い声がして顔を上げるとミーナ、それに三つ子がいた。後ろにも三人女性がいる。アシタカの部屋に飾ってあった家族の肖像画に描かれていた人達だ。


「すっかり元気そうですね」


 ミーナに会釈すると後方にいた女性三人がセリムの眼前へと進み出た。


「初めまして王子様。わたくしヨナと申します」


 ヨナはミーナと同い年くらいで彼女と目元がそっくりだ。


「絵本の王子様と同じだわ!素敵!わたくしはマールです」


 ラステルと歳が近そうなマールは溌剌とした印象でアシタカに一番似ている。ヌーフの三人の妃のうちマールとアシタカの母親が同じなのかもしれない。


「アンナです。初めましてセリム様」


 アンナは一番ヌーフと似ている。マールよりも少し年が上だろう。見た目は若いが落ち着いた雰囲気をまとっている。


 姉達はそれぞれ何処かアシタカに似た部分がある。ミーナの時もそうだったが初対面という気がしない。


「初めまして崖の国のセリムと申します。友の姉上様方にお会いできて光栄です。妻共々お世話になっております。ありがとうございます。この国の女性は皆美しい艶やかな髪をしているのですね。姉も妹も気立てが良い佳人ばかりでアシタカは果報者ですね」


 セリムが握手を求めると何故か三つ子が顔を見合わせてはにかんだ。


「この国の男性はこんな風にあけすけに褒めてくださらないの!ね?言った通りでしょう?お姉様!」


 リリの声は自慢げだった。何か対応を間違えたかと思ったが全員嬉しそうなのでホッとした。


「セリム様!プロポーズはどんな言葉でしたの⁈」


「ラステルさんの何処がそんなに気に入られたの⁈」


 今度はララとルルが前に躍り出た。ララとルルの発言にセリムは辟易して苦笑いを浮かべた。女はお喋りだがラステルと一体どんな話をしていたのだろう。色恋の話題を好むのは知っているのでセリムはたじろいだ。情けない話をされていたら困る。


「ラステルさんにお召し物を用意しましたの!」


 姿が見えなかったラステルがリリに手を引かれてセリムの前に現れた。美麗な模様に織られた裾の長い服。豪奢ごうしゃで繊細な刺繍もほどこされている。それに長い肩掛けを身につけていた。耳飾りと同じような深い青色がラステルの白い肌によく映えている。ラステルが頬を赤らめて俯いて上目遣いでセリムを見上げた。愛くるしい仕草に口元が緩みそうになる。横流しにした髪型が新鮮だった。


「とても綺麗だラステル。よく似合っているよ。いつも可愛いけれど着飾るとより素敵だ。これはこの国の衣装なのかい?」


 セリムはラステルの手を取って尋ねた。ラステルがバッと手を離した。それからセリムから目を逸らしてまた俯いた。ラステルの頬が益々赤らんだ。セリムがこういう行動をとると恥ずかしいのか?崖の国ではこれが当たり前の言動だがラステルは不機嫌そうで、アシタカの姉妹達は驚いている。


〈キラキラ光るのが嬉しいのならまた姫にイーリスの苔をかけてやろう〉


 アピが楽しそうに呟いた。蟲森の光苔トラーティオの事だろうか。


「サリーと言うのよセリム様。一枚の長い織物なんです。私たちがお兄様のお嫁さんの為に織って仕立てたのにちっともだから友好の印にラステルさんへ贈り物です」


「ペジテのお姫様に相応しい衣装です!是非崖の国で自慢してきて下さい!」


わたくし達の催事の衣装とお揃いですの!」


 ララ、リリ、リリが胸を張った。


「……あの、私つい色々話し過ぎて……」


 ラステルがバツが悪そうにセリムを見上げた。ラステルは口が軽いと思っていたので後で少し注意しないとなとセリムは小さく頷いた。


「そうだ。君はペジテの深窓の姫。その設定を忘れるところだった。皆さん、ありがとうございます。代わりに祖国より贈り物を持ってきますので楽しみにしていてください」


 ホルフル蟲森の民と友好を結べたら、ラステルの身の上を国民に伝えるのか永遠にペジテの姫としておくのか全く考えてない。嘘は重なるべきではないがこんな風に友好のきっかけになったのならばそのままでも良いかもしれない。その辺りも含めて兄達と考えよう。


 セリムは全員に微笑みかけた。いえ、とミーナが言いかけたが三つ子が遮った。


「珊瑚と貝殻をいただきたいです!砂浜にたくさん落ちていると聞きました!」


「お揃いで髪飾りを作るんです!」


「それからラステルさんのお姉様が貰ったという指輪も!」


 期待の眼差しが微笑ましくてセリムは三人の頭を撫でた。三人とも赤くなったのでセリムは首を傾げた。まあ、とミーナ達姉がたしなめようとしたのでセリムは首を横に振った。


「とても光栄な申し出です。我が妻と談笑だけでなく親愛も示していただいてありがとうございます」


 何故か三人が顔を見合わせてクスクスと笑った。マール以外の三人の姉達も同じように肩を揺らしている。マールがぼんやりとセリムを眺めていた。


「本当に物語の王子様そのままだわ」


 ぽそりとマールが呟いた。


「マールお姉様は昔から王子様と出会いたいと夢見ていましたのよ。お兄様にもし外国へ行ったら友好の宴などを催すようにといつも頼んでいましたの」


 リリがセリムの腕を引っ張って耳元でささやいた。妻に先立たれた兄のユパには若すぎるし既に複数人の妃がいる兄クワトロだと夢が無い。何かあったら思い出そうとセリムは胸の中にリリの言葉を仕舞うことにした。


