大技師一族と蟲の民4

 ペジテ大工房の地下、古代遺跡へ降りていく機械。エレベーターと呼ばれるそれがラステルは怖くて堪らないのにセリムは心底楽しそうだ。浮遊石の移動も怖かったがこんなに揺れなかった。


「これはどんな原理なんだ?あんなに深くまで降りれるなんて!」


 セリムが揺らすせいだ。底が見えない延々と続く暗い穴。ピカピカに磨かれたワイヤーという銀色の糸、それを伝って穴の底へと降りていく乗り物。周りの壁には奇妙な絵や機械。ヌーフが持つ光る棒はかなり広い範囲を照らしてくれている。しかし過ぎていく場所はあっという間に闇に飲み込まれる。


「セリム怖いから揺らさないで」


「見てみろラステル!あの光る鉱物はとても綺麗だ!」


 ラステルの腰を抱いてセリムが身を乗り出した。セリムが手摺に体重を掛けるので更にエレベーターが揺れた。体が浮いて放り出されそうでラステルはセリムにしがみついた。揺れるのも楽しいなとセリムが益々笑うのでラステルは睨んた。ルルの頭上のアピもセリムに向かって触覚を激しく鳴らして威嚇いかくしている。


「ごめんラステル。アピも分かったよ。あっ見ろよあの絵!見たこともない景色だ!」


 一瞬反省の色を浮かべたのも束の間、セリムはまたパァッと目を輝かせた。通り過ぎて行ったのは四角くて人何十人分もの高さがある建造物の絵。古代とはどんな世界だったのだろう。そもそもラステルはずっと蟲森で暮らしてきて、崖の国やペジテ大工房という地上の人里でさえ驚きなのに古い時代にはもっと凄い文明があったという。途方も無い話で最早頭がついていかない。


「ほっほ。元気が良いの。傷口が開かないようにな。こんな愉快な散策になるとは思わなんだ」


 ヌーフが微笑むと隣でルルが苦笑した。


「セリム様、危ないから身を乗り出さないほうが良いです」


 うんうんと頷いているのでセリムは忠告をきちんと聞こえている。なのにセリムは目の前を通り過ぎていく過去の遺産のもの珍しさに目を奪われて目を離さない。蟲森で何度も見たキラキラした目元はラステルの好きなものの一つだが、初めてやめて欲しいと思った。パズーのうんざりした顔が脳裏によぎった。


「セリム、お願いだからジッとしてて」


 エレベーターが急に止まって横に動き出したので驚きで思わず声が大きくなった。ラステルの声が木霊する。


「さてセリム君。もう少し先へ行くと古代で暮らした者達の慰霊場となる」


 ヌーフの台詞にセリムが笑顔を引っ込めた。それからラステルの腰から手を離してラステルの手を握るとヌーフの隣に直立した。見上げた横顔は先程までの屈託の無さは潜め、神妙だった。セリムは子供みたいなのに急にこんな風に別人のようになる。セリムの真摯な視線がヌーフに向けられている。


「ペジテ大工房は二千もの歴史を誇ると聞いています。それより昔が古代ですか?」


 凛として良く通る声。セリムの中にはセリムという子供と王子という大人が二人いるんじゃないかと最近のラステルは考えてしまう。そのぐらい雰囲気が違う。


「我が国ではそう呼んでいる。セリム君、君は蟲と繋がったね。この国について何か知ったかの?」


「僕は蟲の心に触れました。彼等は激しくペジテ大工房を憎んでいる。大昔からずっと激しく火炎のような憎しみ。許したくないが許している」


 気のせいかセリムの青くて澄んだ瞳がゆらゆらと赤らんだ。ラステルが瞬きするとそんなことは全く無かった。エレベーターが止まった。とてつもなく長い時間移動していたがどのくらい地下へ下りてきたのだろう。


「正直わしも戸惑った。一族も民もテルムの教義を守ってきたつもりだったのだが」


 ヌーフが小さく息を吐いた。廊下が続いていてヌーフを先頭に歩き出す。床も壁も天井も金属で出来た奇妙な道。


「今回、何も恥ずべき行いはしていません。父上と一緒に頼み祈りましたの。でもわたくしは聞きました。彼等はわたくし達を全く信じていません。おそらく何をしても許されない」


 ルルが泣きそうな震え声で俯いた。アピがペタペタと前脚でルルの頭を叩いている。


「ペジテ大工房は罪まみれ。僕らと家族を殺した怖いやつを隠し持ってる。いつもいつも僕らを道具にしようとする」


 セリムが淡々と告げた。セリムの全身から憎悪を感じてラステルはセリムの手を強く握りしめた。本当にのようだ。セリムが無表情でラステルに顔を向けたがすぐに優しく微笑んでくれた。雰囲気が柔らかくていつものセリムだと感じた。