「騒がしいと思ったら廊下でお客様を取り囲むとは。ほれほれ、ミーナとヨナ、それにアンナは夫が腹を減らして待ち焦がれておるぞ」


「お父様、ええもうそんな時間ですね。お客様はきちんとおもてなししたと思いますが失礼が無かったかご確認くださいませ」


「ラステルさん、セリム様、ごきげんよう」


「またお話ししましょう。楽しみにしていますねラステルさん。次はセリム様も。ごきげんよう」


 ミーナとヨナが優雅に手を振って去って行った。


「話していたように出掛けるからマールは妹達を頼むぞ」


「はいお父様。ララ、リリ、参りましょう。ごきげんよう」


 名残惜しいといった様子でマールがララとリリと手を繋いでセリム達に会釈した。


「アシタカは毎日賑やかな生活をしていたんだな」


「私とても楽しかったわ」


 ラステルは寂しそうだった。セリムが呟くとルルが不満そうに顔をしかめた。


「お兄様ったらちっとも帰って来てくれませんの。夕食を一緒にしても別宅へ帰ってしまうのよ」


 何と無く想像がつく。セリムも二人の姉の小言には時折耳を塞ぎたくなる。アシタカはその倍の姉に屈託のない妹が三人。偽りの庭を飛び出した理由は少なからずその影響もあるだろう。ヌーフがルルの肩を優しく叩いた。


「ラステル、きっとクイ姉やケチャ姉も君と沢山話をしたがるよ。楽しく雑談すると良い。話題選びと秘密については多少考えてくれると助かるけどね」


 セリムがラステルの頬に手を添えると払われた。思わず瞬きを忘れた。


「こうやってすぐに触らないで頂戴」


 ラステルが怒ったようにセリムを睨んだ。しかし着飾った衣装と真っ赤な顔でちっとも怖くない。


〈恥ずかしいってまた逃げた。これじゃあ脱皮しない訳だ〉


 またアピが「繁殖期なのに」とぼやいた。意味不明なのでセリムは無視した。


「君の村と僕の国は随分違うみたいだ。でもいきなり拒絶されるのは落ち込むな」


 ラステルがハッと目を見開いた。


「ごめんなさい私……」


「あはは。不用意に触れないように気をつけるよ。本気で嫌だったらとちょっと不安にもなるけどね。都度聞くよ。その時はきちんと返事をしてくれ」


 ラステルが頷きながら可憐に微笑んだのでセリムは手を取りたいのを自制した。


「お兄様もセリム様を見習うべきだわ。折角恋人が出来ても仕事ばかりにかまけて、おまけに言葉足らずだからすぐ振られてしまうんですもの」


 ルルが心配そうに溜息をついた。


「へえ、そうなんだ。よく知っているね」


 セリムが問いかけるとルルの笑顔が何故だか固まった。


「ほっほっ、ルル達は過干渉だからの。過ぎたるは流石に怒るから考えなさい」


 ルルが背筋を伸ばして「大したことは知りませんの」と棒読み気味に答えた。何かやましいことがあるようだ。


「セリム君は大分顔色が良くなったし、ラステルちゃんも幸福に満ちている。これより向かう場所では強くいなさい。飲み込まれるからの」


 ヌーフがルルの手を引いて「付いてきなさい」とセリムとラステルを促した。ルルの表情は先程までの無邪気で屈託のない様子が影を潜めて真剣そのものだった。


〈トルが緊張してる。ほぐしてやろう〉


 アピがセリムの腕からルルの頭へと移動した。ルルがアピを頭から下ろして抱きしめた。


「セリム、何処へ行くのかしら?」


「地下の古代遺跡だろう。知らないとならないことがそこにあるはずだ」


 セリムはラステルと手を繋ごうとしてやめた。それからラステルに向かって手を出した。


「僕の為に繋いでくれるかい?少し怖いんだ」


 ラステルがヌーフとルルの背中を見て困惑したがセリムの手を取った。


「私、自分のことばかりだったわ。気をつける」


 ラステルが柔らかく笑ったのでセリムは笑顔を返した。


 胸が騒ぐ。知りたくない真実がこれから襲いかかってくる、そういう予感がする。それでもこの手を離さない。離したくない。


--ラステルは得体の知れない化物よ。一緒にはいられても、共に生きるなんて絵空事だといつか必ず理解する


 ふいにラファエの言葉が頭に浮かんだ。今なら即座に言い返せる。分かり合えなくても伝え合い、譲り合い、真心込めて接するだけだ。例え相手が化物だとしても、知性がある生物は同じものを返してくれる。だから正体が何であれ構わない。


 ラステルはラステルだ、どんなことがあろうともそう宣言する。


 セリムとラステルは手を繋いでヌーフとルルの後ろに続いた。

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