「いつもいつも……」


「アピが言ってました。アシタバはみんな怒った。アシタバアピスを殺された。人と蟲を争わせる為に利用された。道具にされた。元々はペジテ大工房があの怖い人間に酷いことをしたからだ。そう言いましたよ。多分、蟲の思考は偏ってる。古くから何か深い溝があるせいでしょう」


 アピが相変わらずルルの頭を叩いている。怒っているのだろうか?しかしセリムはアピをみて眩しそうに目を細めた。


「おこりんぼになったらテルムと遊べない。遊びたい。それに末蟲すえむしに出来ることは兄弟にも出来る。優しくしたら返ってくる。くるくる巡る。嫌な奴でも罪まみれでも優しくするんだ。ですって」


 セリムがアピを手招きした。アピはプイッと頭部を背けてルルを叩いている。いや撫でているのかもしれない。無視されたセリムが苦笑していた。


「子蟲君が君を人の王だと言っておった。それからラステルの婿、テルムとね」


 ヌーフがしげしげとセリムとラステルを眺めた。


「ええ。身に余る光栄です。妻は我が誇りオルゴーとなるだけでなく偉大な家族を与えてくれた」


 セリムがラステルに心底嬉しそうな笑顔を見せた。込み上げてきた涙が抑えられなくてポロリと頬を伝っていった。


「セリムそれ本当?」


「僕は弟子に嘘つきだと言われたけれど、これは本当だよ。僕が言った通りだっただろう?人と蟲を繋ぐ絆を持つ者。それは化物ではなく偉人なんだよラステル」


 ラステルは大きく首を振った。ヌーフがセリムを見る目が更に驚いたように変わった。セリムがラステルを見る目に宿るのは愛情よりも尊敬のように感じられる。アピを眩しそうに眺めたのと同じ、いや自惚れかもしれないがそれ以上。


「セリムがいたから……」


 もっと沢山伝えたいのに嗚咽しそうで言葉が詰まる。もう誰にも理解されずに一人ぼっちの蟲森で蟲とぼんやりしていたラステルは何処にもいない。蟲は危険じゃないし優しいけれど自分は仲間じゃない余所者。人はラステルを化物だとひそひそして遠ざかる。村人や蟲のことをそんな風に感じていた。どちらにもラステルの居場所は無かった。


 どこかよそよそしかったラファエとより仲良くなれた。崖の国で友達が出来た。ペジテの偉い人達から尊敬の眼差しを受けている。女性だけで楽しくお喋り出来るなんて夢にも思ってなかった。何もかも全部セリムがくれたものだ。


「どうしたラステル?怖かった蟲と家族になれるって凄いと思わないか?君が僕に新しい世界をくれた。それも想像していたものよりもっと楽しくて美しい世界だ」


 今ここにヌーフやルルがいなかったらラステルはセリムに抱きつきたかった。セリムは心底嬉しそうだ。


「私何もしてないわ。セリムが私に踏み込んで来たのよ。蟲森へ何度も来て、怪我した蟲を助けて……何度も何度も会いにきてくれた。迷い蟲を心配して、蟲からもらった変なものを食べた。知らないうちに話してる!私のところにセリムが来たのよ。しかも追い越していった」


 ラステルはセリムの手をキツく、キツく握りしめた。嬉し過ぎて泣くというのもセリムが教えてくれたことだ。セリムは不思議そうにしながらラステルの涙を指で拭ってくれた。


「ほっほっほっほっほっ!これより先、セリム君は胸を痛めるだろう。しかし誰よりも我が一族の始祖テルムの気持ちを理解するに違いない。わしには分からなかったことまで知れるかもしれない。まさか蟲の民がこんな風に現れるとは!」


 セリムが首を傾げた。


「蟲の民が何なのかこの先にあるんですね。テルム、人の王、蟲のつがいの人間、蟲の民。呼び名が沢山あってさっぱり分からないんだよな」


 セリムは一瞬だけ不安そうに眉根を寄せたが、すぐに楽しみを見つけてワクワクしているという無邪気な表情になった。蟲がノアグレス平野から森へと帰って行った時のセリムの言葉の本当の意味が今分かった。


--僕の異形と強欲を受け入れてくれ


 王子様だけど普通の暮らしをして育ったというのにセリムは変だ。最初からおかしなラステルとは全く違うのに。

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